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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第53話「人に聞かなきゃ、自分の感情の名前も決められないなんて」

「運命の人、というのが、いると思っていたの」

 小田切(おだぎり)(あい)が、ひとりごとのようにつぶやきながら、手を伸ばす。眼前の本棚に並べられた今月の新刊の中から、薄桃色の背表紙の少女小説に指先を触れる。すこし棚から引き出すと、そこには美青年と美少女が抱き合っているイラストが描かれている。

「いるでしょう、きっと」

 安請け合い気味に近衛(このえ)薫子(かおるこ)はうなずいて、愛の横顔を見る。自分の手にした本の表紙に、あまり興味を持っていないような、ぽかんとした顔をしていた。薫子の相づちも聞こえていなかったかもしれない。

 ふたりがいるのは、学院からすこし離れた所にある、古びた書店だった。
 新刊の品揃えはあまりよくない。おそらく入荷数自体がかなり絞られていて、ちょっとマイナーな作品だとまず入っていない。
 おおむね、近くの小学生が教科書の購入や学力テストの申し込みに使う、地元密着タイプのちいさな店だ。翠林の生徒には、ほとんど縁のない店と言っていい。

 けれど、こういう場所が相応しいシチュエーションというのもある。
 たとえば、あまり親しくない愛が、神妙な顔で、薫子といっしょに帰りたいと言い出した、こんな放課後だ。

「……もしも、いるとして」

 愛はちいさな声で、文庫本をためつすがめつし、ページをめくる。表紙の男女が裸で睦み合う際どいカラーイラストを見て、愛はびっくりした様子で本を閉じて棚に戻した。
 棚に並んだ本の背に、倒れ込みそうな感じで手を置き、愛はほっと息を吐く。

「ああいう本だと思わなかった」
「女性向けの、まあ、ソフトな官能小説のレーベルなのよ」
「他の本といっしょに並んでるのね、びっくりしちゃう」
「小説は年齢制限とかないからね。何でも同列」
「……読んだことある?」
「多少は」

 親の本棚から過激な小説を覗き見したり、ネット通販でボーイズラブ小説を買って履歴を消去したり、という過去は、いくぶん恥ずかしい。ぼかしてうなずいた薫子を、愛はなんだか、英雄でも見るような目で見つめた。

「……やっぱり、私の目に狂いはなかった」
「何が? 私がいやらしいということ?」
「違う違う。色恋に詳しそう、って」
「官能小説で恋愛に詳しくなれれば苦労はないけど」

 しょせんは創作だし、彼女の読むものは男子同士の同性愛が多くて、ある意味で自分とは無縁のものだ。薫子自身は恋愛経験もないし、まともなアドバイスができる気はしない。
 そんな理由で薫子を相談相手に選んだのなら、愛の目は節穴だ。

「というか、ほんとうに、恋愛相談なの?」

 薫子の問いに、愛はぼんやりと目線を上げる。積年の汚れがまとわりついて暗い照明が、ふたりをあわい光で照らしている。店の奥のレジで、置物のような男性店主がじっと佇んでいるほかは、客の姿はない。
 時の止まったような空気を、愛のつぶやきが揺らす。

「恋愛、なのかなあ……」
「まだ疑わしい感じ?」

 微妙な問いかけ方になったのは、しかたない。初等部からの女子校通いで、女子同士の恋愛、もしくは恋愛未満の微妙な関係の話はしばしば耳にする。自分の気持ちにしっくりくる名前を付けられない少女たちが、校舎の中にひしめいていると言ってもいい。
 愛の状況が、どのくらい進展しているのか。そればかりは、本人に聞かないと分かりようがない。

 本の背表紙を見つめるように目をすがめ、愛は首をひねる。

「向こうは、恋愛のつもりなのよ。告白された」
「ふむ」

 おそらく、相手は(なつめ)沙智(さち)だろう。彼女たちふたりは、教室でもずいぶん親密そうに見えた。愛が迫って、沙智が途惑っているような状態に見えたけれど、逆だったらしい。あるいは、愛の無防備さが沙智をよけいに意識させたのか。
 そういえば昨日、帰りの電車で見かけた沙智は、すごい顔をしていた。下校ラッシュの電車でも、彼女の周りにだけぽっかり空間ができるほどの近寄りがたさで、薫子も彼女に声をかけられなかった。
 沙智は沙智で、自分の行為に相当思い悩んでいるのに違いない。
 愛にとっては、いっそう意外なことだったろう。
「で、愛さんとしては、どうしたいの?」
「それが分からないから、相談しているんだけど」
「……訊き方を変えるわ。愛さんは、さ……その相手のことを、どう思っているの」

