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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第218話「神様だって世界のすべては救わないじゃない」

 文化祭の翌日。休校日となったその日を、武藤(むとう)貴実(たかみ)は部屋でのんびりと過ごすつもりだった。
 それなのに、朝から届いたメッセージに呼び出された。彼女はたいしたおしゃれもせずに家を出て、あくび混じりの足取りで、待ち合わせ場所の古い喫茶店までやって来た。
 駅南の商店街は、一昔前は街の中心だったが、ショッピングモールに取って代わられたここ十数年はすっかり寂れている。薄汚れたアーケードと空白だらけの看板に取り囲まれた、その商店街の一角にある喫茶店。風化して乾ききったようなランチメニューのサンプルを横目に、彼女はそこに足を踏み入れる。

「こちらです」

 いちばん奥のテーブルから、制服姿の芳野(よしの)つづみが貴実を呼んだ。彼女の前には、すでに甘ったるそうなソーダフロートがあって、貴実のことをいっしょに待っていたように見えた。

「ごきげんよう。どういう風の吹き回し?」

 まっすぐにつづみの前の席に腰を下ろす。隅っこの革が破けてクッションがはみ出していたが、座り心地は悪くない。テーブルの上をさっとハンカチで拭く。水を出してくれた店主にピラフを注文して、貴実はあらためて、つづみに向かい合った。

「休みの日につづみさんに呼び出されるなんて、何事かしら」
「……もしや、警戒していらっしゃいます?」
「そうじゃないけど、意味がわからないから」
「深い意味などありませんよ。ただ、貴実さんを労おうと」

 そういって、つづみはきっちりと編み込んだ自分の髪をさっと撫でる。休日で、普段は対面しない相手と会うのにも、彼女は学校に来るのとまるで変わらない。

「一瞬、制服着てるのかと思った」

 つづみがまとっているのは、制服によく似た濃い色のカーディガンとスカートだ。さすがに休みの日に制服を着るほどではないが、それにしたところで、もうちょっと見映えのする服を着てきてもよさそうなものだ、という気がした。

「こういうほうが、落ち着くのですよ」
「もっと着飾ったりしないの?」
「身にまとうものに、あまりバリエーションをつける必要を感じないのです。気に入った組み合わせが2,3あれば、それで充分でしょう」
「清貧、ってのとはまた違うのよね」
「無駄がなさそう、と、風夏(ふうか)さんにはいわれましたが」

 なるほど、言い得て妙だ。大垣(おおがき)風夏は翠林の気風にまだ馴染みきっていない節もあるが、聖歌隊仲間のつづみのことはさすがによく見ているし、頭も勘もいい。彼女のような存在をそばに置いているのが、つづみ自身にも、よい影響を与えているような気もする。
 4月に同じクラスになったとき、いや、初等部の頃からときたま見かけたつづみは、もっと硬質で近寄りがたい、それこそ真面目一辺倒の敬虔な生徒だった。

 山盛りのピラフが届いた。ケチャップをよほどふんだんに使っているのか、米が夕陽のように赤い。その隙間から顔を出すグリーンピースやら何やらの具材が、薄暗い照明の下できらきら光っている。

「これは、食いでがありそうだわ」
「……こんな時間から、よく食べますね。朝食をとってらっしゃらない?」
「ちゃんと食べたよ。でも、そろそろお腹がくちくなってきたし」

 こんな時間、といわれても、もう10時だし、貴実にとってはちょうどいい間食の時間帯だ。
 スプーンを突っ込んでピラフをかき込み始める彼女を、つづみはなかばあきれたような目で見つめている。

「タフですのね」
「ありがと。それで、労う、って何の話?」
「ああ、文化祭のことです。クラスのほうは、結局、貴実さんに任せきりになってしまいましたし」
「何、そんなこと気にしてたの?」

 1年撫子組のクラス展示は、図書館とネットで集めた郷土資料をかんたんにまとめただけの安作りなもので、実質、クラスメートの休憩所のような場所だった。だから展示といっても、そう難しいことをしたわけでもない。
 だいたい、あの非協力的な面々をとりまとめるなんて土台不可能だ、と分かり切っていたから、最初から労力は最小限に抑えるつもりでいたのだ。

 だから、貴実のしたことといえば、やる気も労力もなくても可能な企画を立案し、見た目が恥ずかしくならないようにまとめるだけ。たいしたことはしていない。

 それでも、やはり多少は消耗していたのかもしれなかった。味の濃いピラフが、思ったよりも勢いよくなくなっていく。
 ごくり、と口の中のものを飲み込んで、貴実はつづみを見つめる。

「私は、つづみさんとかの手を煩わせずにすんだんで、それでよかったと思ってる」
「ですが」
「任せられるとこは人に任せて、適当にこなしていけばいいの。神様だって世界のすべては救わないじゃない。人間にできることなんてもっとちいさいってことでしょ?」
「……貴実さんに聖書を説かれるとは」

 なぜか、つづみはひどい敗北感に打ちひしがれた様子で、肩を落とした。貴実は苦笑して、彼女の前でしゅわしゅわと泡を立てているソーダフロートを、つづみの手元に押し出す。

「ほら、飲みなよ。炭酸なくなっちゃうよ」
「はい」

 こくりとうなずき、つづみはすこし溶けたアイスをスプーンで作って、口に入れた。

「……けっこうおいしいですね」
「そう? ならよかった」

 満足げに目を細めるつづみの表情は、ようやく年相応という感じだった。

「そっちだって、聖歌隊の合唱、大変だったでしょ? 見に行けなかったけど」
「ええ。撫子組の生徒は誰もいらっしゃいませんでしたね」
「……わかるの?」
「何しろ席が閑散としていましたから、顔がひとりひとり見分けられるのです。それに大半は卒業生や先生方ばかりで」

 つづみの平坦な口調は、グチとも冗談ともつかない。ひょっとしたら、ふれたらいけないポイントだったのかもしれない。

「なんかごめん」
「いえ? こういうものと割り切っていますから、平気です。主がご覧になっている限り、力を尽くして無駄なことなどありませんから」

 あっさりと、当然のような口調で、そういうことをいうのだ。芳野つづみというのはそういう子で、まっすぐな本質は何も変わっていない。
 ただ、周りに様々なしがらみがまとわりついて、余裕が生じているのだろう。
 貴実を労う、なんて発想が生まれたのも、そのゆとりのおかげかもしれなかった。

 唇をすぼめて、つづみはソーダをすすり、炭酸の刺激にちょっと顔をしかめる。
 貴実はほとんどなくなったピラフの皿にスプーンを置き、つづみを見つめる。

「……つづみさん、意外とかわいい食べ方するよね」
「じろじろ見つめないでください。はしたないですよ」

 むっ、とこちらをにらむつづみに、貴実はほほえみ返した。
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