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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第74話「あいまいすぎてわからないわ、会話の努力をしてよ」

「ちょうどいいところに来てくれたわ、妃春(きはる)さん。氷ない?」

 廊下からも窓からも光の届かない、階段の下の、薄暗い倉庫。閉じたドアの前に腰を下ろしてたたずんでいた真木(まき)(あゆみ)は、舟橋(ふなばし)妃春の顔を見上げてのんびりと、そんなことを言った。階段を降りてきた妃春は歩の前に立ち、かるく膝を曲げて歩の顔をのぞき込む。

「そんなの都合よく持っているわけないわよ。だいたい、何に使うの?」
「おでこに乗せたい。そういうの、何か憧れない?」
「……どうしてかしら。ちょっとわかる」

 妃春は首をかしげた。ふしぎなことに、額の上の氷のひんやりしたイメージは、あざやかに思い浮かぶ。風邪を引いたときの氷枕の印象でもあるのかもしれない。

「で、何をしてるの、歩さんは」
「暑気から逃げてきただけ。何もしてない」
「猫でも入らないわよ、こんなところ」

 妃春は口元をかるく押さえてつぶやく。掃除の手も行き届いていないのか、ほこりっぽくて、薄汚れて、何か得体の知れない湿気が床のあたりに薄く貼りついている感じがある。
 三角座りでのんきな顔をした歩は、この淀んだ空気を意に介していない様子だ。彼女の脇には、潰れたオレンジジュースのパックが打ち捨てられている。この空気の中で平然と飲み物を口にできる剛胆さは、妃春にはないものだ。

「だいたい、涼しいだけなら教室にエアコンもあるじゃない」
「そういうことじゃないの。わからない?」
「あいまいすぎてわからないわ、会話の努力をしてよ」
「やぁだ」

 わがままな子どものような口調で、歩は首を横に振る。その様は、歩に似つかわしいようでもあり、どこか、違和感を覚えさせるものでもあった。
 彼女はたしかに、孤高であることを恐れない。でも、強いて孤独であろうとするだろうか。

 ほんとうは、妃春も購買に行って飲み物を買うつもりでいた。その予定を変更して、彼女は、歩の横に近づいて、そこにたたずむ。
 歩は何も言わず、階段の横から見える上の階の天井を眺めるように、目の焦点を遠く高く合わせる。

 じっとその場に佇むと、廊下を歩く人声も遠くて、なんだか箱の中にでも閉じこもったみたいだった。歩の言う通り、すこしは涼しい。
 けれど、ずっと居着くような場所ではない、と妃春は思う。

「昨日ね」

 妃春が口を開くと、歩がちらりと視線を動かす。

(りつ)さんが、面白いことを言ってきたの。部活を作りたい、って」
「へえ?」

 歩は妃春の顔をじっと見つめた。どうやら、話題に食いつくぐらいの元気は残っていたみたいだった。

「それが変わっててね。何もしない部活」
「何も?」
「そう。何も。教室に集まって、何もしないで雑談するだけ。そのための部活」
「はあ」

 歩の呆然とした顔というのは、おそらくものすごく貴重だ。縦に長く口を開けて、切れ長の目をまん丸にして、そこからどう反応していいか見当もつかない、という具合。その顔をさせられただけで、妃春にとってはかなりの収穫だ。

「で、部活を始めたいから、申請方法を知りたい、って話だったんだけど」
「そんな部活、いいの?」
「たぶん通らない。活動実績を出せるあてがある、とか、心身の涵養に寄与する、とか、そういう理屈がつけられないとね」

 妃春もいちおう生徒会役員として、申請書の書式は把握している。しかし新しい部活動の申請は、ここ3年は1度もなかったらしい。彼女の見せられた見本もいくぶん紙の端が日に焼けて、ちいさな書店の隅にいつまでも置かれた古い絵本を思わせた。
 活動目的、新入部員、先々の予定、顧問、そういった必要事項を一通り準備できなければ、申請は通らない。桜川(さくらがわ)律の新しい部活には、まだ足りないものばかりだ。

「でも、活動目的だけは、はっきりしてた」
「なんて?」
「放課後も、ずっと学校にいるため、だって」

 妃春の言葉に、堪えきれなくなった様子で、歩は噴き出した。

「ないわあ」
「そう? 共感はしないけど、わからなくはないわ、私は」
「私はぜんぜん。何でもないのにいたいような場所? 学校って」

 ほこりの舞う空気の中、誰も来ない倉庫の前のぽっかり空いた空間に、歩の苦笑がむなしく響く。

「部活なんて形がないと、いっしょにいたい人ともいっしょにいられないの?」
「きっかけが必要な人もいると思うの」

 人差し指の関節で、妃春はかるくあごをこすり、それから眉の上をそっとなぞった。じんわりとたまる湿気のせいで、すこしだけ汗をかいたような気がした。

「雨が降るとか、ね」

 妃春の苦笑交じりのひとことに、歩は半眼で応じるだけ。しゃべり出せば口の減らない歩が、こんなふうに黙り込んでしまうのもめずらしいことだ。
 こんな、薄暗くて寂しい空間にも、奇妙な魔力が宿っているのかもしれなかった。そう思うと、いつまでも浮いているちいさなほこりも、きらきらした力を宿しているような気がしてくる。

「あなたみたいに、みんな何かを的確に見つけられるわけじゃないからね」
「難しいのね」

 歩の嘆息に、妃春はちいさくうなずきを返した。

「……そろそろ行くわ、仕事あるから」
「待ってて欲しいとか言った覚えないけど」
「意外に意地っ張りよね、あなた」

 それが、今日の最後の発見かもしれない。
 歩は、変わらない三角座りのまま、膝の間にあごを乗せた。そこから見上げてくるほど、甘えた女の子ではない。床を見つめる歩の瞳には、いささかの揺れもなかった。

 かるく両腕を伸ばして、妃春はちょっと手を振り、歩き出す。
 廊下に出ると、ざわめきが甦ってくる。すがすがしい空気を浴びて、ざわつく校内の声を聞くと、魔法の時間はあっという間に消えてしまう。
 すこし、名残を惜しむように、階段の方に目をやる。歩の姿は、ほこりにかき消されるみたいに、見えなくなっていた。
律の部活の話は72話、雨の話は8話にて。
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