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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第75話「ルールというのはたいてい、初めは不文律だ」

 職員室の前で、ひとり、春名(はるな)真鈴(まりん)が突っ立っている。壁のコルクボードと向き合って、忙しなく視線を動かし、押しピンで貼られたプリントにひとつひとつ目を留めていた。

「何を探してるの?」

 武藤(むとう)貴実(たかみ)は、横から真鈴に声をかけた。ボードの上端に貼られた、ちいさな文字のびっしり書かれたプリントを背伸びしながら読んでいた真鈴は、首をかしげて振り返る。

「あれ、何が書いてある?」
「んっと……ただの注意事項だよ。夏休みは羽目を外すな、っていう」
「ふうん」

 真鈴はちょこんと腕を組み、眉をひそめて貴実を見上げてくる。そうしていると、彼女はませた子どものように見えるけれど、たぶん真鈴のほうがよほど貴実よりしっかりしていると思う。
 そして、真鈴はわずかに声をひそめ、あたりの様子をうかがいながら、訊ねてきた。

「……翠林って、バイト禁止だっけ?」
「ああ、それ、校則には書いてない」
「まじ」

 目を見開く真鈴は、一度口を開いて、また閉じて、じっと貴実の顔をまっすぐ見上げる。

「貴実さん、校則覚えてるの?」
「細かい文章とか訊かれたら困るけど、内容はひととおり」
「そっかあ」

 真鈴は感心しきりのそぶりで何度もうなずいていたけれど、ふいに、パン、と両手を叩いてふたたび貴実を見つめた。

「それだと、バイトしていいってことになるのかな」
「まず、翠林の生徒でバイトしようって子がいないんだよ。だから対応のしようもないんじゃない?」

 ルールというのはたいてい、初めは不文律だ。暗黙の了解に抵触する輩が現れてから、成文化されて形になる。
 たぶん、翠林女学院の高等部生で、アルバイトするような境遇の生徒はそうそういないのだろう。奨学金をもらっている貴実ですら、考えもしなかったのだから。
 貴実の言葉を聞いた真鈴は、思案顔でちいさく唸る。

「そしたら、学校経由でバイトを探すお店とか、それを掲示板で募集するとか」
「ありえないでしょ。だいたいそういうのって、大学でもないとないんじゃない?」
「そっかあ……」

 うつむけた頭の上に組んだ両手を乗せて、深くため息をつく。ふだんは天真爛漫で、周囲に悩みを見せたことのない真鈴が、まるで心の底から落胆したみたいな、奈落の底に落ちたみたいな顔をしていた。
 ひょっとして、よほどのことなのだろうか。
 人の家の財布の中身に立ち入るのは不躾だ、と思いながらも、放っておけずに貴実は訊ねる。

「もしもあれなら、先生に口利きくらいはするよ。真鈴さん、生活態度もいいし、特別に許可はもらえるんじゃ……」
「え? あ、いやいや、そこまで深刻じゃないよ」

 はっと顔を上げた真鈴は、両手を顔の前でぶんぶん左右に振る。自分が作り出した陰鬱な空気を、むりやり振り払おうとしているみたいだった。

「学校来れないとか、路頭に迷うとか、そういうんじゃない」
「そうなの?」
「……あんま重たい話と思われると、逆に話しづらいな……」

 真鈴はちょっと、頬を指先で引っかいた。斜めに目線を落として、床を見つめる彼女の照れくさそうな表情の中で、唇だけが微笑んでいる。

「いや、単に、夏休みが暇すぎるといやだな、ってだけ」
「……ああ、そういう」
「だって、うちのクラスの子たち、長い休みになると平気でどっか長期で出かけちゃうじゃん。田舎に旅行とか、別荘とか、海外とか、当たり前に言われてもさ」
「しかたないよ、翠林だし」

 貴実と真鈴は、揃ってうなずき合う。今度こそ、真鈴の気持ちがひしひしと貴実に伝わってきた。
 クラスの友人たちの、夏休みの話題がひどく遠く感じる。それは、貴実にとっては初等部のころから思い知っている現実だった。
 奨学金をもらって翠林に通っている貴実と、そうではない彼女たちの間には、たしかに壁がある。教室では気にならないその現実は、長期休暇の季節、家と少女たちが密接に関わる時期にこそ露わになるのだった。

「貴実さんは、夏休みは?」
「おじいちゃんの田舎には行くかな……あとは図書館通いかな。うちは暑いし、うるさいし」
「勉強家だねー。あたしはまあ、ボラ部のほうはあるけど、それくらい……」
「実際、このへんだとあんまり遊ぶ所、ないものね」
「わかる」

 それを知っているから、みんな、街の外に遊びに行ってしまうのだろう。箱庭のような学院で過ごして、ずっと街に根付いているような顔をしていながら、彼女たちも本能的に外へと向かう遠心力を抱いている。
 もちろん、同じものが、真鈴や貴実の中にもあるのだ。

「……お小遣い貯めて、旅行、したいよね」
「うんうん。貴実さんはさ、バイトとかしようと思わない?」
「いま言われるまで、あんまりそんなつもりなかったけど……」

 なんとなく、貴実は目を上げる。職員室の前、昼休みでもひとけのすくない静かな廊下を、端から端まで見渡す。その果てに、プールのほうに続くピロティがあって、青い夏空の断片のように、日射しが廊下の隅を白く光らせている。

「どこか、募集してる店、あるかな」
「探してみたら? 見つけたら偵察しに行くよ、貴実さんのエプロン姿」
「やめてよ……」

 なぜか看板娘をする前提で話しかけてくる真鈴に、今度は貴実が照れる番だった。赤らむ顔をうつむけて、頬に手を当てる。
 しかし、言ってはみたものの、自分が働いているイメージがすこしもわいてこない。そういう所は、やはり、貴実も翠林生なのかもしれなかった。

「バイトはともかく、夏休み、何かしたいよね」

 ちょん、と、かろやかに貴実へ歩み寄りながら、真鈴は上目遣いで言う。

「そうねえ。お祭りとか行く?」
「あたしと? いいけど、ほかに誰か誘わないの?」
「決めてない。ただ、撫子組の子たちはあんまり、そういうの興味なさそうだし」
「あぁ」

 貴実と仲のいい面々の顔を思い浮かべてか、真鈴は苦笑を漏らした。

「真鈴さんのほうは?」
「どうかなあ。叶音さんしだいなとこあるけど……あの子、お祭りの時期に里帰り、とかなんとか言ってた気が」
「したら、誰もいなかったら、ふたりで遊ぼうか」
「みんなが絶対食べないもの食べようよ。屋台のいか焼きとか」
「綿アメすら食べたことなさそうだよね」
「ありえる……」

 目を見合わせて、ひそかにくすくす笑い合う。額がぶつかりそうな真鈴と貴実の笑いは、ふしぎに波長が合って、まるで音叉の共鳴みたいに長く長く、続いた。
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