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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第26話「美しいものは、保存しておきたいと思うものでしょう?」

 近衛(このえ)薫子(かおるこ)が、前触れもなくしゃがみ込んだ。隣を歩いていた内藤(ないとう)叶音(かのん)はぎょっとして足を止めた。

「ちょ、かおさん?」

 昼下がりの街中、路上でいきなり座り込むなんてただ事ではない。急病かも、と、心配げに叶音は薫子の背中に声をかける。
 と、振り返った薫子は口元に人差し指を当てて、低めた声で叶音を制する。

「お静かに」

 視線の迫力にひるんだ叶音が押し黙ると、薫子はすぐに路上に向き直る。
 彼女が見ていたのは、路上に打ち捨てられていたプラスチックのコップだった。近くのコンビニで売っているドリップコーヒーのカップだ。半透明のカップの中で、溶け残った氷がごちゃっと積み重なっていて、白いストローがその山の中心を貫通している。
 氷の山が、陽射しの圧力に屈したように、からりと崩れた。

 その瞬間を、薫子はスマートフォンで写真に収めた。
 立ち上がって向き直った薫子の表情は、しごく満足げだった。心なし、肌つやもさっきよりてかてかしている。

「コップとストロー……いえ、氷の方かしら。どちらが……」

 口を開いた薫子は、叶音の不審げな視線を受けて、ちいさく首を振った。

「何でもないわ。失礼」

 彼女がこう言うときは、どうせ叶音に分からない何かが見えているときだ。話を聞いても無駄だ、と叶音は察する。

「……ま、いいけどさ。もう大丈夫?」
「ええ、お騒がせしました」

 そう言って、薫子はふたたびしゃがんで、打ち捨てられたカップを手に取る。つかのま名残惜しそうに、水滴のついたカップの表面を指先でなぞると、それを手にしたまま歩き出した。こういう生真面目さが、彼女の美徳ではある。
 叶音も歩き出し、薫子の隣に並ぶ。二人の歩調は、ゆったりとしたものだ。休日の昼下がり、ほどよく賑わう街中を、目的もなく歩くだけ。どこか居場所を見つけるまでの、ささやかな自由時間。

「写真、そんなに気に入った?」
「ええ、思った以上に楽しいわ。手軽に撮れると、ついあちこち目移りしてしまう」

 ここしばらく、薫子は写真に凝っているようだった。
 被写体に選ぶのは、さっきのように何でもなさそうな路上のゴミだったり、何気ない公園の景色だったり、時にはクラスメートだったりする。彼女なりの基準はあるようだが、叶音にはよくわからない。
 薫子が楽しそうなのはいいのだが、それが、どうも危なっかしく見えるときがある。

「気をつけなよ。いきなり路上で止まったら危なっかしいじゃん。それに相手も選ばんと」
「このあいだは叱られてしまったし」

 しゅん、と肩を落とすようなそぶりの薫子だが、その表情はどこか、楽しそうでもあった。
 すこし前、教室でじゃれ合っているクラスメートたちの様子を、薫子がいきなり写真に撮ったことがある。そのとき被写体になった飯塚(いいづか)流季(るき)は、薫子に冗談混じりの文句を垂れていた。向こうも本気で怒ってはいなかったようだし、なあなあで済んだことには違いない。
 けれど、もしも相手がしゃれで済ませてくれなければ、どうなることか。

「ですけど、これぞ、という瞬間に出会うと、つい手が動いてしまうのよね」

 右手の指を動かしながらほくそ笑む薫子の目は、きらきらと輝いている。物事にのめり込んでいるときの彼女の瞳だ。ゲーセンでフィギュアを狙っているときや、映画のパンフレットを熟読しているときと同じ。

「美しいものは、保存しておきたいと思うものでしょう?」

 うっとりとした彼女の声に、しかし、叶音はあまり素直にうなずけない。薫子の言う美しさの概念が、叶音とは隔たっているというのも一因だけれど、そればかりではなかった。

「そっかな?」
「叶音さんも、よく写真を撮ってらっしゃるじゃない? さっきのカフェでも」
「あんなの、流してるだけだし」
「流す?」
「共有してるってこと。ラインにあげて、みんなに見せて」

 たっぷり蜂蜜のかかったパンケーキのフォトなんて、その場でアップして、見てもらうくらいの用途しかない、と叶音は思っている。きれいにおいしそうに撮れれば嬉しいけど、保存しておきたいわけではない。実際、ものによっては自動的に消えてしまって、どこにも残らないことだってある。
 フォトが永遠に残るなんていうのは、知らない人に晒されて炎上するときだけ。そういう危険を冒さないように、叶音は、撮るべきものを選んでいる。

 薫子の写真は、きっと、そういうものとは違うのだ。だから、平気でクラスメートをスマホで撮影したりする。

「かみ合わないのかなあ、あたしとかおさん」
「一事が万事と決めつけるのは早いわよ」

 叶音のぼやきを聞き咎めて、薫子は苦笑混じりに言った。

「それに、叶音さんも、私との写真は大切に保存しているでしょう?」
「写真……てプリのこと?」

 一瞬、それに思い至るのに時間がかかった。スマホで撮るフォトと、機械で撮るプリと、それとはまた別の、写真。叶音の頭の中では、それらは別のカテゴリーで、普段はつながらない。
 薫子は長いスカートに手をやり、ちいさなプリ帳を取り出す。表紙がやたらにデコられた、高校生が持つにはいくぶん子どもっぽいものだが、駅ビルの雑貨屋で見つけたそれを薫子はたいそう気に入って、プリを全部それに貼りつけていた。

 彼女がプリ帳を開くと、そこにはふたりで撮ったたくさんの記録が、ずらりと並べられている。1年も前のものだと、ファッションもまるで変わっているし、はしゃいでデコった書き文字はなんだかみっともなくさえ思えて、気恥ずかしい。
 それを、薫子は満足げに見下ろした。

「私にとっては、どれもこれも、永遠に取っておくに値するものだもの」
「……永遠って、言い過ぎ」
「そう?」
「そうだよ」

 頬に手を当てて、ちいさな声でつぶやく叶音を、薫子はふしぎそうに横目で見つめる。無邪気でもあり、底深くもあり、どこか、やけに自分に近しくも感じられる視線。
 それはなんだか、魔法の鏡みたいだ。自分を素材よりずっときれいに映してくれる、プリのデコペンよりもはるかに上等な代物。

 彼女の目に映る自分を見るのは、こそばゆくて、けれど、きっと病みつきになってしまう。

 逃げるように、叶音は足取りを速めた。かわいい服見つけた、と言い訳がましく言う彼女を、薫子がふしぎそうに追いかけてくる。
流季の写真の顛末は、第14話にて。
11/21:薫子の口調を修正しました。
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