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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第40話「その”かわいい”って、バカって言ってるのと同じだと思う」

 階段の窓から外を見たら、音もなく霧雨が降り出していた。街の北側に広がる緑の山岳を、灰色の雨が覆って、あたり一帯を薄墨のなかに塗り込めようとしているかのようだった。
 舟橋(ふなばし)妃春(きはる)は、右足だけを踊り場に落として、つかのま雨を眺める。それから、かぶりを振って足を早めた。なんだか、まるで自分が雨を待ち望んでいたみたいで、そんな自分を認めるのがいやだった。
 急ぎ足で階段を降り、2階へ。

「はあい、妃春さん」

 途端、廊下の影から顔を出した真木(まき)(あゆみ)の声につかまった。
 なんだか、こうなりそうな予感はしていたのだ。妃春はしぶしぶ、という態度で歩調をゆるめ、歩の方に目をやる。彼女は、当たり前のような顔をして妃春のかたわらについてきた。だんだんと空気が湿っぽくなり始めていたけれど、彼女の様子にはいささかの湿気もない。まだ、髪の毛もまっすぐなままだ。
 妃春は、指先で自分の髪をわずかに巻いて、歩を横目ににらむ。

「とっくに帰ったと思っていたけど」
「雨降りそうだったから。妃春さん、私がいないと寂しがるかな、って」
「……バカいわないでよ」

 いつぞやの雨の日、下駄箱のあたりで会話を交わしてから、歩は妙に妃春にからんでくるようになった。
 ことに、雨が降り出すと、彼女は校舎のどこかで妃春を待ち受けて、いっしょに帰ろうとするのだった。妃春自身はそんな気はないし、むしろ避けてさえいるのだが、どうしてだか、歩はぴったりと妃春の帰り道に網を張って、つかまえてしまう。
 そうしてすることといえば、ただの雑談ばかりだ。学校のこと、友達のこと、ネットで見た動画のこと、たいていは歩がひとり勝手に話して、妃春は相づちを打つだけ。
 何度も繰り返していると、次第に慣れてくる。受け入れているというより、ストックホルム症候群にでもかかってしまったような気分だ。

 階段を、ふたり並んで降りていく。歩が何か言いたそうだったが、妃春はその前に口を開いた。

「だいたい、どうして居場所がわかるの」
「それは妃春さんがわかりやすいから」
「……嘘でしょう」

 クラスメートの大半は、彼女と話したこともないはずだった。多少なりとも彼女の人となりを知っているのは、中等部からの知り合いである百合亜(ゆりあ)くらいのものだ。
 そんな彼女のことを、どうして歩が理解するのか。

 歩はにこにこと、妃春をまっすぐ見つめてくる。彼女の視線には、ぶれがない。

「そういうとこが、わかりやすい」
「……何言っているの?」
「わからないところが、妃春さんらしいよね」
「何なの、要するにわたしをバカにしてるの?」
「違うってば。むしろかわいいって思ってる」
「その”かわいい”って、バカって言ってるのと同じだと思う」

 妃春がにらんでも、歩は意に介した様子もなく笑っているだけ。妃春はさらに問いつめようと口を開いたけれど、胸の奥で声がつっかえるような気分になって、やめた。それに、これ以上言い争ったら、喧嘩になりそうだ。しかも、妃春が一方的に癇癪を起こしているだけの、間抜けな喧嘩。

 黙って前を向いた妃春に、今度は歩から話しかけてくる。

「試験はどうだった?」
「……目標としていたくらいの点数は取れた」
「へえ、目標なんて立ててるんだ。立派だね」
「一生懸命にならないといけないのよ。あなたと違って」

 つい、余計な言葉が口をついてしまう。歩はたいして気にもしていない顔だが、言ってしまった妃春のほうがむしろ恥ずかしくて、唇を噛む。

 歩は、何にも力を入れていないような顔をして、平気で試験では高得点を取っていく。正確な点数までは知る由もないが、教師の賞賛の言葉や、周囲の生徒の様子からおおよそのところは察せられる。
 今回だって、おそらく、学年でも成績上位に入っているはずだ。だというのに、彼女は何にも囚われていないような、ひょうひょうとしたそぶりを崩さない。

