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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第214話「結局どうなっても悔いは残る気がするし、自分で満足するようにする」

(つぐみ)さん、大丈夫かな」

 教室のいちばん後ろ、廊下側の端っこの席が、今日は空席になっていた。机の上に置かれた配布プリントを手に取り、日直の(なつめ)沙智(さち)がつぶやく。

「ただの風邪でしょう? 心配するほどのことじゃないわよ。プリントちょうだい」

 ドロシー・アンダーソンはそういいながら、沙智のほうに手を伸ばした。プリントを受け取ると、普段は使っていないクリアファイルにさしこんで、取り違えないように付箋をつける。じつは津島(つしま)鶫の家にいちばん近いのがドロシーだったので、彼女が配布物を鶫に届けに行くことになったのだった。

「でも、この時期の風邪はちょっと困るんじゃない? のどがやられたら大変でしょ」

 文化祭まであと幾日もない。展示や公演の準備も着々と進んでおり、校内の雰囲気はかなり浮ついている。生徒たちのそわそわした態度にも、先生方もなかば諦めムードだ。
 もちろん、鶫は軽音部の一員としてステージに立つことになっている。その彼女がいま風邪を引いてダウンというのは、ちょっと洒落にならない。

「……どうなのかしら。鶫さん、ライブではボーカル取るの? ああいう目立つ仕事は、上級生とかリーダーとかがやるものだと思っていたけど」
「何曲かあるうちの1曲、とかは、まあありそうじゃない?」

 沙智の言い分にも一理ある。軽音部は、先日は何やらもめていたとも聞いたが、基本的には仲良しの集まりというイメージだ。もしも、鶫がボーカルをやりたいと言い出したら、それを拒んだりしないだろう。そうでなくとも、鶫が作った曲もレパートリーにあるのだから、彼女が唄うことになってもおかしくない。

 ドロシーの頭のなかで、鶫が文化祭のステージにあがる風景が思い浮かぶ。軽音部のほかの面々の顔は知らないから、鶫の顔だけが際だってくっきり浮かぶ。ベースを構えてマイクに対峙し、髪の先から汗の滴をしたたらせながら、熱唱する彼女。それを囲む観客たちの、熱狂。
 そのイメージに、一瞬、ドロシーは陶然とする。

「ドロシーさんも楽しみなんじゃない?」

 にやにやと沙智に突っ込まれて、ドロシーは眉間にぎゅっとしわを寄せ、ちょっとひきつった顔で沙智をにらみ返す。

「……それはそうよ。鶫さんとは、それなりに仲もいいし」
「そうか。ドロシーさんの曲も作っちゃう仲だもんね」

「何で知ってるの。ひょっとして聴いた?」

 思わずムキになって問い返してしまう。鶫の作曲した『ドロシー』は、ときおりどこかのライブで披露されているらしいのだが、当のドロシー自身はまだ完全な形で聴いたことがない。音楽室の窓から流れてくる練習の音を、小耳に挟む程度だ。
 気にはなるけれど、聴かせて欲しいと頼み込むのも、なんだか差し出がましく思えた。それに、そこまで執着するのも気恥ずかしい。

「あたしも、直に聴いた訳じゃないよ。演奏されたのを聴いた、って人から噂が流れてくるぐらい」
「……それが、何で私だって分かるの」
「ドロシーなんて名前の生徒、うちの高等部じゃドロシーさんだけだよ」
「そうじゃなくて」

 はぐらかすようなとぼけた言葉遣いが、ちょっとカンに障る。沙智もからかっているわけではないのだろうけれど、ドロシーとは微妙に会話のテンポが合わないのかもしれない。
 沙智は、鶫の机に手を載せた。

「でも、そうなんでしょ? 鶫さんとドロシーさんって、なんかそういう、ちょっとほかとは違う距離感がある気がする」
「……だから、そうじゃなくて」

 ドロシーは深々と嘆息して、両腕を組んで沙智をまっすぐ見据えた。背丈は沙智のほうが高いけれど、彼女がいくぶん猫背気味なせいで、ドロシーと向き合うとだいたい目線の高さが合う。ちょっと斜めに小首を傾げた沙智の表情は、どことなく、ドロシーの視線を緩く受け流しているように見えた。

「鶫さんの歌詞、そんなに、私のことみたい?」
「ドロシーさんを知る人は、皆一様にそう語る」
「何のキャラよ」
「アーティスト津島鶫のドキュメンタリーを語るナレーター」
「しかも主人公は私でないわけ?」
「そりゃ、お話の主役になるのは鶫さんでしょ」

 あっけらかんとした沙智の声は、半笑いだ。いつも教室の隅にいて、クラスの様子を観測することを楽しみにしている彼女は、そういう立場にいるのを当たり前に受け止めて、それで満足して悠然としている。肩の力の抜けたそのたたずまいも、むやみな気負いがない自由なものだ。
 ドロシーにしてみれば、すこしうらやましい。彼女は、力を抜くことにも全身全霊を注がなくてはいけないタイプだ。

「でも、どういう気分? 鶫さんみたいな人の、曲のモデルになるのって」
「どう……と、いわれても」

 その曲については、いろいろ複雑な感情がある。
 自分ひとりで聴くのだって、そうとう、ごちゃごちゃな気分になるだろう。恥ずかしいような、誇らしいような、それと同時に、歌そのものとしてちゃんと聴いてみたい、という思いもある。
 もしも、軽音部のライブで演奏されるのに居合わせたら、どうなることか。「ドロシー」を聴いて熱狂するオーディエンスに混じって、どんな顔をしていればいいものやら。

 もちろん、聴きたくないわけではない。
 でも、そのときの感情がどんなふうになるか、はかりかねている。
 腰が引けているのだ、と思う。ドロシーらしくもなく。

「今度の文化祭のライブ、聴きにいくの?」
「わからない」

 書道部はどうせ事前に仕上げた作品を展示するだけで、当日は持ち回りの留守番ぐらいしかすることがない。先輩たちと部室でだべり続けるのも悪くはないが、もちろん、行きたいところにはいってみるつもりだった。
 そのスケジュールに軽音部を含むか、どうか。

「でも、結局どうなっても悔いは残る気がするし、自分で満足するようにする」
「そっか。どっちにせよ、そのときのドロシーさんの顔はみものかな」
「人をあまりおもちゃにしないでよ」
「遊んでなんてないじゃない。見てるだけなんだから」
「あのね……」

「でもまあ、こういうのは、思い切って飛び込んでみるほうが楽しい気がするよ」
「……沙智さんがそれいう?」
「いいじゃない。あたしだって、積極的になることもあるよ」

 つかのま、沙智は、遠くを見るような目をして告げる。ふわりと宙に浮いた彼女の視線は、ドロシーの束縛を逃れるように、彼方に流れていく。その先で、何か大切なものでも見つけたみたいに、沙智はかすかに笑っていた。
 なるほど、どうやら、ほんとうのことらしい。

 主役だの端役だの、観念的なことには興味はないけれど、それとは関わりなしに、自分の行動なんて自分で決めてしまえばいいのだ。
 肩をすくめて、ドロシーはいう。

「当日に決めることにするわ」
「……ドロシーさんって、実は、いい加減なんじゃない?」
「沙智さんが思っているほど、まじめじゃないわよ」

 くすっ、と、ドロシーは唇の端だけで笑う。ずっとかみ合わなかった歯車が、ほんのすこしだけだけど、きちんとはまった気がする。それは、いい直線が引けた時みたいに、心地よかった。
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