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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第213話「舞台で倒れるなんて、かっこいいけど、かっこつかないわ」

 高良(たから)甘南(かんな)の朝は、いつも早いとは限らない。朝練のある日はアラームを早めにセットするが、遅刻ぎりぎりまで粘ることもある。要するに気まぐれなのだ。
 超一流のアスリートには、起床時間から朝食のメニュー、靴下をどっちの足から履くのか、までルーティーンにしている人もいるという。とはいえ、その真似をしたら自分も超人的な能力を身につけられるかもしれない、なんて、男子小学生みたいなあこがれは、最初から抱いたことがなかった。
 寝たいだけ寝て、起きれるときに起きるのが理想だ。甘南はそう思っていた。

 そんな甘南が、用事もないのに、今朝は珍しく早起きをして登校した。教室で、内海(うつみ)弥生(やよい)初野(はつの)千鳥(ちどり)に挨拶して、そそくさと向かった先は、体育館だ。

 誰もいないコートに、制服のまま甘南は立つ。その手には、磨いても磨いても汚れの落ちない、年季の入ったバスケットボール。
 3ポイントラインの外から、ゴールを見上げる。ロングシューターではない甘南だが、いまならどこからでもシュートを決められそうな気がしていた。

 けれど、今日の目的は、無人のゴールを制圧する自己満足なんかではない。
 予感がしていた。

「……きたね」

 足音を聞き、甘南はつぶやいた。
 振り返ると、きょとんとした顔の山下(やました)満流(みちる)が、そこにいた。

「……ごきげんよう、甘南さん。朝練?」
「ううん。なんとなく、満流さんに会えるような気がして」

 自分でも、ことばにしたらなんだか冗談か、マンガの台詞のようにしか聞こえない。運命みたいなものを信じないわけではないが、甘南にとってそれはむしろ、無言のまま訪れるものだ。コートの端から放り投げられたボールが敵陣のゴールに届くまでの時間に似た、祈るしかない瞬間。
 それをことばにしてしまうと、なんだか陳腐に聞こえる。

「……そう」

 けれど、満流はうなずきさえして、体育館に入ってくる。甘南のことばを、彼女は素直に受け入れたらしかった。笑ってごまかすタイミングを逸して、甘南は困惑しつつ、手のなかのボールをぎゅっと押さえつける。

「満流さんこそ、朝から熱心だね。ひとりで練習?」
「うん」

 満流は、じっと甘南を見据える。うっすらとクマの浮かんだ目つきには、胡乱な凄みがある。メイクの助けも借りず、自然に、こういう視線を作り出すことのできるところが満流の役者としての長所で、だからこそ、彼女は演劇部のホープとしてもてはやされているのだろう。

「ちょうどよかったわ。甘南さん、見ててくれる? 気になるところ、直したいの」

 切迫した響きを醸す満流の声に、しかし、甘南は平然と首を横に振った。

「それより満流さん。ちょっと勝負しない? フリースロー対決」
「は?」

 満流がぽかんと口を開ける。不意打ちだったはずなのに、素に近いその間抜けな表情も、どこか演技らしい過剰さと端正さを保っていて、甘南は感心してしまう。骨の髄から役者なのか、あるいは、ずっと役に入り込んでしまっているのか。
 甘南は、ぽん、と両手でボールを投げあげる。胸の前から、首のあたりまで上がったボールは、そのまますっぽりと手のなかに戻ってきた。

「賭けないし、勝ち負けで何するでもないけど。どう?」
「……何のつもり?」
「別に。楽しいかな、って」

 力の抜けた甘南の声を聞いて、ようやく、満流の面差しがすこしだけほぐれてきた。険悪だった目元にも余裕が生まれ、口元も、ふわりと和らぐ。

 満流が、かるくあくびをした。

「いいわ。つきあってあげる」
「何で上から目線?」

 くすくす笑いながら、甘南はボールを満流のほうに投げる。ぽん、ぽん、と二度跳ねたボールを、満流は丁寧な手つきでキャッチした。


 5本投げて、ゴールの多いほうが勝ち。単純なルールだ。
 先攻の甘南は最初の2本を入れ、満流は最初の2本を外した。5本勝負といっても、3点差がつけば勝負が決まるわけで、満流にはもう後はない。

