挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
72/233

第70話「モナリザやヴィーナス見て、それが浮気だって怒る恋人なんている?」

 佐藤(さとう)希玖(きく)の主催する勉強会に集まる面々はだいたい同じだが、日によっては、意外で微妙な組み合わせが成り立つこともある。
 そのおかげで、ドロシー・アンダーソンは、前々から気になっていたことを直に、(なつめ)沙智(さち)に質問する機会を得た。

「ぶっちゃけた話さ、沙智さんと(あい)さんはつきあってるの?」

 新鮮な輝きのオレンジジュースを、保存用のガラス瓶からコップに注ぎながら、ドロシーは沙智に問いかけた。
 沙智は、お盆にコップを載せた手を止め、まじまじとドロシーを見つめる。ガラスのコップに浮いた水滴が、沙智の人差し指の上で、にじむように消えていく。

「……ほんとに直球。それ、まともに訊いてきたの、ドロシーさんが初めてだよ」

 ふたりが立っているのは、ドロシーの家のキッチンだ。彼女の両親は両方とも働きに出ていて、キッチンを管理するのはドロシーの祖母だった。孫の成長に伴い、家の他の部分には立ち入らなくなっている彼女も、キッチンだけは最後の所領だとばかりに統率している。棚に並んだ食器も、水回りも、冷蔵庫の中身も、あたかもモデルルームのような美しさを保っていた。
 ドロシーが手にしたオレンジジュースも、祖母が毎朝搾っているものだ。友達を家に呼んで試験勉強をするという話をしたら、祖母は喜んで、いつもよりずっとたくさんのオレンジをミキサーにかけてくれた。

 その祖母もいまは散歩に出ていて、この家にいるのはドロシーと沙智を含めて4人。希玖と小田切(おだぎり)愛は、2階のドロシーの部屋で数学の問題に頭を悩ませている。
 頭を使いすぎて糖分を欲した一同のために、ドロシーがジュースのお代わりを取りに行くことを申し出たところ、沙智が手伝いを志願した。

 いっしょに階下におりてきたのを、ドロシーは好機だと思った。
 下世話でなかなか人前では訊けないことを、きちんと問いただす、絶好のタイミング。

 そして、沙智はドロシーの問いに、素直に答えた。

「うん。つきあってる」

 そうか、と、ドロシーは納得してうなずいた。傾けていたガラス瓶を戻して、きちんと蓋をする。4人分のコップを、ふたつずつトレイに分けて、左右対称になるように配置した。

「どうして内緒にしてるの?」
「訊かれないから」

 沙智はトレイの脇で手をぶらぶらとさせたまま、ドロシーのほうを見つめる。

「いまみたいに質問されたら、ちゃんと答えるよ。わざわざ自分たちから公にする話でもないじゃない」
「それにしては、クラスでもそんなにベタベタしてないようだけど」
「恥ずかしいでしょ、イチャイチャしてたら」
「……そうだけどさ」

 悪ぶれもせず言う沙智に、ドロシーは思わず半眼を向けてしまう。

「愛さんと沙智さん、最初からつき合ってるような雰囲気出していたじゃないの。それをいまさら」
「あれは……愛さんのせいだよ。あの子、いっつも顔が近いから」

 沙智はちょっと顔を赤らめた。額に指の腹を4本揃って当てて、かるくため息をつくその仕草には、懊悩のような、照れのような、微妙な感情が見え隠れする。

「てか、むしろ最近はちょっと距離取ってるつもりなんだけど」
「それが逆に気になるの。近づくにせよ、離れるにせよ、急に距離感が変わったら違和感が出るでしょう」
「……わかる。わかるけども。でも、だからって何も変わらないってわけにいかないもん」

 トレイの脇に手を置き、苦虫を噛んだように渋い顔を伏せた沙智の仕草に、う、と、ドロシーは胸を突かれた。

「ごめん、責めるみたいになっちゃった」
「いや、こっちも……ちょい、深刻に捉えすぎた」

 ぐりぐりっ、と、沙智はテーブルクロスを乱暴にこする。その手をテーブルの上に置いたまま、彼女はわずかに顔をもたげ、上目遣いにドロシーのほうを見つめる。

「ドロシーさんとまともに向き合うの、けっこうプレッシャー感じるんだよね」
「そ、そうかしら?」

 ドロシーは、思わず半歩退いてしまう。自分の口調が多少きつめな響きを持っているのは、自覚していなかったわけではない。でも、こうして真っ向から指摘されたのは初めてだった。

