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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第87話「ここにいる車に乗ってるのが、みんな人間じゃなかったら」

 いっしょに帰る、という約束をしたのに、教室に佐藤(さとう)希玖(きく)の姿はなかった。ひとけのない真っ暗な部屋は、いまにも物陰から何かが飛び出してきそうに寂寞としている。
 ドロシー・アンダーソンはきつく眉をひそめ、目をつり上げて、教室の中をひとわたり見やった。希玖の姿はどこにもない。彼女の目立つ体躯が隠れられる場所は、そもそも教室内には皆無だ。教卓の下や掃除道具入れにも、人のいる感じはしない。あの希玖が、そんなに巧妙に自分の気配を消せるはずもない。

 ドロシーは唇をゆがめる。たぶん、いまの自分はそうとうなしかめっ面をしているだろう。
 部活を終えて帰宅するように、という校内放送があってから、もう20分は経過している。道具を片づけ、顧問の訓話を聞き、先輩と雑談しながら帰ってきたドロシーが、希玖より先に教室に戻ってしまったとは考えにくい。
 先に帰るなら帰る、遅くなるなら遅くなる、で、連絡があるはずだ。先ほどスマートフォンを確認した限りでは、希玖からは何も伝言はなかった。

 廊下の明かりは頼りなく、窓から入ってくる夕まぐれの日差しもすでに薄い。机も椅子もぼんやりとして、夕闇に溶けていきそうだった。街の喧噪は校舎の奥までは届いてこなくて、蝉が鳴き出すにはまだ早くて、沈黙は遠慮会釈なく薄闇とともに押し寄せる。
 つんとするような静寂に、ドロシーだけが一瞬、取り残される。

 彼女の手の中で、スマートフォンが通知を報せた。校門のそばで待っている、という希玖の伝言が、SNSの画面に表示されていた。


 なるべく無表情を装い、ことさら平然とした足取りで校門に到着したドロシーを、希玖はいくぶん申し訳なさそうな顔で出迎えた。校門の柱のそばに立って、両手で鞄を持った彼女は、ドロシーが目の前にくるのを待って、ちょこんと頭を下げた。

「ごめん、ドロシーさん」
「別の用があるなら、先に連絡しといてよ」
「うん……ほんとにごめん」

 詫びる声音は低く、消沈しているようでもあったが、ドロシーはかすかに違和感を覚えた。いつもの希玖に比べ、すこし早口で、ぞんざいな言葉遣いに聞こえた。

「それで、どうしたの?」

 ドロシーはすこし疑問を覚えながらも、なにげなく訊ねる。きちんとした理由説明がもらえるものと期待してのことだったけれど、それと裏腹に、希玖は目をそらして口ごもった。

「……ちょっと、ね」

 ぴくり、と、無意識に、ドロシーの右眉が動いた。
 希玖の目は、自分の足下に延びる薄くて長い影を見つめているみたいだった。分度器でも測れないくらいわずかに斜めに顔を傾け、ドロシーの視線をそれとなく避けている。
 聞かれたくないことがあるのだ、と、あからさまに主張するような態度だった。
 あえてドロシーの疑いを誘うような、そんな手管を希玖は弄したりはしない。彼女にとっては、それはせいいっぱいのごまかしで、自分では隠せているつもりなのだろう。子どもが割ってしまった花瓶の上に布を載せるみたいな、懸命の隠蔽だ。

「どこにいたの? 教室にいないから、心配したんだけど」
「んー……」

 咀嚼するように口元をわずかに動かしながら、希玖はあいまいな音を発するだけ。

「……黙ってちゃわからないんだけど」
「うん……」
「はっきりなさいよ。そんなに聞かれちゃ困ること?」

「……秘密」

 ようやく踏ん切りがついた、というように、希玖は目を上げて告げた。
 堂々としていればいいのに、彼女は言葉の直後、ちょっと怯んだように肩を縮めた。なんだか、しかられすぎて萎縮する飼い犬でも見ているかのような気分だ。
 ドロシーは、ちいさくため息をついた。ほほえんだり、手を出したり、そんな、希玖の警戒をやわらげるような仕草は、あえて見せない。

