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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第34話「深追いは、私も、しないつもりでいたのです」

 グラウンドと外を隔てる緑色の金網の前に、初野(はつの)千鳥(ちどり)が突っ立っている。彼女の白い顔に、菱形の影がいくつも連なって模様を描いているのは、桜川(さくらがわ)(りつ)には、何か新しい舞台演出のように見えた。
 教室の一番前で姿勢良く座っている千鳥の姿は、律の目にもよく印象に残っている。ときどき疲れたみたいに突っ伏していることもあるけれど、たいていは、いつもまっすぐ首から背筋まで一直線に伸ばしている。その様子は、まるで、芯の入ったドールのようだな、と思うことがあった。

 けれど、いまそこにいる千鳥は、その芯が抜けたまま姿勢だけ保っているハリボテに見えた。外側の力だけで形状を維持しているけれど、触ればすぐに崩れそうな。

 千鳥の目の前に、サッカーボールが飛んでくる。
 がしゃん、と音を立て、ボールが金網を直撃した。
 千鳥は、微動だにしない。跳ね返ったボールが土の上を転がる音が、地面の上をすべるように聞こえてくる。

「だいじょぶ?」

 律は、思わず声をかけていた。千鳥は、機械みたいな仕草で振り向く。

「フェンスが守ってくれました」
「まあ、平気ならいいけど……あ、髪にホコリついてる」

 千鳥に歩み寄って、律は彼女の前髪についた茶色の土埃をぱさぱさと払い落とす。千鳥は律のなすがまま、手を動かそうともしない。ぼんやりとした瞳は、グラウンドの方を向いてはいるけれど、なんだか、どこにも焦点が合っていないように見える。
 芯が入っていない、と言うより、魂が抜けてしまったのかもしれなかった。

 なんとなく律は、千鳥が顔を向けている先に目をやる。赤と白のビブスを着たサッカー部員たちが、左右に分かれてミニゲームをしている。ドリブルもパスワークも、いちおう形にはなっているが、スピード感がまったくない。スポーツは門外漢の律でも、この部活は一回戦負けの常連だ、と一目で分かる。
 サイドラインの脇で、同じクラスの飯塚(いいづか)流季(るき)がひとり気炎を上げている。指示を出したりだめ出ししたり、その迫力は他の部員を圧倒していた。しかし残念ながら、彼女はマネージャーだ。

「何を見てたの?」

 見るべきものなど何もないだろう、という意味も含ませながら、律は訊ねた。
 千鳥は、律へとふたたび向き直り、首をかしげる。

「……見ていた、のでしょうか?」
「訊かれても困るよ」
「むしろ、聞いていたような気がします。サッカーボールの飛び交う音」
「ふうん……」

 煙に巻かれたようでもあり、逆に視界が鮮明になったような気分でもある。そう思って、ロングボールが蹴られる音や、ゴールポストに当たる音など聞いていると、そのゆったりしたリズムはなんだか眠気を誘う。たしかに、クラシックの一種に近い。
 そのリズムを感じているのかいないのか、千鳥はぼんやりと立ち尽くしたまま、ゆっくりとまばたきだけを繰り返す。
 ふたりで、つかのま、トリップするような気分になる。

 赤いビブスのチームのディフェンダーが、大雑把なロングボールを蹴り出す。右サイドの選手がそれを追いかけて走って行くけれど、追いつけないまま途中で息切れしてしまう。
 両膝に手をついた彼女に、流季が外から指示を出す。

「深追いしないの! 追いつけるかどうか、ボール見て判断して!」

「深追いするな、なんて無理だよ」

 思わず、律の口から苦笑がこぼれた。

「あれ、って決めたら、わたしはどこまででも追いかけていっちゃうなあ。ブレーキなんてかけられないよ」

 推しを決めて、応援するというのは、つまり歯止めの利かない坂道を滑り落ちていくようなものだ。一目見た瞬間に転落が始まって、それを止める手段は自分にはない。
 そんな、自虐めいた律の言葉に、ふわりと千鳥は振り返った。やわらかそうな髪が、フェンスにちょっとかする。

「……深追い」
「どうかした?」
「深追いは、私も、しないつもりでいたのです。トンネルの奥とか」

 かしゃん、と、フェンスの揺れるちいさな音が、金属の網を伝ってグラウンドの果てまで消えていく。

「安全ではないルート、人跡未踏の地に踏み込めば、当然、事故の可能性は高まります。興味はわきますが、生きて帰るためには万全の準備が必要です。いまの自分では届かない、ということくらい、自覚しています」
「……あの、ごめん、ちょっと話が飲み込めない」

 律はいちおうそう言ってみたが、千鳥は聞く耳を持っていない様子だった。その目さえ、律を見てはいない。

「すこしずつ、見知らぬ道を進んで、未知の領域を既知に塗り替える。それは堅実に行われるべきだと、そう思っていたのです」

 ぴぃっ、と、甲高いホイッスルが鳴る。ころころと地べたをバウンドしながら、ボールがゴールネットのすぐそばまで転がり、止まった。白いビブスの少女たちが、いっせいに諸手を上げて喜びを露わにする。紅白試合としては過剰なくらいのはしゃぎようだった。

 千鳥は、ちいさく首を振った。

「未知のものに、全身で飛び込んでいきたい、などと思ったのは初めてだったのです」
「……私、そういうことばかりだけど」
「人生観が違いますね」

 聞いていないようで、ちゃんと聞いていたらしい。どうにも千鳥のペースはつかめないな、と、律は実感する。
 いつも千鳥といっしょにいる内海弥生などは、千鳥とどんなふうに呼吸を合わせているのだろうか。

 紅白戦はふたたびキックオフ。センターサークルにいた選手のパスは、誰にも届かずにラインを割った。何やってるの、と流季が声を荒げる。
 さすがに、律は帰りたくなった。

「……千鳥さん、いつまでこうしてるの?」
「さあ」

 首をかしげる。とことんまでマイペースだ。ひとりで街中どころか山のてっぺんまで歩き回っているらしい千鳥と、イベント会場で行列に並ぶのがせいぜいの律とでは、どうしたって噛み合わない。
 けれど、この数分が、律や千鳥の歯車に、影響を与えないとも言いきれない。いつまでも続くみたいに響くボールのリズムが、ふいに、心臓の鼓動か何かのように、ふたりを目覚めさせるかもしれなかった。

 だから、律はすこしだけ気まぐれを起こして、退屈なリズムに身を預けることにした。
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