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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第42話「ヘリかジェットで孤島にでも連れて行くわよ」

 三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)が欠席したことは、担任教師の口から簡単に告げられた。風邪を引くことくらい誰にだってあるし、そういう日もある。だからみんな、取り立ててそのことを気にしたりはしなかった。
 ただ、近衛(このえ)薫子(かおるこ)だけをのぞいて。

「あの」

 声を上げた薫子の方を、生徒と教師が一斉に振り返る。視線を集めたことに気づいても、薫子はいっさい臆した様子は見せずに、中腰になるところまで立ち上がった。
 しかし、彼女のその行動は、結局中途で止まった。

「……失礼しました。何でもありません」

 そう言って、彼女は腰を下ろした。教師は薫子を追及したりはせず、他の生徒たちは、いくらか薫子の方を気にしてはいたものの、その場では何事もなく、ホームルームは終了した。


「かおさん、ちょっといい?」

 そして放課後。内藤(ないとう)叶音(かのん)が薫子に話しかけたとき、彼女は素直にうれしそうに振り返った。すでに帰り支度をすませていた薫子は、教室の後ろの扉にさっと視線をやって、叶音を誘うように歩き出す。

「珍しいわね。叶音さんが教室で私に話しかけてくるの」
「ちょい、気になってたことがあってさ。あんま、ここじゃ話しにくいかもだけど」
「どうしたの、改まって」
「朝のホームルーム」

 叶音がそう言った途端、薫子の顔がすこし変わった。笑顔がいくぶん曇り、視線は何かを探すようにあたりをさまよう。教室の中に残っている生徒はふたりを含めて数名、誰も叶音たちを気にしてはいない。薫子と叶音という取り合わせにも、物珍しさを感じている様子はなかった。
 学校、部活、放課後、自宅、休日。様々な場所、時間で、人の組み合わせは綾取りのように移り変わる。このクラスのみんなは、きっと、それをよく知っているのだ。

 だから、薫子と百合亜というつながりにも、きっと何かある。叶音は、そんな予感に突き動かされて、薫子に声をかけたのだ。

「ちょっと、静かなところで話しましょう。放課後、時間ある?」
「いいけど。どこに連れてくつもり?」

 叶音はちょっと後込みしてしまう。話を聞くのが怖い、というのではなく、警戒心だ。薫子の言う”静か”のレベルが、叶音の想像を大きく越えていたりしたら困る。セキュリティ完備の最高級ホテルの個室とか、そんなものを確保するような事態だとしたら、さすがの叶音も逃げたくなるだろう。
 叶音の様子を察してか、薫子がすこし笑った。

「そんなに怖じ気付くようなことはないわよ。私にだって、節操というものぐらいあるのだから」
「……そうなんだ?」

 感心して首をひねった叶音に、薫子は、今度はちょっと不愉快そうな顔をした。

「そういうことを言うと、本当に、ヘリかジェットで孤島にでも連れて行くわよ」
「あーはいはいごめんごめん」


 そうして、ふたりが訪れたのは、駅に近い閑静な一角にある、和風スイーツを扱うこぢんまりしたカフェだった。畳敷きの床に座布団を敷いて正座し、掘り炬燵を連想させる古い卓について、叶音はお団子と抹茶を、薫子は緑茶を頼んだ。
 薫子の提案した場所だけに、とてつもない値段がついていることを想像していたが、そこまでではなかった。何ヶ月かに一度の贅沢としてなら、来てもいいかな、と叶音でも思える程度だ。
 年月を刻んだ柱や桁は、どこもかしこも黒光りして、歴史の重みに圧倒されそうなほどだ。叶音は、神妙な面もちになって、正面の薫子を見つめる。

 ぴんと背筋を伸ばした薫子の目は、すぐ横の、額縁ほどの大きさの窓の外を眺めていた。北向きの窓からは、民家と町並みを通り越して、青い山並みまでが見渡せる。
 意外と見通しのいい席なのだ、と、薫子はうれしそうに言ったものだった。