 そういう態度で、歩は、しれっと言うのだ。

「がんばりたいんでしょう、妃春さんは? だったら、それってちょうどいいよね、すこし足りないくらいが」
「……何でよ」

 一階まで降りると、玄関はすぐそこだ。独特な空気の流れる職員室の前の廊下を歩きながら、妃春は、歩をふたたびにらむ。

「ちょうどよくなんてないわよ。あなたくらいの成績で、もっとがんばったら、それこそ、どこまでだって」
「欲しいの? そんな高いてっぺん」

 歩は、きょとんとした顔で首をかしげた。

「誰も手の届かないとこまで行きたいわけ?」

 今度こそ、声を荒らげてもよかったのかもしれなかった。しかし、ここで叫んだら、職員室に丸聞こえだ。歩は頓着しないだろうし、先生に見つかったら妃春ばかりが叱られてしまう。損するのは妃春だけ。
 その程度の計算をできる程度には、ぎりぎり妃春は冷静だった。声の代わりに、深い深いため息をついた。

「……上を目指したいだけ」

 妃春には、到達したい地点がある。”お姉様”はいつだって、手の届かない彼女の目標で、けれど肩を並べたい相手でもある。
 あの、気高くて堂々とした乙女を目標としているかぎり、妃春は努力をやめるわけにはいかない。

 努力自体が目的なんかではない。歩の言うことは、筋違いだ。

「上、ねー」

 廊下の床に、うっすらと湿気がつき始めている。歩との会話の記憶は、いつもそういう、不安定さの記憶と結びつくような気がする。

「宙ぶらりんになるだけじゃない?」
「大きなお世話よ、ほんとうに」
「……そうでもないって」

 めずらしく、拗ねたように歩がつぶやいた。妃春はちらりと彼女の横顔を見たが、そのときにはもう、歩はいつもの余裕げな表情に戻っている。意外と、彼女もあえてポーカーフェイスを保っているのかもしれないな、と思う。

 玄関口に近づくと、わずかに大きくなった霧雨の地面を叩く音が、鉛筆のすべる音のように聞こえてくる。

「傘、持ってきてるの?」
「私はなくても平気だよ」
「何、わたしの傘なら貸さないわよ?」
「違う違う。このくらいなら、歩いて帰っちゃう」
「風邪引くわよ」
「たまには調子を崩すくらいがちょうどいいって」

「だめよ」

 ぽん、と、思わず妃春は歩の頭を叩いてしまった。
 振り返った歩の顔は、なんだか、感情をふいに抜き取られたみたいに、骨格を失ったように、空っぽだった。表情を作ることを、忘れてしまったみたいな。
 驚かせてしまったのかもしれない、と、妃春はまばたきした。

「ごめんなさい。でも、風邪や病気を甘く見たらだめよ。人の体なんて何がきっかけで壊れるか……」

 言いかけて、妃春は首を振った。

「差し出口かしら」
「ん、ん」

 表情のないまま、妃春はちょこちょこと首を振った。そうしていると、彼女はなんだか、まるきりちっちゃな子どもだ。
 それを、かわいらしい、と呼んだら、歩は怒るだろうか。
 いや、きっと笑う。そのくらいは、妃春にも見当がつく。

「じゃあ、妃春さんの傘を借りて帰るよ」
「やっぱりその気だったんじゃない」
「ウソウソ。傘ぐらい持ってるよ」

 つかみ所もない歩の言葉にも、ようやく慣れてきた気がする。けれど、そんな成長なんて、あまり嬉しくもない。

「もう……」

 あきれてつぶやいた自分の声に、かすかに笑いが含まれていたのに気づき、妃春は我ながらすこし驚いた。そうして、ひょっとしたら初めて、歩との会話を切り上げることが、惜しくなった。
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