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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第82話「甘いものでできていない系の女子」

 期末試験の終わった翠林女学院は、これから夏休みまで特に行事もないゆるやかな時期に入る。生徒たちも総じてのんびりと、中だるみの時間をマイペースに過ごしている。しかしそんな中でも、夏休みの計画を入念に立て、楽しもうという生徒もいないではない。

「せっかくの長期休暇ですから、遠出しようかとも思ったのですが」

 机の上に隣県の地図を広げ、指先でくるくると山のあたりを指し示しながら、初野(はつの)千鳥(ちどり)内海(うつみ)弥生(やよい)を見つめた。期待するような、急かすような、ふだんより10センチくらい近い距離から、いつものたんたんとした言葉遣いが圧力みたいに攻めてくる。
 しかし逆に、弥生はむしろ腰が引けた。

「いきなり隣の県まで行くのは、すこし難易度が高いよ」
「バス停からはすぐですし、歩く距離としては、むしろそこの山頂より近いですよ」
「んー……」

 千鳥のいっていることが妥当なのかどうか、弥生には判断できなかった。未知の領域のことは、何をとっかかりにして考えればいいかわからない。

 この夏、弥生は千鳥に誘われて、キャンプに挑戦することになった。外に寝泊まりするなんて、旅行でもしたことがない。枕が変わるとなかなか寝付けなくて、中等部の修学旅行でもずっと寝不足だった。そんな弥生にとっては、同伴者付きのちょっとしたキャンプであっても、大冒険なのだ。
 弥生はだから、子どもみたいにわくわくしていたし、同時にすごく不安だった。
 そんな彼女の気を知ってか知らずか、千鳥はぐいぐいと自分のリクエストを押しつけてくる。

「バスは苦手ですか? 乗り物酔いします? それなら交通手段は別に考えても」
「千鳥さん、自分が行きたいだけなんじゃないの?」
「……だけ、ではないです」

 千鳥は、ちょっと身を退いた。指先だけ地図の上に残して、等高線のぎゅっと狭くなっているあたりを、ぐるぐると名残惜しそうに指でなぞる。
 無表情なその顔が、すこし、傷ついているふうに見えた。

「わたしの好きな場所なら、弥生さんにも、気に入ってもらえるかと」
「……うう」

 そういう言い方は、ずるい気がする。けれど、弥生のほうもいやな言い返し方をしたのだから、おあいこかもしれない。

「……もうちょっと考えさせて。大丈夫だよね?」
「夏休みに入る前には決定しましょう。その後で道具も選びたいですし」

 うなずいて、弥生は広げた地図をたたんで千鳥に返す。千鳥は、自分の机のほうに手を伸ばして、地図を置くと、ふたたび弥生の席の前に戻ってくる。

「ところで、わたし、今回はひとつやってみたいことがあるのです」
「何?」
「弥生さん、コーヒーは飲めるほうですか?」
「……あまーくしたやつなら」

 ミルクと砂糖をそこそこ入れないと、舌が耐えられなくなってしまう。それに、コーヒーの味はいつまでも重たく長引いて、口の中がしばらくイガイガしてしまうような印象がある。あまり積極的には飲みたくないものだ。

「そうですか……コーヒーシュガーは持って行くにはかさばりますね。携帯用に手頃なものがあるといいのですが」
「わざわざ山でコーヒー入れるの、ひょっとして?」

 考え込む千鳥に、弥生は眉をひそめて訊ねる。千鳥はうなずいた。

「パーコレーターというのを使ってみたくて」
「パー……?」
「歴史ある抽出器具で、火にかけるだけでコーヒーがいれられるので、アウトドア向けなんだそうです」
「へえ。ていうか、千鳥さん、そんなにコーヒー好きだっけ?」

 いっしょに遊びに行っても、カフェでコーヒーなど頼んでいるのは見た覚えがない。それとも、隠れてすごく苦いのを飲んでいたりするのだろうか。ふだんは弥生に合わせているだけで。

