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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第202話「ただ日々の何かを続けていくだけ、っていうのも、残酷な気がする」

「ちっちゃなころに、アリの行列を眺めるのが趣味でさ」
「それ、気持ち悪い話?」

 眠たそうなほほえみを浮かべて、花壇のそばにしゃがんで花を眺めていた三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)に、内海(うつみ)弥生(やよい)はとっさに問い返してしまった。百合亜は表情を崩さないまま、しかし、さすがに困惑気味に弥生の顔を振り仰ぐ。

「……大丈夫だよ。そりゃ、虫の話だから多少はあれかもだけど」
「ごめん。なんか、羽根をちぎったりするような感じ、連想しちゃって」
「男の子じゃあるまいし」

 首を振る百合亜は、そこまで気分を害したふうでもなかったが、弥生はまだちょっと不安だった。おっとりした百合亜の顔立ちは、なんだかいつも微笑を浮かべているようでもあり、どこか別世界のものを見ているみたいに無機質にも見える。彼女の内面は、弥生には見当がつかない。

 2学期は美化委員に任命された弥生は、ときおり校舎裏の花壇にやってきてその世話をしている。ちょうど礼拝堂の裏手になるこのあたりには、しばしば聖歌隊のメンバーがふらりとやってきたりして、弥生は彼女たちとちょくちょく世間話をするようになった。
 主な話し相手は大垣(おおがき)風夏(ふうか)だが、今日は百合亜が花壇にやってきていた。いつもは礼拝堂の入り口あたりで野良猫と戯れている彼女が、学校と外部を区切るフェンスの近くまでやってくるのは、わりとめずらしいことだ。

 何か話すことがあるかと迷っていた弥生に、百合亜が告げたのが、アリの話だったわけだ。
 ときどき、大きな甲虫さえ捕まえてくる猫のように、百合亜も意外と、虫に対して残酷なのかもしれない。そんな失礼なことを思った弥生だったが、さすがにそれは口に出せずにいた。

「で、ほんとうはどういう話だったの?」
「……いまの茶々入れのせいで、なんだか話しづらくなった」
「う」
「まあ話すけど」

 短くうめいた弥生の、ちょっと逸らした目を見つめ返すようにして、百合亜は悠々とした口調でつぶやく。弥生はなんだか落ち着かなくて、スカートのすそをちょっと整える。すぐ足下にいる百合亜の気配が、いまにもせり上がってきそうな、変な感じだった。

「そのアリの行列をさ、ひたすら乱すのが好きだったのよね」
「乱す?」
「そう。土を盛り上げて蛇行させたり、壁を作ったり、列のなかから一匹だけ取り出して別のとこに置いたり。そうすると、はぐれたアリが迷ってどっか行っちゃったり、どうやってだか列が元のように復帰して何事もなかったように続いたりするの」
「……ふうん」
「世界の神秘だなあ、って思った」

 ふんわりと、特にオチもなさそうに、百合亜は話を終えたらしかった。
 弥生も拍子抜けしつつ、だけど彼女にふさわしいような気がして、うなずく。

「弥生さんは、さ」

 と、百合亜は、弥生の顔を見つめたままいう。

「花が好きなの?」
「どうして?」
「美化委員なんかやってるから、そういうのかな、って。それに、朝はいつも、教室の花の水を換えてるんでしょう?」

 あらためてそう問われて、弥生は一瞬、戸惑った。教壇の脇にある棚の上、花瓶に生けられた季節の花が、いつも瑞々しい輝きを保っていることについて、いまさら撫子組の誰も言及したりはしない。弥生がいつも世話しているのはすでに周知の事実だし、当然のことだと思われている。
 今朝も、弥生は、紫色のローズマリーに水をあげた。

「……好きなのは、好きだけど」

 日常的に、当たり前にしている行動をあえて意識するのは、なんだか奇妙な気分だった。体に染み着いた無意識のしぐさは、考えながら行うとかえってうまくいかない。高良甘南が、バスケの試合ではシュートのモーションなんて頭にも浮かばない、といっていたのを、不意に思い出す。
 何も特別なことではないから、ふだんは頭を使いもしないのだ。

