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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第39話「ぎりぎりを走るのって恐くありません? 綱渡りみたいで」

 中間試験が終わり、答案が返却される時期になった。苦手だった暗記教科を無難に切り抜けて、香西(こうざい)(れん)は内心ほっとしていた。
 成績そのものよりも、薫子(かおるこ)(りつ)といっしょに勉強会をした成果が出た、という事実がよろこばしい。勉強だけじゃない無駄話もたくさんしたけれど、その楽しかった時間が無益ではなかった、という証だった。

 他人を気にする余裕ができた恋は、すぐ前の席の、三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)に話しかける。彼女は答案をもらった直後、低くため息をついていた。

「百合亜さん、いかがでした?」
「どうにか、赤点は免れたよ」

 くるりと向き直って、百合亜はうなずいた。思いのほか低空飛行なレベルの発言に、恋はさすがに苦笑しか出来ない。自然と、話し声も低くなる。

「まあ、ご満足でしたら、それでいいのですけれど……」

 恋はなんとなく、教室に視線をめぐらせる。翠林のテストくらいなら何もしなくても高得点、という余裕にあふれた顔もあれば、どうせ追試だから関係ない、という諦めムードの顔もある。とはいえ、総じて無事に試験の終わった安堵感が、クラスを包んでいる。
 そんな中、恋の視線は教室の反対側の端をとらえる。窓辺の恋たちと、ちょうど教室の真ん中を挟んで対称になる廊下側、悟ったような態度で佇む芳野つづみの顔が見えた。

「聖歌隊は、成績には厳しいのでは?」
「活動の妨げにならなかったら、大丈夫だよ。つづみさんから、言質は取ってある」
「周到ですこと」

 半分開いた窓から流れ込んでくる風が、百合亜の笑顔をふんわりと撫でていく。つと揺れた髪が頬に触れた。目を細める百合亜の様子は、やはり日なたの猫によく似ている。野性味を失った代わりに、泰然とした落ち着きを宿している。
 そんな態度でいても許されるのは、あるいは彼女のちょっとした特権であるのかもしれない。

 背もたれに胸から体重を預けて、百合亜は背骨のない小動物のように、いまにも崩れ落ちそうだ。
 目の前に彼女の体が倒れ込んできたら、恋はどうするだろう。喜ぶだろうか、困るだろうか。

 すこしだけ、恋は自分の椅子に体重を預けた。百合亜と同じくらいに肩の力を抜いて、彼女と同じ時間の中に浸ろうとする。

「百合亜さんは、いつもそうやって試験を切り抜けてきたんですか?」
「だいたいね」
「ぎりぎりを走るのって恐くありません? 綱渡りみたいで」

 恋は、そんなにスリルを楽しむ性格ではない。お化け屋敷も絶叫マシンも、大の苦手だ。遊園地でいちばん好きなのは観覧車で、何周だって乗っていられると思う。ゆっくり変化する風景を、落ち着いて眺めるのが好きなのだ。
 だから、彼女は心の落ち着きのために、あらかじめ準備できることを極力進める主義だった。試験も、直前に焦らないために、予習復習をきちんとして、そのうえで勉強会も行ったのだ。

 地道に一歩一歩進む恋と、可能な限り休みながら適度に加速する百合亜とは、似ているようで似ていない。

 眠たげな猫のような百合亜の面差しが、遠く見えた。わずかに風にそよいだカーテンが、百合亜の後ろからつかのま影を落とす。

「帳尻だけ合ってればいいって思わない?」

 百合亜はそんなことを言う。それは、最後に力ずくでつじつまを合わせられる人の言葉だ。

「そう、かんたんなことでもないと思うのですけど」
「人には向き不向きがあるの。わたしには、そういうやり方が向いてるってこと」

「……うらやましいような気がします、百合亜さんのこと」
「そう?」
「私には、まだ、自分の適性は割り切れませんから」
「恋さん、実は優等生だもんね」

 茶化すような百合亜の言い方も、しかし彼女なら許してしまう。そういう愛嬌そのものが、百合亜の得がたい素質であるようにも思える。

「百合亜さんだって、充分、何でもできる素質があるように思えますけれど」
「お世辞はいいよ……」

 肩をすくめ、百合亜は椅子の脚をがたんと鳴らして、身を引いた。

「そんなつもりありませんのに。百合亜さんにだって、まだいろんな可能性があると思います」
「やだなあ、もう。私の隠れた才能、そんなにあふれちゃってる?」

 あはは、と笑いながら、いつしか、百合亜は恋の机から離れている。椅子に預けていた体も、自然に起き上がって、いつでも前に向き直れそうな状態だった。
 それに気づいて、恋は、それ以上何も言わなかった。

 逃げようとしているのなら、追いかけない。無理に追えば、よけいに気を悪くして、逆に引っかいてくる。
 ときおり校舎のあたりで見かける猫のことを思い出す。飼い猫ではなさそうで、あまり人になつくようでもなく、しばしば威嚇するような声を上げて生徒たちを恐れさせている。

 一瞬だけ、百合亜の顔が、その猫とよく似て見えた。
 彼女の中にも、まだ、野生にも似た気性の荒い部分があるのかもしれない。ただの老猫になるには、さすがにまだ早すぎる。

 百合亜は、もう話すことはない、とばかり恋に背を向け、机に突っ伏してしまう。授業が始まるまでもうすぐだが、ほんの一瞬でも、得られる眠りがあるのかもしれない。
 そういう様子こそ、よほど貪欲に見える。
 草木のように、あたりを見回し、無心に過ごすことの多い恋にしてみれば、百合亜はかなりの行動派だ。

 きっと、百合亜を見ていれば、もうしばらく退屈はしない。このクラスにはそんな、観測しがいのある少女たちがあふれている。
 だから恋は、ふしぎに安堵したような心地で、椅子に背を預ける。かすかにきしんで、椅子は、恋の体を支えた。
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