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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第211話「がんばれ、って命令形なんだから偉そうに聞こえちゃうよね」

 昼食もとらずに、空っぽの体育館に来るなんて、初等部以来かもしれない。
 視野が狭くて、無我夢中で、無心に物事を楽しんでいた幼い日々を思い起こしながら、高良(たから)甘南(かんな)は誰もいないフロアでボールを手にしたまま、ゴールに向かい合う。制服のままで多少動きが不自由だが、そんなに気にならなかった。多少はしたなくても、誰も見ていないし、かまうことはない。

 フリースローサークルから、ふわっ、とボールを投擲する。
 きれいな縦長の放物線を描いたバスケットボールは、まっすぐに、リングの真ん中を通過した。ネットが、空気の抜けるようなきれいな音を立てる。

「ナイスシュート」

 思わぬ声がして、甘南は、てんてんと転がるボールをそっちのけで向き直る。
 桜川(さくらがわ)(りつ)が、体育館の入り口で手を叩いていた。両手を高く掲げ、まるではやし立てるみたいなアグレッシブな拍手だった。肩に掛けた鞄が、ばたばたと揺れる。

「見てたの? てか、何でここにいんの?」
「見てた。甘南さんがごはんも食べずにどっか行っちゃうから、気になって追ってきたの」

 問われたことに順番に答えながら、律はスリッパを脱いでフロアに入ってくると、転がっていたボールのほうに近づいていく。

「で、甘南さんは何?」

 ボールを両手で拾い上げ、胸元に大事そうに抱え込みながら、律が問い返す。

「何、って何」
「おお、哲学的に返された。やっぱり甘南さん哲学者なの?」
「違うって。律さんがあいまいな訊き方するから」
「いや、どうして体育館にきたのか、ひとりでシュート練習なのか、とかいろいろ疑問があったから。ひとことでまとめたら、何、って」

 そういいながら、律は甘南のそばまでやってきて、ボールをこちらに返した。

「ごめんね、語彙力なくて」
「それはお互い様」

 甘南はボールを受け取りながら、唇の端だけでちょっと笑う。手に戻ってきたバスケットボールの重みは心地よくて、それだけで、体の重心に気持ちいい落ち着きどころができるような、安心感があった。
 そう思うと、バスケットボールというのはもったいない競技だ。こんなに安心できるのに、パスやシュートでボールを手放さなければ成り立たない。球技は何でもそうだが。
 せっかく大切なものなら、投げたり、蹴ったり、飛ばしたりしなければいいのに。その行為には何か、自分の宝物をあえて傷つけるような、背徳的なものを感じる。

「甘南さん。なんか変なこと考えてない?」
「何もいってないのに、変とか」
「じゃあ何考えてたの」
「んー。球技ってマニアックだな、って」
「やっぱり変だったじゃん」
「……あれ?」

 ことばにしてみたら、たしかに異様だ。
 理路を押し立てて説明しても、聞かされた律の意見は変わらないだろう。自分のなかでは納得していたことなのに、律に突っ込まれて、すごく奇妙な思考だったと気づかされる。
 意外と、心の中には、そんなへんてこな考えが潜んでいるのかもしれない、と思う。

「うーん……」
「どうしたの、またセンチメンタル?」
「……よくわからなくなった」

 手のひらの上のバスケットボールを、右に左にもてあそぶ。目の前にいる律が、それに合わせてメトロノームみたいに首を揺らしている。フェイントをかけたらどう反応するかな、とちょっと想像するけれど、やめておく。なんだかかわいそうだ。

「そういえば、あれから部活はどう? どう……っていうか、ちゃんとやってる?」

 首振り運動をやめないまま、律がいう。うっすらとドップラー効果でもかかっているように、錯覚する。

「ちゃんと、かな。別にさぼったりはしてないし、活動時間中は一生懸命してるよ」
「そう」

 ぴたり、と律の動きが止まる。それにあわせて、甘南も何となく、ボールをもてあそぶのをやめた。腕のなかで、ふたたびボールの重みがのしかかってくる。
 ちらっとゴールのほうに視線をやる。オレンジ色のリングと白いボードは、いつでも甘南を待ち受けているかのように、常に同じ場所にある。

「……律さんって、頑張れ、とかいわないよね」
「え?」
「いや。こないだの公園でもそうだけど、あたしが悩んでるふうにしてたときもさ、あんまり、応援みたいな、励ましたりしないっていうか」

 どうすればいい、とか、どうしてほしい、とか、そういうことばを訴えかけてこない。そんなところが、彼女にはあるような気がする。悩んで、立ち止まっている人間を、そのままに置いておいてくれる。優しいのか、薄情なのか、どちらともつかない態度だ。

 ふいに、律は照れたように笑みを浮かべた。ほっぺたに手を当て、押さえつけて、まるで自分におしおきでもするみたいにぎゅっと手で顔を歪める。
 その律の顔が、あんまりおかしいので、甘南はちょっと噴き出した。

「な、何? どうしたいのそれ」

 甘南の問いを、変形した顔で聞きながら、律は目を伏せた。

「……それがね。聞いてよ、ちょっと前に行ったライブでのことなんだけど」
「うん」
「エンディングのメンバーのコメントで、ひとり、ことばに詰まっちゃってさ。それでつい私、『がんばれー』っていっちゃったんだけど」

 律はもう片方のほっぺにも手を当て、うつむく。

「そしたら、終演後に、隣にいた人にいわれたの。『ステージ上ではみんながんばってるんだから、がんばれなんていわなくていい。ただ、見守れ』って」
「……それ、知り合いとか?」
「ううん。推しは同じだけど、顔も知らない相手」
「まずその状況がふしぎなんだけど。いきなり見知らぬ人にそんなこといわれるの、怖くない?」
「怖いよりはびっくり、かな。でも、納得したよ。そりゃ、いまさら私たちにいわれるまでもなく、アイドルならみんながんばってるよね、って」

 つぶやきながら、律はようやく手を顔から離した。しなやかで張りのある肌が、一瞬、水のようにはじけて震えた気がした。
 顔を上げた律の目は、まっすぐ、甘南を見つめる。律の整った顔立ちは、鼻筋が通っていて、機械で描いたみたいに左右対称だ。まともに向き合うと、なんだか背筋に電流が走る気分になる。
 そして、律が顔をほころばせると、それで、甘南の胸もやわらぐ。

「だいたい、がんばれ、って命令形なんだから偉そうに聞こえちゃうよね」
「たしかに」

 あんまり喋りの得意ではないふたりが、そんなことで同意してうなずきあうのは、なんだかおかしかった。どことなくちぐはぐで、あんまり波長の合わない律と甘南だけれど、そういうつかの間の同意が、妙に心に響く。
 へたくそな、だけれど楽しい、パス練習みたいだった。あさってのほうに転げたボールを拾いに行くのまで、それは、喜びの一部分だ。

 そういう相手を見つけられて、甘南は、うれしかった。

「律さん。あたし、しばらくここで練習してくけど。暇なら、見てく?」
「いいよ。でも」

 律は笑いながら、肩の鞄をその場におろす。しゃがんで、ジッパーを開けると、その中から取り出したのは、購買のシールが貼られたパックのサンドイッチだった。

「先に、お昼にしようよ。お腹すいちゃった」
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