「それが、分からないのよね」

 吐息のような声で、愛はうつむきがちに言った。

「大切な友達なの。いっしょにいて、居心地がいいし、会話もはずむ。だから、好きなのはたしかなのよ。でも、恋と呼ぶのかどうか」
「それを、私に決めて欲しいわけ? 自分の気持ちが恋か、そうでないか」

 思わず、問い返すような形になってしまった。
 薫子の声音がきつく聞こえたのか、愛は目をしばたたかせて、薫子を見つめ返してくる。そして、ゆるく首を振った。ふわふわと波打つ彼女の髪が、ほのかな明かりの下で、金糸の飾りのように揺れた。

「うん、おかしな話よね。人に聞かなきゃ、自分の感情の名前も決められないなんて」
「正直、私に求められても、どうしようもないわ」
「薫子さんならきちんと見分けられると思ったんだけれど」
「買いかぶりすぎよ。私は、何だって恋に見えてしまうもの」

 ほんのささいな触れ合いでも、あるいは相手が無機物でも、ついつい恋愛の言葉で関係を規定したくなってしまう。薫子の心性は、さすがに少々過剰だ。
 そういう言葉遣いで、生身の愛の内心を決めるのは、あまりに大雑把すぎる。

「目の前の人と、自分と、その関係のなかで決めるしかないと思うわ」
「……むつかしいね」
「簡単に解決するなら苦労はないわよ」

 そんな、教条的で、自己責任的な忠告が、薫子にできる精一杯のこと。
 ……そう言い切ってしまうには、まだ、薫子も無欲ではいられない。

 せっかく頼ってきてくれた相手の背中を、ほんのひとことでも、押してあげたかった。

 本屋の棚には、さしたる発見もなかった。そろそろ出ようか、と声をかけ、薫子は愛を連れて店を出る。
 夕方の街路に伸びるふたりの影は長くて、その影に何か後ろ髪を引かれるような心地で、薫子は歩く。その横にいる愛も、やはり迷いを残しているようで、足取りはいくぶん鈍い。

 道ばたの公園に、ばさっ、と羽の音がする。誰もいないベンチのそばに、白い鳩が数羽降りてきて、石ころを餌みたいについばんでいる。

「……運命の話だけど」

 鳩を眺めて、つぶやいたのは愛だった。一瞬、薫子はきょとんとしたが、すぐに思い出す。本屋で彼女の言ったひとこと。

「劇的な出会い、みたいなのを想像していたの」
「そんなのばかりではないわよ、人生」
「そうよね。でも……」

 愛は首をひねる。鳩は羽ばたいて、まだほの明るい夕方の空に飛び去っていく。ぽっかりと、人の姿の消えた公園を眺めていた薫子の鼻に、かすかに甘い匂いがよぎる。誰かの捨てていったアイスの包み紙が、側溝の石の上にべったりとくっついていた。

「恋に落ちるには、そういうのが、必要なのかと思ってた。それも、女の子同士なら」
「うん」
「だけど、ふつうに同級生になって、何でもなく友達になって、それで、告白されて」
「それはそれで、充分劇的だと思うわ」
「もう一声足りないの、私的には」
「わがままなのね」

 薫子もなかなかロマンチストだと思うが、愛はそれ以上だ。ひょっとしたら、そうした気持ちを養う体験があったのかもしれない。けれど、それは薫子が訊いていいことでもなさそうだ。
 うっかり口をすべらせそうな愛が語らないのだから、それだけ大事な事柄だということ。

 空っぽの公園に、愛の声がする。

「けれど、足りないはずなのに、私、すごく嬉しいの。心がわくわくして、興奮して、今にも走り出しそうで……あの子のそばにいられない今が、すごく不安で、恐くて」

 気まぐれな鳩が、ふたたび公園に降りてくる。
 それを認めて、薫子は肩をすくめた。

「愛さんにはもう、答えが出てるのではないかしら?」
「えっ」

「それは、恋と呼んでいいと思うのよ」

 人の気持ちを外から推し量るのは、不躾なことだ。
 けれど、誰かが名前をつけてあげなければ、形にならない心もある。
 初めて感じる想いなら、なおさらだ。

「……そうかな」

 愛のつぶやきは、暮れてゆく街路の果てまで、低く、しかし殷々と響いていくかのようだった。
 どこか遠く、あるいは遙かな過去に思いを馳せているような愛の横顔を、薫子は無言で見つめていた。
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