「この席を取れてよかった。お気に入りなの」
「……それでさ」

 注文が出てくるのを待たず、叶音は、中断していた話題を切り出した。

「今朝の話だけど」

 薫子は姿勢を崩さないまま、目だけをこちらに戻した。その顔に浮かんだ表情には、暗さも、危うさもない。

「たいしたことではないのよ。ただ、ほとんど憶測だから……変に人の耳に入って、言いふらされては困るし」

 そう前置きして、薫子は、経緯を説明した。

「先生は風邪だっておっしゃったけれど、違うの。私、今朝、百合亜さんを見かけた。駅から降りたところのバスターミナルで、バスを待っていた」
「……学校行きのじゃなかったのね」
「そう。そもそも百合亜さんの家は函塚(はこづか)で、学院に行くのに駅を通るはずはない」

 函塚は、この街でももっとも古くて由緒のある住宅街で、古い家柄の家も数多く居を構えている。おそらく、百合亜もそうした旧家のひとつの生まれなのだろう。
 そして函塚は、学院のほぼ真西に位置している。登校するのに、街の南側にある駅を利用する必要はない。
 つまり、他に行きたい場所があった、ということだ。

 それは、と叶音が問う前に、薫子は言った。

「山の上に行くバスだった」
「……何で、また。千鳥(ちどり)さんの真似事でも」
「そういう意味じゃなくて、その向こう」

 すこしだけ間をおいて、薫子は告げた。

「スケートリンク」

 注文の品が届いた。
 薫子は無言で、熱い緑茶をかたむける。その様子を見ながら、叶音は、たっぷりとタレに浸かった団子をひとつ、口に入れた。たしかにおいしかったけれど、いまは、味よりも薫子の様子の方が気にかかり、そして、薫子の告げようとした言葉の意味を、じっくりと呑み込もうとしていた。

 翠林から見て山の裏側に当たるスケートリンクは、山の中腹に建てられているとあって交通アクセスはよくないが、国内でも有数の規模を持ち、しばしば大会も行われる有名施設だ。
 翠林では毎年、冬に希望者を募って合宿を行っている。叶音自身は、初等部の頃に一度だけ、遊び半分で参加したことがあるだけだけれど。

 茶托に、湯飲みが音もなく置かれる。手を離した薫子は、半分目を閉じていた。

「競技の世界というのは残酷よね。生まれ持った能力、勘、そういうものが時に、あっさり努力を蹴散らしてしまう」

 薫子はかぶりを振った。

「幼くして、才能に打ちのめされるというのは、どういう感覚なのかしら。まだ年端もいかないうちに、巨大なものに負かされて、自分の手が届かない世界があると思い知らされるのは」
「……百合亜さんが、それだっていうの?」
「何の証拠もない。そもそも、私たちが知っているような大きな出来事ではないと思うの。もっと、他愛のない、だけれど子供心には致命的なこと……」

 薫子は早口で言い募る。自分の趣味の話以外のことで、薫子がこんなに早口になるのを、叶音は初めて目の当たりにした。
 そして、ふう、と、かすかな吐息。

「私たち、自分と同じ部屋にいる人のことも、何も知らないのね」
「そんなの、仕方なくない?」

 叶音にとっては当然のことだ。分かってくれない人はどこの世界にも一定数いて、それを説得したり、理解してもらおうとするのは無駄な試みだ、と彼女は割り切っている。いくら説明しても、ある人々にとっては叶音はただの”翠林にふさわしくないギャル”でしかない。
 染めた髪を、指先でちょっといじって、叶音は薫子を見つめる。

「でもまあ、優しいよね、かおさん」
「取って付けたように言われても、うれしくないわ。それに、心持ちだけで、何ができるわけでもなし」

 つぶやきながら、薫子は茶托の縁を指で触れる。目の前で冷めていく緑茶の温度を惜しむように。ずっと同じ熱を保てないことを、寂しがるように。

「百合亜さんの横顔が、見たこともないような、なんだか……すごい感じで。何か、声をかけられなかったかな、って、今日ずっと気になっていて」
「そういうのは、別の誰かがやるよ、きっと」

 1年撫子組の教室には、何か、そういう雰囲気がある。ふしぎと、誰かが孤立したりはしていなくて、思いがけないところにつながりがあって、誰かが誰かを助けている。
 叶音が、こんなふうに薫子のぼやきを聞いているように。

 抹茶で口を潤す叶音を、薫子はすこし顔を傾けて見つめていた。

「……そうね」

 苦笑して、彼女は残った緑茶を飲み干した。
百合亜は出てこないけど百合亜の話かも。叶音と薫子のことは12話や26話で。
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