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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第219話「部活の先輩がさ、ああいうの、いつも鞄につけてるんだよ」

 文化祭の余燼がいまだくすぶっている高等部の校舎内には、どことなく浮ついた空気が漂っている。行き交う生徒たちの語らう声も幾ばくか高い音階を響かせていて、その端々に笑いは絶えない。彼女たちの足取りは、いまにもスキップに移り変わりそうな身軽さで、突然誰かと衝突してもにこやかに許してしまいそうな浮き足だった感情があらわだった。

 そういう彼女たちは、自然、距離が近い。
 すれ違った同級生が、ひどく顔を近づけてことばを交わしているのを横目に見て、香西(こうざい)(れん)はつい目を細める。

 やはり、こうしたイベントのさなかやその直後には、何かが起きているものだ。祭りや行事というのは、熱や触媒のようなもので、試験管のなかに強い反応を喚起し、新たな結合や物質を生み出してくれる。
 そんな反応の成果物を眺めるのが、恋にとっての喜びだ。
 桂城(かつらぎ)恵理早(えりさ)が実験化学を楽しむのと似た心持ちで、恋は、人間関係の化学を楽しんでいる。先ほどの授業で使った薬品のにおいが、まだ袖に残っているのを感じながら、彼女は恍惚の面もちになる。

「気になる? 恋さん」

 突っ立ってしまった恋の背中を、誰かの声が押した。はたと振り返ると、すぐ後ろに小室(こむろ)雪花(せっか)がいる。
 雪花の視線は、先ほど通り過ぎていったふたりの生徒のほうに向けられている。

 彼女たちの指先には、お揃いの赤いリボンが巻かれていた。使い古したようなサテンのリボンは、しかし、少女たちの細指を彩ることで、まるでエンゲージリングのような輝きを発して、鮮烈な印象を恋の瞳に残した。

「あのリボン。ああいうの、うらやましい」
「……雪花さんがそういうことをいうの、意外です」

 恋は細い目をちょっと見開いて、雪花を見つめた。彼女とは家も近く、恋の親が雪花の祖母の教え子という関係もあって、わりと幼い頃から親しくしている。しかし、彼女がこの種の、女性同士の強い親愛関係に興味があるとは、ついぞ聞いたことがなかった。

「いや、恋さんの思うような話ではなくて」

 雪花は、いつものようにけだるそうな声でそう釈明しながら、首をかしげる。

「それとも、ひょっとしたらそれに近いのかな。いまいち私にはよくわからないけど」
「……何か、リボンにこだわりでも?」
「リボン、というか」

 言い合いながら、どちらからともなく、ふたりは歩き出している。教科書とノートを両手で胸の前に抱え、自分たちの教室へと戻りながら、雪花はつぶやくようにことばを連ねる。

「たぶん、あれって文化祭の飾りだよね」
「でしょうね」

 教室での展示や飾り付けに用いた板きれやリボンは、終了後に廃材として処分されたり、キャンプファイアよろしくグラウンドで燃やされたりする。しかし、なかには、祭りの名残を惜しむかのように、喫茶店のメニューの一部とか、リボンの切れ端とかを、宝物として持ち歩く生徒も多いという。
 先ほどのふたりがつけていたのも、そういう類だろう、と思われた。

「部活の先輩がさ、ああいうの、いつも鞄につけてるんだよ。先輩のは、カフェで使った小物なんだけど」
「……それも、誰かとお揃いの?」
「うん。そのとき同じクラスだった人だって。水泳部の練習、ちょくちょく応援しに来てる」
「いいですね」

 恋の好物としかいいようのないエピソードだ。しかし、そこに過剰に食いついては雪花の話の腰を折ってしまう。恋は強いて気持ちを抑えて、雪花の続きを促す。
 雪花は、一瞬、ことばを選ぶように口ごもった。

「……うちのクラス、結局、たいしたことしなかったからさ。部のほうも、水泳部じゃね」

 恋の知る限りでは、水泳部は文化祭には参加していない。11月の、水のないプールと肌寒いプールサイドで、生徒たちがいくら工夫したところで何かができるわけもなかった。

「何か、形に残したかったのですか?」
「まあ、そういうこと」

 うなずきながら、雪花は、ぎゅっと教科書を胸に押しつけるようにする。
 恋にも、彼女の気持ちはわかる気がした。人間関係は長く続くけれど、お祭りの騒擾や享楽はいっときだけのものだ。その一瞬の感情を、形に残す方法があるのなら、それを手にしたいと思うだろう。

「来年があるなら、クラスで何かしたいね」
「次のクラスは活気があるといいですね」
「……気が早いか」

 苦笑する雪花。しかし、恋はそんなに遠い話をしたつもりはない。文化祭が終わり、期末テストが終われば、すぐに冬休みになる。短い3学期が過ぎたら、もう2年生だ。

 ことばを交わすうちに、ふたりは1年撫子組の教室の前まで来ている。廊下の窓から見渡せる山地も、とうに紅葉の季節を過ぎて冬枯れの茶色に染まっていた。力ない灰色の空の下で、山はひと冬の眠りにつこうとしている。
 けれど、まばたきするのと同じような速さで、きっと山は春には新しい青葉をつけることだろう。

 青春なんて、ほんとうにあっという間だ。

「じゃあ、雪花さんには、わたしの文化祭の思い出を分けて差し上げましょうか」
「何かあるの?」
「ええ。文化祭の各所で撮影した、秘蔵の写真集が」
「……盗撮は犯罪だよ」
「人聞きの悪い」

 青ざめる雪花の額を、恋は指先でこづく。その手で、ひょいとスマートフォンを取り出して、ひらひらと振った。

「そんな、人目を忍ぶ出来事を撮影するほど野暮ではありません。そういうのは頭のなかにだけとどめておくものです」
「見てはいるんだ」
「わかる人にだけわかるレアグッズのようなものです。見つけてしまったものは仕方ないでしょう?」

 恋のことばに、雪花はまだ納得していない様子だったけれど、しぶしぶという感じでうなずいた。単にあきらめられたのかもしれない、と思うが、恋は気にしないことにする。

「で、写真、って誰の? クラスの誰か?」
「まさか。どうして他人の写真を第三者に譲渡するのですか。もちろん、雪花さんのですよ」
「……ちょっと待って」
「雪花さん、初日の夕方に教室で居眠りしてましたでしょう? 寝顔、ずいぶんかわいらしかったですね」
「消して!」

 すごい剣幕で襲いかかる雪花を、恋はひらりとかわす。たとえ相手が水泳部員でも、動きの敏捷さで恋は負けるつもりはない。体は重たくても、俊敏さには自信があるのだ。
 雪花の手から隠すように、恋はスマートフォンをポケットに放り込む。教室に飛び込みながら、彼女は振り返って、いたずらっぽく笑う。

「これだって、わたしのたいせつな、ほんとにたいせつな、宝物なのですよ!」
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