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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第47話「路傍のタンポポと同じようなものね」

 ミントアイスが美味しいから、と聞いて、小田切(おだぎり)(あい)はハイキングコースのふもとにあるログハウス風のカフェに出向いたのだった。
 平日の放課後、ひとりぶらぶらと山の方へと歩く翠林の制服姿は、あたりの景色からいくぶん浮いていたかもしれない。けれど、愛はそういうことが気にならない性格だった。自分がそこにいることに、誰に憚る理由もない。そういう行動が、彼女の自然だった。
 シュッとした容貌の店主に、薄緑色のアイスをすくってもらって、テラス席に腰を下ろした。ひとくち舐めると、舌の上がすっきりしたハッカ味で満たされる。口の中の水分がぜんぶいっぺんに温度を下げたみたいな、涼しげな心地よさだった。
 テーブルに肘をつき、ひとかけら分だけ減ったアイスを見つめて、愛はほくそ笑む。まだこんなにたっぷり味わえるなんて、なんと幸せなことだろう。

「愛さんではないですか。ごきげんよう」

 次のひとくちをかじったところで、声をかけられた。愛は、口を閉じてミントの清涼感を逃がさないようにしながら、目を上げる。
 そこに立っていたのは、初野(はつの)千鳥(ちどり)だった。小柄な身体にリュックを背負い、まるで遠足帰りの中学生みたいな格好で佇んでいる。
 数秒、愛は口を閉じたままじっと千鳥を見つめた。千鳥も、どうしてか愛を見つめたまま突っ立っている。
 口の中からミントのすがすがしさが消えたあたりで、ようやく愛は口を開いた。

「ごきげんよう、千鳥さん」
「そのアイス、評判みたいですね。店長さんも、近頃すこし忙しくなったと言っていました」
「仲良しなの?」

 カウンターで、初老の女性にアイスを渡している店主を見やる。愛想は良さそうだが、やはり大人の男性だし、ふつうに話しかけるには気後れしそうだ。彼と会話している自分の姿が、愛には想像できない。

「中等部のころから、ちょくちょく寄っていましたから。山登りから帰ったあと、このあたりで、ちょうど甘いものが欲しくなるのです」
「そういうお客さんが目当てなのかな」
「当て込んではいるでしょうね。昔は何軒も似たようなカフェや喫茶店があったそうなので、その中で生き残ってきたわけです」
「人に歴史ありだね」
「ところで、相席いいですか?」
「うん」

 愛がミントアイスをなかばまで平らげる間に、千鳥はストロベリーアイスを買って戻ってきた。すとん、と椅子に腰を下ろすと、彼女の身体はほんとうにちいさく見える。
 このなりで、ハイキングコースを上ったり降りたり、時にはまったくあさっての街の果てまで行ってしまうのだから、人のポテンシャルとはなかなか底知れない。

「ミントじゃないの?」
「好きなんです、これ」

 我が道を行く千鳥は、薄赤いアイスを思い切りかじって、目を細めている。頭にきーんと来る奴だな、と愛は察する。あれが苦手で、愛はアイスをちょっとずつしか食べられない。
 ふたりは交互にアイスを口に運ぶ。自分からいっしょに座ってきたわりに、千鳥はこちらに話しかけてはこない。ストロベリーアイスを堪能しながら、ときおり、愛の方を見たり、別のどこかに目をやったりしている。

 店の混み具合は、八割ほど、といったところだ。まだまだ夕方は涼気の方が勝っているから、テラス席も埋まってはいない。こうしてアイスを食べていても、二の腕が肌寒く感じられる。
 アイスが食べたいなら、中の席に座ればよかったかな、と思う。千鳥も同じことを考えていそうな気がした。

「何か用事でもあったんじゃないの?」

 愛の方から訊ねてみた。わざわざ寒い席を選んでまで、愛に話しかけてきたのは、それなりの訳があるのではないか、と思った。
 こういうときには、変に相手を待つよりも、自分からアプローチした方が手っ取り早い。
 両手の指でアイスのコーンを器用に支えていた千鳥が、ん、と吐息を漏らした。