「プレッシャーは言いすぎかもしんないけど、まともに見つめられると、こう、ねえ。ドロシーさん、美人だし、目線鋭いしさ」
「それは自分ではどうにもならないよ。というか、同級生に美人とか言う? 恋人いるのに」
「いいの。かわいい女の子を観察するのは、恋愛とは別の趣味だから」
「……堂々としていてじつに清々しいわね」

 なかばあきれて、ドロシーは首を振る。小田切愛と棗沙智が、教室の窓際からクラスメートをよく見ているのは、彼女も知っていた。

「他の女子に目移りして、愛さんは怒らないの?」
「美術館にデート行って、モナリザやヴィーナス見て、それが浮気だって怒る恋人なんている?」

 愛や沙智にとって、他の生徒は絵画の中にいるみたいなものなのだろうか。それはそれで、いくぶん寂しい話だ。

「相手は生身の人間よ」
「それはもちろん。それは、なんて言うのかな……気の持ちよう。友達だし、観察対象だけど、恋人にはならない。愛さんは、前は友達だったけど、いまは恋人。水の上で浮きが動くみたいに、その場所は日々移り変わる」

 沙智は、テーブルの上のコップにかるく触れた。オレンジジュースが波打ち、水面の上できらめきが点滅する。

「ドロシーさんの書道みたいに、かっちりとしてるものばかりじゃないの」
「……よく、わからないわ」

 佇む沙智の微笑みが、つかのま、変に遠く見えた。この部屋の空間までが、彼女の言葉みたいに、ゆらゆらと波打っているのかもしれない、と思える。
 気を取り直すために、かるくドロシーはかぶりを振った。

「あんまり待たすと、おきくたちが心配するかも。ジュースもぬるくなっちゃうし」
「そうね」

 ふたりはジュースの載ったトレイを手に、キッチンを出る。ドロシーが前に立って歩き出すと、沙智がちいさく声を上げた。

「ドロシーさん、歩き方もすごいきれいだよね。ぜんぜん揺れない」
「揺れないって、何が」
「ジュース」

 目配せしながら沙智は言う。確かに、ドロシーのトレイの上のジュースはほとんど波打っておらず、凪いだ海のように平静だった。一方で沙智のトレイのほうは台風のように波立って、いまにもこぼれそう。
 その揺れによけいに焦りを助長されたみたいに、沙智の両手はますます左右に揺れ動く。

「おっと、と」
「慌てるから、よけいにパニックになるのよ。すこし待って、気持ちを静めて」
「う、うん……」

 ドロシーの忠告を聞き入れて、沙智はわずかに腰を落とし、深呼吸する。一度息を吸って、吐くごとに、コップの中の波はゆっくりと鎮まって、水面は落ち着きを取り戻していく。
 波が完全になくなってから、ドロシーも歩き出した。意識して、背筋をぴんと整えて、腰のあたりまでまっすぐに線を通すように。

「姿勢いいなあ、ドロシーさん」
「まっすぐな姿勢は正確な挙措の基本よ」
「それ、やっぱり書道?」
「思い通りの一画を書くのに、体全部が必要になるの」

 言いながら、ドロシーは階段を上る。人感センサーで照明がついて、ぱっ、とあたりが光に照らされた。
 なんとなく、二階のほうを見上げれば、愛と希玖が喋っているのがかすかに聞こえる。

「逆に、おきくと愛さんって何喋るんだろう。想像つかない」
「希玖さんが愛さんを問いつめるイメージはないもんねえ」
「だから問いつめてなんてないじゃない」

「そういえばさ、ドロシーさんは、希玖さんとはつき合わないの?」
「はあ?」

 がたん、と、手の中でジュースが揺れた。その様子を後ろから見つめる沙智の、かすかにほくそ笑む声。

「ドロシーさんもまだまだ鍛錬が足りないね」
「あなたがいきなり変なこと言うからでしょう」
「変だなんて失礼な。れっきとした恋バナですよ、女子高生の」

 すました顔でそんなことを抜かすので、ドロシーは沙智を半眼で思い切りにらみつけた。ひい、と声を上げた沙智の手の中で、ジュースがひときわ大きく揺れた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