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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第72話「休憩所みたいな、駄弁るためだけの部活」

 試験前の部活休止期間には、聖歌隊も活動を休んでいる。熱心な部員の多い聖歌隊だが、だからこそ、生徒たちは規律を重んじ、人目を盗んで勝手に活動するようなことはない。
 そのため、この時期、放課後の礼拝堂からは人気が消える。動くものといえば、この一帯を根城とする野良猫ばかりだ。

 三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)が礼拝堂を訪れたのは、むしろ、その静けさが目的だった。近づく期末試験のプレッシャーから逃避し、猫の毛皮の柔らかさに癒やされたかった。
 しかし、意外なことに、見知った顔の先客がいた。

(りつ)さん?」

 礼拝堂の前の石段に腰を下ろしていたのは、桜川(さくらがわ)律だった。落ち着かなげに、わずかに腰を浮かせたり下ろしたり、おっかなびっくり猫に触れようとしては威嚇されたりしている。

「……あ、百合亜さん」

 律が顔を上げると同時に、猫はすばやく彼女の足元を離れ、百合亜の足首にすり寄ってくる。百合亜はちょっと腰を曲げ、猫の背中を右手ですりすりと撫でる。手入れされていない黒い毛はざらざらしているけれど、その野性味が心地よい。
 指に引っかかる毛皮の感触をしばし楽しんでから、百合亜は律のほうに向き直る。
 律は、百合亜をじっと見つめ、目を見開いていた。

「百合亜さん、猫使い?」
「そんな、たいそうなものじゃないよ。単に相性いいだけ」
「わたしは相性悪いのかな……」
「恐がると、つけあがるよ。堂々としてたほうが、素直に受け入れてくれる」

 百合亜の箴言めいた言葉を、律は感心した様子でうなずいて聞いていた。わりと適当に口走ったので、真に受けられるとすこし困る気もする。とはいえ実際、気の持ちようが多少変われば猫も馴れてくれるかもしれないし、訂正しないことにした。

「律さんも、ストレスを猫で解消するくち?」
「ううん……今日は、たまたま来てみただけ」
「たまたまで、礼拝堂?」
「誰もいないかな、と思って」
「それなら邪魔だったかしら」
「いいけど。ちょっと退屈してたとこだったし。猫もなつかないし」

 律がちょっと場所を空けてくれたので、百合亜も石段に腰を下ろした。猫はあっさりと百合亜の元を離れ、外に通じるフェンスの隙間を抜けてどこかに消えていた。
 律の足元には、じゃらじゃらとキーチェーンのついたカバンが置かれている。彼女が入れあげているというアイドルグループのものらしいのだが、テレビにあまり関心のない百合亜はその名前さえ覚えていない。
 ふたりの背中に聳える礼拝堂は、静寂を好むかのようにおだやかに佇んでいる。百合亜自身も、そんなに会話を重視するほうではない。ただ、何も言わないのでは、律が困るかもしれなかった。

「静かなとこ、好きなの?」
「いつもそう、ってわけじゃないけど。今日はなんとなく、そういう気分で」

 ようやく腰を落ち着けた様子で、律は二の腕を膝の上に載せた前かがみの姿勢で、草のぼうぼうと生えた前庭に向けてこぼすようにつぶやく。

「でも、中途半端だったかな」
「……何が、半端?」
「ほんとに誰も来ない場所って、学校の中にはあんまりないよね」

 言われてみれば、その通りだ。
 試験期間で早い下校が推奨されると言っても、図書館や教室で勉強している生徒もいるから、放課後の校内は人が多くてなんとなく落ち着かない雰囲気がある。かといって、喫茶店のような居心地のいい雑音に包まれているわけでもない。
 学校という場所は、おどろくほど、まつろわぬ人をはじき出す。

「余った教室、休憩所にでもしてくれないかな」
「ウォーターサーバかコーヒーメーカーでも、置いておかないとね」
「そうそう。軽音部の子とかさ、自前でティーポットとか持ち込むでしょ?」
「贅沢だよねえ」
「っていうか、部活名目なら許されるのかなあ」

 そうつぶやいて、ふと、何か閃いたように律は顔を上げた。

「部活、立ち上げようかな。休憩所みたいな、駄弁るためだけの部活」
「……そんなの、認められるの?」
「マンガにはよくあるよ、恋さんが好きそうな」
「マンガじゃあねえ……」

「でも、欲しくない? 放課後でも、生徒が好きにいていい部屋」

 律は勢い込んでそう言うけれど、正直なところ、百合亜にはピンとこなかった。百合亜自身は、たぶん、学校そのものに愛着があるわけではない。どちらかというと、流されて入学し、惰性でここにいるだけだから。
 人と人との繋がりは、場所がなくても続く。それがもし大切なものならば、かんたんには消えないだろう。

 ものにこだわらない百合亜は、そういうふうに、怠惰な奇跡を信じている。

「部活を立ち上げるのって、1年生でもできるのかな?」
「たぶん。考えたこともなかったから、詳しくは知らないけど。そういう手続き事は、貴実(たかみ)さんとか、妃春(きはる)さんが詳しいと思う」
「むう、わりとハードル高めなふたり」
「そう?」

 武藤(むとう)貴実はああ見えて親切だし、意外とノリもいいほうだ。舟橋(ふなばし)妃春はたしかにきつい性格ではあるが、そこまで話しにくい相手でもない、と百合亜は思っている。
 本気でやりたいことがあるなら、飛び越えられない高さではない。

 とはいえ、放課後の暇つぶしの軽口に、そこまで本気で向き合うこともないだろう。そういうのは、百合亜の柄ではない。

 百合亜が黙っていると、律も口元をひねって押し黙る。会話の落とし所を見失ったみたいに、すこしうなりながら、何か考え込んでいるみたいだった。
 礼拝堂のそばの静寂に、彼女のかすかなうなり声だけが、低く沈んで行く。時が経つほど、律の顔はうつむいて、視線はつま先あたりまで落ちてしまう。

「……もしも、そういう部活」
「ん?」

 視線だけ上げて、律が百合亜を見た。

「何もしなくてよくて、ただ座っているだけで、お茶だけ飲んで満足するような、そういう部活、作ったとしたら」

 百合亜は小首をかしげる。

「律さんは、誰を誘うの? そこに」

 その問いに、律はきょとんとした顔を向けて、すこしだけ口を開けるだけ。何も考えていなかった、という顔だな、と、百合亜は思った。
 そして次の瞬間、律の顔がはなやかにほころぶ。

「誰を誘ったらいいかな、撫子組で?」
「……それは、自分で決めれば?」
「それもそうだね。試験が終わったら……そのころまでやる気続いてるかな。飽きてたら、そのときはそのときで……けど、夏休み前に目途が立ったら、すこし面白いかも」

 律の顔に浮かんだ表情は、まるで、遠足に行く前にお菓子を選ぶ子どもみたいだ。準備がいちばん楽しくて、本番では、すでにすこし飽きてしまっているような。
 たぶん、ライブ本編よりも、準備や物販のほうが楽しかったりするのだろう。彼女の場合は。

 そして律は、子どもみたいに無邪気に問う。

「百合亜さんも、誘っていい?」
「……さすがに聖歌隊は抜けられないよ」

 ため息と苦笑いを同時に口からこぼして、百合亜は首を振った。
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