「いえ。ただ、ひとりでは退屈するかもしれないな、と思って」
「……変なの」
「何がですか?」
「千鳥さん、ひとり旅には慣れてそうなのに」
「慣れるのと、受け入れるのは別ですよ。退屈には慣れていますが、退屈を紛らせてくれる事柄はいつも探しています」

 千鳥の言葉は端的だが、彼女のいくぶん平板な声音は理解を滞らせる。愛はすこしの間、言葉を咀嚼して、それから得心してうなずいた。

「私は千鳥さんにとっては、路傍のタンポポと同じようなものね」

 彼女にとっては、ハイキングの途中で花を愛でるのと、偶然出会ったクラスメートに声をかけるのとは、同じ水準に位置するのだろう。それは要するに、人も花も、同じように暇つぶしの相手と断じているに過ぎない。
 千鳥が、ちょっと眉をひそめた。

「愛さんこそ、なかなか鋭い言葉遣いをしますね」
「そう? 私は好きだよ、タンポポ。きれいだし」

 自分を野の花にたとえるのは、たしかに少々、卑下しているように聞こえたかもしれない。けれど、愛はわりと的確な評価だと思っていた。
 さして珍重もされず、どこにでもあって、平凡な花。それが小田切愛の自己評価だ。

 千鳥は、残ったアイスの半分を唇ですくうように舐め取る。わずかにアイスの赤い色合いが残る彼女の口の周りは、どこか滑稽に見えた。

「では、愛さんにとって、私はどんなふうに見えます?」
「千鳥さんは千鳥さんでしょう。他の何でもないわ」

 即答した。喩えとか、比較とか、そういうことが必要な時とは思えなかった。

「……やはり、愛さんはなかなか鋭利ですね」
「そうかなあ?」
「そんなふうに言い切られるのは、心ときめきます」

 にっこりとそう言って、千鳥はアイスを口にする。そこに浮かんだほほ笑みが、好みのアイスを堪能しているせいなのか、それとも別の理由なのか、それは愛には判然としない。
 沙智(さち)は近頃、千鳥はすこし表情が豊かになった、と評していた。沙智ほどの観察力を持たない愛には、以前との違いは分からない。
 でも、沙智の言うことはたぶん正しい。
 それを確かめられたんだから、ミントアイス以上の価値はあったのだ、と思う。

「ねえ、千鳥さん。よかったら、ひとくちもらえる?」

 ほとんどなくなりかけたストロベリーのアイスを見て、愛は問いかける。千鳥はつかのま迷いを見せたが、肩をすくめるような仕草でうなずいた。

「では、そちらのミントもください」
「契約成立」

 そう言って、愛は待ちきれずに身を乗り出して、千鳥の両手で支えられたストロベリーアイスを唇の端でついばむようにすくい取る。ミントのすがすがしさを上書きするみたいに、ねばっこい甘味が口の中に染み渡る。
 ミントみたいな非日常の味よりも、きっと、イチゴの味はこれから帰る平凡な街に相応しい。

 テーブルに身を乗り出したまま、愛はこくこくとうなずく。目を上げると、千鳥の顔がすぐそばにある。
 彼女は静かなポーカーフェイスで、しかし、かすかに眉をひそめて告げた。

「愛さん、近いです」
「なんでだろう、みんなそう言うんだよね」
「無防備なのはよくないですよ。タンポポはどこにでもあるから、かんたんに摘まれてしまうんです」

 千鳥は、手の中に残ったアイスのコーンをそっと愛に押しつける。その代わりに、彼女は愛の手からミントのアイスを奪って、さくっ、と思い切りかじった。
 数秒の後、アイスを飲み込んだ彼女は、囁き声で告げる。

「……沙智さんが怒りますよ」
「なんで?」
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