「そんならそれでいいよ。じゃあ、帰ろ」

 ドロシーが歩き出すと、すぐに希玖はその隣に並んだ。

 校門を出て歩くふたりの影が並んで、アスファルトの上にはみ出す。薄汚れたガードレールの向こうには、白いヘッドライトを灯した車列が、なんだかパレードのようににぎにぎしい印象に見える。いつもはさほど交通量の多い道でもないが、時間帯とタイミング次第では、驚くほどの数の車両が流れ込んでくる。話に聞いたところでは、山の向こうへ通過していくための抜け道として、カーナビに指定されることがあるらしい。
 それを聞いたとき、ドロシーはなんだか理不尽な気がしたものだ。許しも得ないで、便利だからと決めつけて、我が物顔で乗り込んでくる。地元に過ごす人の気持ちなど、おかまいなしだ。
 通過する車両の中の人の顔は、ガラスの奥に紛れて見えない。

「ここにいる車に乗ってるのが、みんな人間じゃなかったら、ちょっと怖くない?」
「ちょっとどころじゃないよ……!」

 ぎょっとした希玖が震える口調でいうので、ドロシーはくすくす笑う。

「びっくりするよね。むしろこっちが別世界に迷い込んだ気分になっちゃう」
「ホラー映画じゃないんだから、もう」
「言葉が通じないのが怖いよね。知らない言葉を喋る人たちに囲まれるのって、不安になる」
「あー、うん。前に家族で旅行行ったとき、電車で周りがみんな中国語喋っててびっくりしちゃって」

 希玖は苦笑して、前方の夜景に目をやる。ヘッドライトの点線が細い帯のように伸びていて、ふたりはそのガイドに沿うように歩いて行く。

「そのときさ、何か話しかけられたんだよね、英語で」
「あー」

 希玖の褐色の肌と顔立ちは、黄色人種のそれではない。南米生まれである彼女の祖父の血を濃く引いているせいだ。

「でも、うちの家族、誰も英語うまく喋れないからさ。日本語でお願い、みたいなこと日本語で言ったら、かろうじて通じたけど」
「それはまた、災難だったね」

 ドロシー自身は、名前こそ英語名だが外見も中身も日本人で、ギャップの不都合を感じたことはほとんどなかった。希玖の感じている、薄皮一枚の疎外感のようなものを、おそらくドロシーは実感できていない。

 五感で触れられないものの底の底には、どうしたって触れられなくて、もどかしい。
 だから、言葉で聞きたくなる。

「ねえ、おきく」

 ドロシーは、ほんのすこしだけ斜めに足を踏み出す。半歩分、希玖のそばに近寄りながら、わずかに低めた声でいう。
 真夏の暑気に包まれて、ドロシーと希玖の間に流れる気配が、一瞬、濃密に変わった気がする。

「隠しごとはやめてよ。さっき、何してたの?」

 鋭いまなざしで、希玖を問いつめるつもりでいう。けれど、どうしたって身長差は埋められなくて、希玖を見つめるドロシーの目は、いつも上目遣いになる。甘えるつもりなんてないのに、弱そうな顔になってしまう。

 希玖はかすかに息を吸って、指先を自分の髪にかるく巻き付けた。それを一度、窓のブラインドを閉めるみたいに引っ張る。
 横目で、希玖がドロシーを見つめる。交差点から出てきたヘッドライトの光線が、彼女の瞳をぱっと照らした。

 暗がりの中の希玖の面差しが、ゆるやかに微笑みに変わる。

「……噂、聞いたことある?」
「噂?」
「そう、百葉箱の」
「そんなの、うちの学校にあったっけ?」
「あるのよ、校庭の隅っこに」

 夜気を震わす希玖のかすかな声に、ドロシーは耳を傾ける。その響きは、いつも心地よく、彼女の耳の奥までを揺さぶってくれる。
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