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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第197話「どちらでもないよ。いまの私の延長」

「いつもの服で来たら、練習混ざれたかもよ」
「そんなことのために来たんじゃないから」

 がらんと広い体育館の隅で、山下(やました)満流(みちる)光原(みつはら)青衣(あおい)は並んで三角座りをしている。部活の休憩時間だった。膝のあいだにペットボトルを挟んだ満流は、そのキャップの先端を手持ちぶさたにいじり回しながら、長いスカートに隠された青衣のふとももあたりに目をやる。
 体形を隠す分厚いプリーツスカートの上からでも、青衣の足の細さは知れる。満流は、そういう目は鋭いのだ。青衣が演劇部の激しい練習についていけないのは、承知の上だった。

 でも、こうして青白い顔でうつろな体育館の真ん中を見つめている青衣が、舞台の上でどういう演技を見せるのか、それはほんとうに興味がある。

「こないだは、いい演技してたじゃない」

 満流は横目で、青衣を見つめて笑う。からかわれた、とでも思ったのだろうか、青衣は肩をすくめて首を振るばかり。

 満流が青衣の”演技”を目の当たりにしたのは、先日のハロウィンだった。
 その直前、突然演劇部を訪れた青衣は、衣装を貸してほしいと頼んできたのだ。クラスメートである満流は、さほど青衣と親しいわけでもないのに、対応係を押しつけられた。そして青衣が口にしたのは、家の近くの商店街のハロウィンパーティで仮装をしたいのだが、ちょっとしたトラブルで子どもたちの衣装が何着かダメになってしまったのだという。
 そこで、翠林の演劇部なら、と青衣が思いついて頼みにきたらしい。古いものでも、破れていても、ある程度形になっていれば何でもいい、というぐらいの、初めて見るような必死さだった。
 身につまされた満流は、先輩との相談の上でいくつか昔の衣装を貸し出すことにした。とはいえ、ぼろくとも一応は部の備品であり、ただでは貸せない、ということになった。

 結局、満流が監督役として、青衣たちのパーティに紛れ込むこととなったのだ。

 パーティ、といいながら、半ばはお祭りの巡行のようなものだった。仮装した子どもたちがあちこちの門戸を叩いては、例の文句でお菓子をもらう。青衣がいうには、もう2週間ぐらいこの商店街はずっとハロウィンの空気で、幼いお化けたちも毎日のようにキャンディやクッキーをもらっていたらしい。
 商店街を飾るカボチャの明かりや七色の電飾、それにかわいらしくデコレートされた幽霊の図案も、何もかもが、半歩分だけ異世界に踏み込んだような雰囲気を漂わせていた。
 青衣は子どもたちの先導役、そしてお化けの頭領のような役回りとして、率先して街の人々を驚かせていた。人々も青衣のことをよく知っているらしく、大げさに反応してみせたり、逆に彼女をねぎらったりしていた。青衣が、地元といい関係を築けているのだ、という事実も、満流にとってはかるい衝撃だった。
 ともあれ、演劇部の衣装の効果もあってか、お化けたちはお菓子を荒稼ぎし、最終的には彼らのアジト、すなわち街の公民館の会議室に集まって、盛大なパーティを繰り広げた。満流もいきおいで相伴に預かることとなり、子どもの扱いに四苦八苦しつつ、それなりに楽しい時間を過ごしたのだった。

「ただ着替えるだけじゃなくって、顔も、仕草も、別人みたいだったよ」

 パーティのことを思い出して、満流は笑みを隠せないまま青衣に語りかける。ゴスロリ服や、ハロウィンの亡霊めいた仮装をしているときの青衣は、教室で見るのよりずっと颯爽として、目線も高く鋭い。手足さえ、2,3センチは伸びているのではないか、という気がする。
 プロフェッショナルの役者のなかには、意識して、見た目の身長や体格さえも操作できる超一流の人々がいる。青衣はたぶん、無意識だろうけれど、そういう体の使い方をしていた。