 千鳥はゆるゆると首を振った。

「いえ、あまり飲みません。ただ、野外で飲むコーヒーというのは、すこし、その……あこがれで」

「……あこがれ、ねえ」

 ぽつり、と弥生がつぶやくと、千鳥は頬に片手を当てて、斜めに視線を落とした。前髪がかるく眉の上に落ちて、うっすらと目のあたりに影を作る。なんというか、すごく、面映ゆそうだった。

「すみません、わたしのわがままばかりで」
「いや、別にそれは……いいんだけど」

 アウトドアについては、千鳥のほうがベテランなのだから、彼女の判断に合わせるのが妥当だ。目的地だって、彼女なりに、弥生をもてなす考えで言い出したことなのは、理解している。
 千鳥が自分の希望を通そうとすることに、いちいち異を差し挟む気はない。
 ただ、意外だったのは、彼女のロマンチシズムだ。飲み慣れないコーヒーに、あこがれだけで投資しようとするような。

「もうすこし、実利とか実用とかを重視するのかな、と思ってたから」
「……弥生さんも、わたしを、そういう甘くない人間だと思っていたのですか?」
「も、って何」
「前に、ドロシーさんに言われたことがあります。わたしは、甘いものでできていない系の女子、なのだそうで」

 弥生はちらりと、近くの席のドロシーに目をやる。希玖(きく)と話していたドロシーは、自分の名前が聞こえたのか、千鳥のほうに顔を向けていた。彼女の透徹した目は、それこそ甘みなどすこしも含まれないかのようだ。
 千鳥は、ドロシーの視線をいっかな気にせず、まっすぐ弥生を見ている。

「自分の中では、こだわりとか、趣味とか、余裕とか、そういう原理で行動しているつもりなのですが」
「……あんまり、そういうふうには見えないよね」
「ふしぎです」

 肩をすくめて、千鳥はいう。けれど、弥生はなんとなく、そのちぐはぐさの理由がわかる気がした。
 千鳥はわりと、目的の地点までまっすぐ突き進むようなところがある。寄り道をしないわけではないが、その寄り道だって、無目的にだらだら歩くのではなくて、回り道の途上に目的を見つけて、そのために早足で駆け抜けてしまうような感じだ。
 だから、最初の動機には遊びがあっても、行動自体はそうは見えない。
 千鳥の目指すてっぺんが、ほかのみんなには、あるいは弥生にも、ちゃんと見えていないのかもしれない。

「ともかく、コーヒーです。カフェにあるスティックシュガーとか、袋詰めのポーションとか、単体で持って行けるかもしれませんね。無理なら」
「なら?」
「香りだけで、我慢してください」
「……それ、我慢とは言わなくない?」

 弥生が積極的に欲しいといっているわけではないのだ。別に、千鳥がひとりで苦みに顔をしかめていたって、うらやましいとは思わない。
 なのに、千鳥はきっぱりという。

「星空を眺めながら、自分で焚いた火でコーヒーを温めて飲むのは、きっと、格別ですよ。たとえ嫌いでも、きっと欲しくなります」
「……自分で試したこともないのに、よくいうよ」

 言葉はたんたんとしているのに、ときどき、千鳥の物言いはむちゃくちゃだ。まっすぐ迷いなく突き進んで、全速力で壁に衝突する、小動物を見ているみたいな気分になる。
 カゴに閉じこめて安全にすればいいのか、紐でつないで程々に走らせればいいのか、それとも、野性に返るくらいに勝手に暴れ回らせればいいのか。
 千鳥とうまくやっていく方法は、弥生にも、まだわからない。

 ただ、わからないからといって、遠慮して距離を取るつもりは、さらさらなかった。

「じゃあ、まあ、コーヒーに合うおやつも準備しないとね。ふたり分」
「荷物がどんどん増えてしまいますね」
「いいじゃない、いっしょに持てば」

 一瞬、ぽかんとした千鳥だったけれど、やがて大きくうなずいて、いった。

「それもそうです」

 そのときの千鳥の笑みは、細くて、シンプルで、けれどとても甘い、チョコレート菓子のようだった。
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