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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第35話「何もなしに、ぶらっと来て、いっしょにいてくれたら、それで」

「お土産でも買っていった方がいいでしょうか。菓子折とか」
「なんのご挨拶に来る気……?」

 国道沿いの歩道をゆるゆると、内海(うつみ)弥生(やよい)初野(はつの)千鳥(ちどり)はふたり並んで歩いて行く。夕方の幹線道路は、帰路につく学生たちでにぎわっていて、ちいさなふたりの影はロードサイドの大規模店舗の狭間に溶け込んでいる。
 翠林女学院の制服姿は、基本的にはシックで落ち着いているため、ゆっくりと歩く彼女らの姿はとても自然で、注目を集めたりはしない。ときおり、別の学校の男子とすれ違った際に、かすめるような視線を受けるくらいだ。
 いつの日にもあるような、何気ない時間だった。

 けれど、弥生にとって、この道行きはすこしばかり特別だ。
 学校の外で、千鳥といっしょにいるのが、初めてだから。

「けれど、失礼ではありませんか?」
「そんなにしゃちほこばることないよ。千鳥さんは、私の……友達なんだから」
「……?」

 千鳥は弥生をちらりと見て、首をひねる。

 友達であることを疑っているわけでもないだろう。そもそも、弥生の家に来たいと言い出したのは、千鳥の方なのだし。それとも、友達という立場だからこそ、気を遣っているのだろうか。

 弥生は目を細めて、噛んで含めるように付け加える。

「友達ってのは、遠慮なんてしなくていいものなの」
「親御さんは歓迎して下さるでしょうか」
「当たり前よ。万が一認められなくても、堂々としていればいいの。傍若無人に、女子高生らしく」

 くすっ、と弥生は笑いをこぼす。

「女の子の友達っていうのは、そんなもの」
「……なるほど。勉強になります」

 何度もうなずく千鳥の仕草は、ふだん彼女の見せない類の、幼いかわいらしさを宿していた。細い首筋が、おもちゃの人形にも似て、ぎこちなく前後に動く。
 そんな一瞬の挙動が、弥生の瞳の奥に強く焼き付く。夕陽の影のように。

 目に映る千鳥の影の輝きに、つかのま耐えきれなくなって、弥生は目をそらす。頬を包み込むように左手で押さえ、赤くなりそうな顔を隠した。

「このくらいで勉強になるなら、安いものだけど」

 半笑いでそう言って、横目で千鳥の様子をうかがう。弥生の挙動をいぶかるでもなく、千鳥はいつもと同じような歩調と速度で、平らな道をまっすぐ歩き続けている。

「そのうち、本物の勉強も教えようか? 中間試験も近いし」
「それは願ってもない提案です。ひとりだと、なかなか予習復習も捗らなくて。つい、気が散ってしまうのです」
「へえ? ちょっと意外。授業のときはすごく集中してるのに」
「実のところ、心中おだやかではないのですよ」
「……その慣用句は、その使い方で正しいの?」

 今度は弥生が首をひねる番だった。いつもながらの千鳥のポーカーフェイスからは、彼女の本気を読み取るのは難しい。

 千鳥は、すこし肩をすくめた。彼女のすぐそばを自転車が走り抜けて、彼女の髪とスカートの裾が、ふわっと舞い上がった。

「たぶん、合っています」

 横目でこちらを見た千鳥の口元には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
 ひょっとしたら、今この瞬間も、千鳥の心は千々に乱れているのかもしれなかった。

「……こっち」

 広くて交通量の多い道路から、ひとつ角を曲がると、落ち着いた雰囲気の住宅街に入っていく。まばらな子どもの声が、やけに大きく聞こえてくる街角を、ふたりは長い影を引きずるように歩く。
 野辺にひっそり咲いた紫色の花の上を、影が通り過ぎる。