「思ったより早く終わりそう。回数増やす?」

 サークルに入って、ぼむぼむとボールをその場でドリブルしながら、甘南は満流のほうを見る。顔だけ満流を見ながら、甘南の手はほとんど無意識でボールの動きを維持し続ける。

「フェアじゃないでしょ。負け犬みたいな振る舞い、惨めになるだけだわ」

 満流にとっては有利な提案を、彼女はしごく不満そうに突っぱねる。

「そんな大げさな話でもないんだけど。だって、すぐに終わったらつまんないじゃない」
「……だったらひとりでシュート練習していればいいじゃないの。どうして勝負事にしたわけ?」
「勝負かどうかは別に重要じゃなくて」

 甘南はつぶやきながら、体の向きをゴールの側に戻し、ボールを両手に収める。
 ひざを曲げ、胸にボールを構え、丸めた背中をすっと伸ばし、その勢いでボールを投擲。体に染み着いた一連の動き。
 意志がそのままボールに連続したかのように、ボールは、甘南の思い通りの軌道を描いて、ゴールに収まった。
 これで甘南の負けはなくなったが、とくに感慨もなかった。

「ただ、満流さんを誘いたかっただけ」
「……ああ、そう」

 そっけなく肩をすくめる満流に、甘南はボールを投げ渡した。まっすぐなチェストパスを、満流は両手でがっちりと受け止める。

「でも、負けるのがやなら、この1本は決めないと」
「プレッシャーかけないでよ。けっこう意地が悪いのね」
「こんなのプレッシャーの内に入るの? 満流さんともあろう人が」

 甘南はつい、笑ってしまう。勝負に興味なさそうなことをいいながら、結局負けたくなくて、公正であろうとしているのに、あまのじゃく。
 満流の矛盾だらけの言動が、なんだか、やけに好ましく思える。

 ボールを持ったまま、満流はフリースローサークルに歩いていく。そのあいだ、彼女は、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「私だって、緊張したりプレッシャー感じたりするわよ。舞台ではそれも乗り越えられるけど、慣れない場所じゃいつもよりちょっと難しい、ってだけ」

「やっぱり不安?」

 甘南が声を投げかけると、満流は首を横に振った。

「結局、なるようにしかならないわ。シュートなんて、当てずっぽうっていうか、運任せみたいなものでしょう?」

 ことばだけ聞けば、あらゆるスポーツ選手に喧嘩を売るような言い草だ。しかし、甘南はその身も蓋もなさがやっぱり面白くて、笑って許してしまう。

「そればっかりでもないけど、最後はそうかもね」

 たぶん、そう答えたのは、満流自身もそういう世界を知っているように思えたからだ。稽古をしつくして、舞台に立った瞬間の、ほかに何もなくなるような感覚。
 ひょっとしたら、甘南よりも、満流のほうが、そういう境地をよく体感しているのかもしれない。

 でも、だからそんな彼女に、いってあげたかった。

「肩の力抜きなよ。いまからその調子じゃ、舞台で倒れちゃうよ」
「……そうなるなら、それでもいい」
「よくないって。クラスの子たち、楽しみにしてるんだから」

 振り返った満流は、一瞬、きょとんと惚けた顔をした。体育館に入ってきたときと、同じ表情だ。いるべきでない場所に人がいるのを、目の当たりにした感じ。
 観客というものの存在を、いままさに思い出した、というような。

 ふふ、と、満流は鼻だけで笑った。それは、何をするにも全身運動、という演劇の態度とは正反対の、かすかな仕草だった。
 でもそれが、甘南には、今日の満流のいちばん魅力的な仕草に思えた。

「それもそうね。舞台で倒れるなんて、かっこいいけど、かっこつかないわ」

 つぶやいて、すいっ、と、満流は流麗なモーションできびすを返して、ゴールに向き合う。
 その横顔、その仕草に、つかのま甘南は、鍛え上げられたアスリートの肉体美を見たように錯覚する。

 たん、と、満流は床を蹴った。その音は、高い天井と広いコートに、無限に響きわたるように思えた。
 ボールを放つ瞬間の満流の顔には、たしかに、笑みが浮かんでいた。
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