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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第78話「博物館に住みたいのはよほどの趣味人か研究者よ」

「夏ね」
「夏だねえ」

 梃子に乗せたみたいにいっぺんに気温が上がって、日射しは唐突に地上を焼くような殺意を発揮し始めた。日なたの地面やコンクリートは、触れただけで指先が焦げて、べったりと離れなくなりそうな、恐い季節だ。
 校庭の片隅にひっそりと立つ葉桜の下にたたずみ、山下(やました)満流(みちる)木曽(きそ)穂波(ほなみ)はそろってつぶやく。
 満流の静かな横顔を、穂波はわずかに高い位置から見下ろす。

「満流さんは、夏休みは?」
「父が久々に帰ってくるから、そのおもてなし」
「へえ。また何か、おみやげ輸入してくるの?」

 満流の父親は、海外を飛び回って奇怪な民芸品を買い付けている個人輸入業者だという。娘の言葉の端々から察せられる彼の人となりは、なかなかエキセントリックであるらしい。
 実際に会ってみたら、どんな人なのだろう、と、すこし興味はある。

「部屋にガラクタが増えるだけだわ」
「楽しそうなのに。博物館みたいで」

 言いながら穂波が思い出すのは、小学生のときに連れて行かれた、隣町の民族学博物館だ。古代の人々が作った道具や芸術品は、人の想像力というものを思い知らせてくれた。奇っ怪な模様の描かれた土器の破片を、何十分も飽かず見つめていたのを覚えている。

「遠足で行くならいいけど、博物館に住みたいのはよほどの趣味人か研究者よ」
「そうかなあ」
「何日か住んでみるといいわ。異常なものが日常になってきて、気持ちが悪くなるかも」

 満流のいう感覚をうまくイメージできなくて、穂波は首をひねった。
 ちりちりと、地面の焼ける音を聞くような感じで、ぼんやり木陰の向こうを眺めていると、うっすらと蜃気楼でも浮かんできそうだった。

「私ね、ときどき、公園とかで通行人をよく観察してるんだけど。演技の参考に」

 満流が、ぽつりと静かな声で言う。

「ふうん?」
「昨日、子どもがすごく泣いてて。何が不満だったのか知らないけど、もう、この世の終わりみたいに」
「ああ、いるね、そういう子」
「ああいう素直な感情表現って、ときどき羨ましくなる。年取ると、できなくなるから」
「年って言っても、まだ10代でしょ」

 穂波は苦笑して、満流の顔に目をやる。いつでも思い通りの顔を作れるように、わざと表情を殺しているかのような、静まった水面にも似た顔つきだった。
 白い頬に、鋭利な木漏れ日が細く刺さる。

「ふだんの仕草まで、作り事や愛想笑いでしかないみたいに思えるとき、ない?」
「え」
「……穂波さんは、そういうこと、ないかな。裏表なさそう」

 ふいに、満流がやわらかい目で穂波を見つめる。ずっとまっすぐ伸ばしていた両脚をすこしゆるめて、後ろに立つ桜の幹に背中を預けようとするように、体をすこし後ろに傾ける。
 斜め後ろから、満流は穂波の横顔に向けて、視線を滑り込ませる。うなじをなでて、のど元から滑り入って、おとがいにそっと触れるように。

 艶めかしささえ感じる瞳を逃れるように、穂波は顔をそむけた。

「わたしだって、すこしくらいは複雑だよ」
「それはまあ、高校生だし、そうだろうけど」

 満流は、首を振ったようだった。粘度の高い空気の中で、さらりと、彼女の揺れる髪だけがひどく乾いていた。

「憧れてるのかな、そういうのに。ちっちゃなころに、童話かマンガか何か読んで、心をときめかせてた、みたいな感情表現」

「……満流さん。何か、悩んでる?」

 穂波がおずおずと視線を戻しながら問うのに、満流は答えなかった。桜の枝の隙間からさしこむ日射しから、満流はわずかに逃げるように、一歩退く。
 木陰の奥で、満流の瞳が光る。

「穂波さんは、夏休み、何するの?」
「……あんまり決まってない。陸上部の練習があるくらいかな」
「いっしょにどこか遊び行かない? 泊まりがけで、思い切って一週間くらい」

 満流の優しい声は、誘惑しているようでさえあった。
 演技派の彼女らしい、すこし過剰な言葉だとわかっていても、穂波は心をつかまれてしまう。

「一週間は……長いね」
「そのくらい、まとめて時間を取ったほうがいいかな、って思って。観察のために」
「……観察?」
「穂波さんみたいな感情表現。私ももっと知りたい」

「見てもらうようなものじゃないよ……」

 穂波は思わず頬に手を当てる。熱っぽいのは、夏の日射しのせいかもしれない。木陰にいたって、地面から立ちのぼる熱を逃れることはできそうもなかった。

「わたしをずっと見てたって、演技のプラスになんか」
「それは私が判断するもの」
「うう……」

 ぎゅうう、と、両手で頬をきつく挟みつけるみたいにして、穂波はうつむいた。満流がその気なのか、ただの戯れなのかわからない。たとえばここから走って逃げたら、満流がどんな顔をするのか、想像ができない。
 そのせいで、穂波はうまく動けない。もう、蜘蛛の糸のような何かに、絡め取られているみたいだった。

「……困るよ」

 小声でそうつぶやくのが、穂波の限界だ。

 かすかに吐息の音がする。満流はうっすら苦笑を浮かべて、体を起こした。
 すらりとして、細長い手足をゆらりと動かし、彼女は木陰を出て、日射しの下に進み出る。穂波は、それを目で追う。
 明るさに、目がくらんだ。いっそう強くなる日射しを急に見つめたせいで、穂波の視界が一瞬、白く塗り潰される。

 そのせいで、満流の顔が見えない。

「冗談だよ。ごめんね」

 満流はきびすを返して、歩いて行く。夏服が日射しをまぶしく照り返し、揺れるお下げ髪が白い世界に色を塗る刷毛のようだった。穂波の目には、彼女の足取りはどこか、夏に模様を描いているようにも思えた。

 鳴り響いていた予鈴も、穂波には聞こえなかった。
 ただ、大切なものを取り逃がしてしまったような悔恨が、まるで幼い日の思い出の欠片のように、穂波の心の底でずっとたゆたい続けていた。
第2話と同じ木の下の出来事。
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