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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第71話「それとこれとは別腹で味わってそう。視覚と触覚の違い」

 佐藤(さとう)希玖(きく)が準備したクッキーを囲んだ勉強会も、いまは休憩時間だ。彼女のはす向かいに腰を下ろした小田切(おだぎり)(あい)は、さっきまではぴったりと座布団に膝を揃えて正座していたが、かるく足を崩してリラックスした様子だった。

「愛さん、どこかわからないとこなかった?」

 力の抜けた声で、希玖は訊ねる。

「大丈夫。希玖さんこそ、沙智(さち)さんの説明、わかりにくくなかった?」
「んー……」

 逆に愛に訊かれて、希玖は苦笑を抑えられなかった。さっきまで希玖は、(なつめ)沙智に数学を重点的に見てもらっていたのだが、彼女のテンポの速い解説にはついていけないこともあった。わからない所を頭の中でまとめる前に、沙智の説明が先に進んでしまうので、結局どんどんおいてけぼりになるのだった。
 希玖の微妙な反応を見て、愛は笑う。

「沙智さん、自分が頭いいからね。自分のペースで喋ってしまうから」
「みたいね。ドロシーさんも、そういうとこある」

 沙智とドロシーは、いまは下の階に降りてジュースのおかわりを準備してくれている。彼女たちが戻ってくる前に、疑問点をまとめておいた方がいいかもしれない。
 ただ、それでは休憩した意味もない。とりあえず、頭を休めることにして、希玖も肩と背中から力を抜いた。

 両手を床について、ドロシーの部屋を眺める。飾り気のない部屋の隅には本棚があって、文庫本とハードカバーがぴっちりと詰め込まれている。南向きの窓、素っ気ないカーテン、そしてポスターも何もない壁。
 だいたい、希玖の想像していた通りだ。
 本棚のいちばん端に、ひときわ大判の書籍がある。昔の高名な書家の作品の写しだ。ああしたものを手本として、ドロシーたちは自分の字を練り上げるのだという。

「慣れてる感じだね。よく来るの?」

 訊ねつつ、愛はテーブルを回り込んで、希玖のほうに近づいてくる。

「そんなことないけど……って?」

 希玖の声がひっくり返る。愛は希玖の後ろに近づき、べったりとのしかかるようにくっついてくる。ふわふわした愛の巻き髪が、希玖の耳元に触れて、ちょっとこそばゆい。

「愛さん?」
「同じ角度で見たら、何か見えるのかな、って思って」
「いや、何もないと思うよ……」

 希玖は途惑いがちに言うが、愛は希玖から離れようとはしない。エアコンが効いているとは言え、あまりくっつかれると、少々暑い。
 愛は、そのべったりした姿勢のまま、ちょっと首をかしげるようにする。うっかりすると、ほっぺたぐらいはくっついてしまいそうな距離で、希玖は内心どぎまぎしてしまうのだが、愛はちっとも意に介した様子もない。

「希玖さん、甘い匂いする」
「それクッキーだよ……愛さんだって」

 勉強会のために希玖の準備していたクッキーは、まだテーブルの真ん中に半分くらい残っている。作りすぎたかな、と思ったのだが、愛や沙智のおかげで予想よりだいぶ減っていた。
 今日は4人とも、小麦粉と砂糖の香りであふれているに違いなかった。

「もっと食べる?」

 希玖は袋の中からクッキーをつまんで、愛に差し出す。
 と、愛はためらうことなく、口で直接クッキーをくわえた。

「むぐ」

 まるで、餌をつまむ鳥の雛みたいに、愛はすこし唇を尖らせたままクッキーを飲み込んでいく。その様子を、思わずまじまじと見つめて、希玖はぼんやりとつぶやく。

「……愛さんってさ、なんていうか……」

 愛は、目線だけ希玖の横顔に向けて、もの問いたげなそぶりをする。

「近いって言うより、過剰にアグレッシブだよね」

 ちょっとあごを上げて、愛はクッキーを飲み込む。彼女の白い喉が、目と鼻の先で大きく脈打つのを、希玖はまじまじと見つめてしまう。
 希玖の目をまともに受け止めて、愛はかすかに眉をひそめた。いつも悠々として表情をあまり変えない愛が、かすかに額にしわを寄せて、不思議そうに言う。

「それは初めて言われた」
「くっつきすぎとか言われない?」
「いやがられそうな人にはくっつかないよ」

 つまり、希玖はベタベタしてもかまわない、無防備な相手だと思われているのだろうか。喜んでいいのか、微妙なところだ。

 肩の上に乗っかってくる愛の顔は、いつも通りの静かな微笑みを取り戻している。彼女の細い息がそっと頬にかかって、なんだか、背筋の震えるような感じがした。背中に押しつけられてくる、愛の体の重みと、鼓動を感じる。学校帰りから直接来たから、ふたりとも制服のままだ。白い夏服の生地の奥から、熱が伝わる。
 つかのま、耳鳴りのするような、静けさ。

「……こんなとこ、沙智さんに見られたら、怒られない?」
「むう」

 沙智の名前を出されて、愛はさすがに一瞬途惑った様子だったが、それでも希玖から離れない。

「むしろ喜ぶんじゃない?」
「……そうなの?」
「それとこれとは別腹で味わってそう。視覚と触覚の違い」
「そういうものなのか……」

 希玖はつい納得しそうになってしまうが、だからといって、いつまでもくっつきすぎているのは、なんだかよくない気がする。
 しかも、ここはドロシーの家だ。はしたない振る舞いはしたくない。たとえ一目がなくとも、他人の家ですることは、誰かに見られているように感じてしまう。

「……まあ、ともかくそろそろ離れて。さすがに暑くなってきた」
「そう? わたし、まだすこし手足が冷えてる気がする」
「エアコン下げれば?」

 肩をすくめて、希玖はちょっと後ろに体をそらす。愛は、意外とあっけなく、希玖の体を滑り落ちるように離れた。
 ドアの向こうから、階段を上ってくる足音がする。ドロシーと沙智だ。

「修羅場を見られずにすんだね」
「結局、復習するヒマなかったし……」

 ため息をついて、開きっぱなしの英語のノートを見下ろす。あらためて、自分が何をわかっていないのか、見直す必要がありそうだった。
 と、階段の方から、ばたばたと騒々しい音がする。

「何を騒いでるんだろ、あのふたり……」
「愁嘆場なんじゃない?」
「いつの間にそういう関係に……」

 まったく、勉強会のはずがみんな何をやっているのか。あきれる希玖をしりめに、愛はくすくすと笑う。

「ドロシーさんが浮気したら、希玖さんが叱ってあげないと」
「それはこっちのセリフよ……て、浮気って何」
「つき合ってるんじゃないの?」
「ないよ……愛さんこそ、沙智さんとはどうなの?」
「どう、というほど進展してもいないけれど。キスまで」

 キスはしたのか……と、希玖はとっさに口を開けない。臆面もなく事実を口にされたのもそうだし、それをちっとも隠そうとしない愛の堂々とした様子にも、いささか度肝を抜かれてしまった。
 しれっとした顔で、愛は微笑んでいる。沙智といるときも、彼女はずっと、そんな顔のまま、口づけをするのかもしれない。

 希玖は、そっと唇に手を触れる。クッキーの甘さが、口の中にずっととどまっている。
 ドアが開いたときに、希玖はどんな顔をすればいいのか、見当がつかない。彼女の覚悟を待ってはくれずに、ドアが向こうから押し開かれた。
昨日の話のアナザーサイド。
希玖が想像したドロシーの部屋については23話にて。
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