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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第230話「何でそう、みんな私を年下好きみたいにいうわけ?」

 おなじ敷地の隣り合った区画にあっても、中等部の放課後の空気は高等部とどことなく違う。放課後まで残る生徒の数は中等部のほうがすくないはずなのに、昼の残滓がいつまでも残り続けているかのように、かすかな熱気が醸し出されているように思える。
 半年ちょっと前までここに通っていたはずなのに、もう、懐かしい。

 光原(みつはら)青衣(あおい)は、ぼんやりした感慨を抱きながら、中等部の敷地の東の端、あまり生徒の使わない通用門の前に立っている。業者の車が出入りすることの多い通用門の周辺は、翠林の清らかさに似つかわしくなく、いつもぼんやりと煤けたような空気が漂っている。
 あたりは暗い。眼前にそびえる体育館の威容が、周辺に夕暮れの長く黒い影を落としているのだった。
 その影のなかに、青衣は真っ暗に溶け込んでいることだろう。

 体育館の高い窓から、ハンドベルと賛美歌が漏れ聞こえてくる。
 もちろん中等部にも聖歌隊はある。中等部の期末試験はもう終わっているし、彼女たちの晴れ舞台である降誕祭も間近とあって、練習にも熱が入っているようだ。
 まだどこか初々しさの残る歌声を、青衣はぼんやりと聞き流す。

「……青衣さん」

 目の前に現れた人影の声は、クラスメイトのものだった。いぶかしげな声に、青衣は眉をひそめて視線を返す。
 体育館の出入り口からこちらに向かってきた芳野(よしの)つづみは、青衣の前に足を止めて、当惑したような、あきれたような目で青衣を見つめた。

「わざわざ着替えてきたのですか?」
「悪い?」
「……厳密には、校則違反ではありませんが。でも、品格というものがあるでしょう?」

 青衣は、いまは私服だった。当然ながら彼女の私服は、漆黒の生地に、白いフリルと金銀のアクセサリーをちりばめたものだ。
 これ見よがしに手首を飾る銀のロザリオに、つづみがうろんな視線を据える。

「そのなりで校内を歩かれては」
「ぎりぎり校内には入ってないつもりだけど」

 正確に言えば、青衣がいるのは通用門の前の路上で、かろうじて翠林の敷地ではない。校則だの品格だのを盾に、つづみにとやかくいわれる筋合いはない、といえばいえる。

 青衣の屁理屈に納得したわけでもあるまいが、つづみは苦笑して肩をすくめた。 

「……まあ、放課後のことまで、目くじら立てる気はありません」
「そうしてくれるとうれしい」

 青衣も笑みを返して、今度はつづみの顔をまっすぐ見つめる。いっさい隙のない制服姿のつづみは、きつく編み上げた髪を指先でかきあげながら、どこか懐かしむような目であたりを見やっている。

「つづみさんは、どうしたの?」
「中等部の聖歌隊と、降誕祭のことですこし打ち合わせがありまして」
「そういうの、上級生とか先生がやるもんじゃないの?」

 青衣の問いに、つづみは微妙な笑顔で首をひねる。

「……なんだか、私、先生にやけに気に入られているようで。ことあるごとに呼びつけられるのですよね」
「大変だねえ」

 何しろ、つづみは敬虔で生真面目で規律に厳しい、カトリック系の女子校としては模範的な生徒だ。大人たちが気に入るのも当然だろうし、頼りにしたくなるのもわかる。
 ただ、つづみ自身は、案外それを喜ばしく思っていない様子だった。
 普段の、穏和でありながら鋭さを併せ持つ笑みが、いまはちょっと疲れ気味にたるんでいた。

「期末試験もありますし、私自身、まだまだ修練が必要な身ですから。あまりこういう、事務だの調整だのに煩わされたくはないのですよね」
「まあまあ、誰かがやらなきゃいけないことだし」
「青衣さんにいわれたくはないですね、そういうこと」

 むっとしたような、けれどほとんど冗談めかした口調で、つづみがこぼす。その意外な気安さに、青衣はちょっと驚いた。

 先生のお気に入りで、そのせいで厄介ごとを背負い込まされるつづみと、はみ出しもので、それ故に責任から逃れて好きにしていられる青衣とは、まるで対極だ。
 青衣自身は、つづみや、彼女に代表される聖歌隊的なるものには関わり合いにならないまま、この10年を翠林で過ごしてきた。
 つづみのほうは、たぶん、青衣のような存在を煙たがっていただろう。

 『冒涜的』な服をまとう青衣を、つづみが本気で悪魔払いしようとしている、なんて噂も耳にしたことがあった。それさえ、あながち事実無根ではなかったかもしれない、と思わせるようなところが、芳野つづみにはある。
 つまるところ、彼女はいささか、不寛容な人間なのだ。
 青衣は、そう思っていた。

「試験もそっちのけで、年下の子にうつつを抜かしてらっしゃるんでしょう?」

「……何でそう、みんな私を年下好きみたいにいうわけ?」

 つづみの真顔の軽口に、青衣はため息交じりにぼやいた。まさか、つづみにまでそんないい方をされるなんて、さすがに想像もしていなかった。
 夕方の陰影のなかで、つづみの微笑みは自ずから光を発しているみたいに、華やいだ。

「だって、そうではないのですか?」
「年下だからってわけじゃないんだって。最初に見たときは、年も、名前も、何も知らなかったし」
「あら」

 ちょっと口元に手を当てて、おどけたような仕草を見せつつ、ちょこちょことつづみはこちらに歩み寄ってくる。まるで青衣の姿を探して、見つけて、捕まえようとしているみたいに。
 きょろり、と、いたずらっぽく瞳を揺らして、つづみは微笑む。

「何やら、曰くありげですね。興味があります」
「つづみさん、そんな下世話な話、興味あるの?」
「ええ。私もどうやら、多少は丸くなったみたいです」
「自分でいうかな」

 皮肉っぽい声は、しかし、動揺をごまかしているだけだ。本来いるべきでない距離感まで近づかれたような気がして、青衣はつづみに対して、たじろいでいた。
 いまこの瞬間なら、青衣はほんとうに、つづみに征伐されてしまうかもしれなかった。

 一方のつづみは、何の気兼ねもなさそうな表情のまま、ひょい、と一歩しりぞく。

「でも、私がここにいてはお邪魔虫でしょうかね」
「そうだよ、邪魔邪魔」

 わざと邪険に手をひらひらと振る青衣。手首で、ロザリオがちいさく音を立てる。ほんの一瞬、ロザリオの端がきらりと光って、空中に残像を描いた。
 つづみは後ろ向きに歩きながら、青衣の顔を見つめて、目を細める。
 その表情は、夕暮れの影の中へと消えていく。

「では、失礼」

 ちょこんと頭を下げて、つづみは去って行く。いくぶんおどけた表情を見せても、その姿は常にまっすぐで、端整で、影の中に細筆で描いた立像のように確かな軌跡を残した。

 あんなふうにはなれそうもないな、と、青衣はちいさくかぶりを振った。
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