「水替えとかは、単に習慣になってるだけ。好きとかそういう問題じゃないよ」
「続けられるものなの? 大変じゃない?」
「うん……」

 弥生はますます困惑しきりだ。いまになって、そんなことを訊かれたら、逆にたじろいでしまう。何か、自分がとんでもなく奇妙なことをしているかのような、大げさにいえば、世界が揺らぐ感覚がある。
 地球が自転しているのを見た宇宙飛行士は、ひょっとしたら、こんなふうに思うのかもしれない。

 毎朝、目覚ましの鳴る前に起きて、朝食をとって、ときどき千鳥といっしょに登校して、ふたりで花の水を換えたり教室の掃除をしたりする。
 その1時間が、そんなに特別なことだとは、弥生は忘れかけていた。

「習慣ってそういうものじゃない?」
「そうかなあ。わたし、飽きっぽいから。そういうの、3日と続かないと思う」
「それは人それぞれかな……」

 苦笑を返す弥生に、百合亜は、ぼんやりした目線を向けてきた。

「それにさ、なんだか、怖くならない? 毎日、同じことをし続けるの。目に見えないくらいの割合で、自分が変わっちゃったり、逆に心のどこかが固まっちゃいそうで」

「……考えたこともなかった」

 百合亜は、まったりとした緩やかな声音で、けっこう怖いことを口にしたはずだ。けれど、弥生にとってそれはあんまり意想外のことで、むしろ驚きのほうが先にやってきて、彼女の頭はその気持ちで満ちあふれる。
 こんなふしぎなことをいう子だと、弥生は、百合亜のことを初めて知った思いだった。

 弥生は、百合亜のわきに座り込む。百合亜のぼんやりした上目遣いは、弥生を追いかけたりしなくて、だから彼女はそのまま空を眺めていた。瞳にうっすら、秋空の色が移り込んで、こころなしか燃えるように輝いて見えた。

 とぼけて見える百合亜の、実際とぼけてはいるのだけれど、その心の底に潜んでいる感情の強さを、弥生はつかのま、垣間見た気がした。

「アリの行列で遊んでたのも、そんな理由?」

 ふと思いついて、弥生は百合亜の横顔に訊ねる。
 百合亜はその質問を予期していたふうで、悠々と目を細めた。あるいは、何度も同じことを訊かれてでもいるのかもしれない、とも思える。日常生活を繰り返すみたいに。

「かもしれないね。こつこつ積み重ねていくものを、急に壊したくなるような」
「……結局、残酷な話じゃない?」
「ただ日々の何かを続けていくだけ、っていうのも、残酷な気がする」
「でも、花は水をあげないと枯れちゃうよ」

 弥生がつぶやくと、百合亜は、そんな言語は初めて知った、とでもいいたげな顔をした。目を丸くした彼女の顔は、なんだかキュートだった。

 百合亜が黙ると、弥生のほうも、話すことが思いつかない。花壇の片隅はただでさえ寂寥感にあふれていて、だから沈黙はいっそう冷え冷えとして、弥生に焦りをもたらす。何か喋っておかないと、百合亜がどんな気持ちになるかわからない。
 彼女はどんな顔をしているだろう、と、横目を向ける。

 目を閉じて、百合亜は体を前後に揺らしていた。しゃがんだ姿勢のまま、両足で器用にバランスをとりつつ、まるで振り子時計のように動き続ける。
 ほうっておいたら、ずっとそのまま、時を刻んでいそうだった。

 変な子、と、弥生は内心でつぶやく。
 けれど弥生は、彼女のことが嫌いではなかった。もともと人を嫌ったりしない弥生だから、というのもあるし、それに、百合亜を相手にするときのとぼけてかみ合わないやりとりも、ふしぎに心地よかった。

「……起きてる?」
「寝てる」

 目を閉じたまま、しゃあしゃあと百合亜は答えた。弥生はくすっと笑って、彼女をそのままに、立ち上がった。
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