「今朝はありがとうね。おかげで、教室、いつもよりちょっと華やかじゃなかった?」
「あのくらいなら、おやすいご用ですよ」

 今日の朝、千鳥は真っ赤なサルビアを摘んできてくれた。花瓶にさすと、はじめはいささか派手な感じに思えたものの、初夏の力強い空気にはよく馴染んだ。クラスでもめざとい何人かは、花に目をとめて、気にしている様子だった。
 いつも、何気なくあるものでも、ほんのすこしの変化で人の気を引くものだし、そうしたかすかな心の揺動が、そのうち大きな感情に変わる。
 たぶん、そういうものだと思う。

「せめて、これから花でも摘んでいきましょうか」
「だからいいって、そういうの」

 千鳥がまだ心残りな様子で言うので、弥生は首を振る。

「手ぶらでいいんだよ。何もなしに、ぶらっと来て、いっしょにいてくれたら、それで」

 言葉にしながら、しだいに弥生の声は消え入るように低くなっていく。視線がそれに併せて沈んで、アスファルトの黒みが視界を覆っていく。
 かたわらで、千鳥が何度も瞬きしながら、あのアーモンドのような形の目で弥生の横顔を見つめている。驚きに似た気配を漂わせながら、ずっと、弥生に意識を向けている。

 見えなくても、ひしひしと伝わる空気に胸を締め付けられながら、弥生は、言葉を続けていく。

「何か与えたり、何か収穫してきたり、何か手伝ったり、そういうのが欲しくていっしょにいるわけじゃないんだから」

 そっと、目線を持ち上げた。
 千鳥はぽかんとしたような、表情の失せた顔で弥生を見つめていた。

 何もしなくていいから、そばにいて欲しかった。
 それだけの単純な願いは、よけいに口にするのに勇気がいるから、弥生はまた頬に手を当てて、口元を手のひらで覆い隠して、言葉をとぎれさせてしまう。

 長いように思えた家路は気づけばあっという間で、次の角を曲がれば弥生の家だ。もう白い屋根が目に入っている。
 その角を曲がりかけて、オレンジ色のバックミラーの下で、ふと、弥生は足を止めた。
 半歩前に出た千鳥が、立ち止まり、振り返る。

 寄り道もしないできてしまったことが、今更ながら悔やまれた。

「……千鳥さんは、いっつも、私にいろんなものをくれるもの」

 こらえきれずに転がり出たような、重たい言葉だった。

「私の手の届かないところに平気で行って、決められた道なんか知らん顔で、思いも寄らないものをたくさんてに入れてくるから」

 山道から摘んできてくれる花。
 ブックカバーのための大きな帆布。
 ちょっと怖いおみやげ話。

 そんな何もかも、弥生には手に入れられなかったものだ。
 その奔放さが弥生にはまぶしくて、ときおり、まともに見られなくなる。
 だから切なくて、痛い。

「そんなことはないです」

 夕影に染まる千鳥の横顔が、ふっと微笑んだ。

「私だって、決まりきった道筋を進んでいるだけ。臆病だし、石橋は叩いて渡るし、吊り橋は誰かと手をつないでないと怖くて歩けません」
「……そうなの」

 冗談とも本気ともつかない千鳥の言葉を、弥生は真に受けた。
 思わず、千鳥の足下に目をやってしまう。彼女の頑丈なブーツには、すこしの震えも見られなくて、しなやかな足は揺るぎもせずに少女を支えている。

「だけど、私には、その道筋がどこにあるかもわかんない」
「世界は広いって言うだけです。そのうち見つけられますよ」

 かんたんなことだ、とばかり、千鳥はそう言った。

 ほんとうに、弥生にそんなことができるのだろうか。さほど強い意志もなく、言うがままに翠林に入って、抵抗もなく進学して、その先の展望もまだわからない自分に。

 けれど、千鳥が言うのなら、可能なのかもしれない。
 知らない道を行って、宝物を拾ってくることが。

 その最初の一歩が、きっと、この先にあるのだろう。青い鳥はすぐそばにいるもので、旅路はいつだって自宅の居間から始まる。

 弥生は顔を上げた。千鳥は、待ちこがれるような面差しで、ずっと弥生の方を見ている。
 始まりは、もうすぐそこだ。
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