「でも、別人になりたいわけじゃないもの」

 いまの青衣は、背中を丸め、三角座りの膝の上に顎を乗せるようにして、夕暮れの体育館をながめていた。運動部の練習が一足先に終わり、演劇部は休憩時間だ。ついさっきまでは、演劇部員の朗々とした演技によって作り出されていた異空間も、いまは、ただたそがれの色に満たされるだけ。満流たちがいるのと反対の端で、先輩たちが壁に背中を預けて横になっている。

「ああいう服を着るのは、変身か演技じゃないの?」
「どちらでもないよ。いまの私の延長」
「なるほどね……」

 青衣の、どこかぼそぼそとした低いつぶやきは、しかし奇妙にはっきりと満流の耳に届く。うつむきがちなそのたたずまいさえ、あえてそうして選んだ姿である、とでもいいたげだった。

「だいたい、満流さんだってイヤでしょ。私が混ざったら」
「いや、って?」

 満流が問い返すと、どこか遠くを向いていた青衣の目が、わずかに揺れ動く。扉の向こう、ピロティに出て何か語り合う体操着姿の先輩たちがいる。

「せっかく仲間同士、一心不乱に練習してたのに。よそから別の誰かが紛れ込んだら」
「1度や2度の乱入で、そういうのは崩れないよ。むしろ楽しいアクシデント」

 外からは意外に思われるだろうが、翠林の演劇部では見学や体験入部もわりと気軽に受け付けている。頼み込めば、練習に参加させることだってあるのだ。ただ、もちろん、それで本式に入部できるかというと、そんなケースは未だかつてないのだが。

「私だって、刺激がほしくて、ハロウィンパーティに行ったみたいなところあるし」
「……あんなので?」

 青衣が首をひねると、長い髪がばさりと膝の上からこぼれ落ちる。

「ちっちゃい子の無邪気な演技は、見ていてほほえましいよ。そのうえ、自分でも忘れかけてたことを思い出させてくれる」

 そのおかげか、先ほども先輩に、満流の演技がすこし変わった、と評価された。滅多に他人への評価を口にしない人なので、それなりに大きな変化だったらしい、とわかり、すこし満流は上機嫌だった。

「青衣さんも、私に、そういう刺激くれるかな、って、ちょっと期待しちゃった」

 弾むような気持ちをそのままに、満流は告げた。自分でも、すこし頬の緩んでいるのがわかるような、いくぶんはしゃぎすぎたようなことばだった。

 青衣が、満流を振り返った。ずるっ、と、ふたたび黒髪が膝の上を滑る。つかのま、真っ白な首筋が、透けるように髪の筋の奥にのぞく。
 その先に見えた青衣の瞳は、ひときわ大きく丸い、錐で深く開けたほぞ穴のように見えた。

「満流さん」

 青白くさえ見える青衣の唇が、わななくように動く。

「疲れない?」

「え」

 ぽかん、と、満流は口を開けてしまう。アドリブに対応できずに立ち尽くす瞬間のように、頭が真っ白になる。台本も、キャラクターも、ぜんぶ頭からすっぽ抜けてしまって、自分という抜け殻だけがそこにあるみたいな瞬間。
 誰かが体育館の舞台の上で、演技の確認を始めている。その声は高らかで、力強くて、けれど満流とは別の世界のもののように、右から左に滑っていく。

 すぐそこにいる青衣の、あいまいな声だけが、鮮明だった。

「演技って、そんなに、変わり続けないとだめなものなの?」
「……」
「満流さんは、なんだか、すごく欲張りな感じに見える。それって、すごく大変そう」

「いいのよ、大変で」

 ようやく、満流は口を開いた。唇は、いままで感じたことのないくらいにこわばって、ひび割れて、自分のことばをうまく伝えてくれないような気がした。けれど、ここで声が出せなければ、自分のたいせつな部分までが凍り付いてしまうように思えた。
 青衣に見透かされるほど、かんたんなことじゃない。

 無意識にきつく両手に力を入れている。握りしめられたふくらはぎが、ぎゅっ、と、赤くなっていた。

 つかのまの痛みに、満流は自分を取り戻した。
 ふっと、きつく張りつめていた表情をゆるめて、ほほえむ。それは、我ながらうまく感情を作り上げられた、と自賛できるような、やわらかで暖かい笑顔だった。

「そんなにかんたんに、完成したりしちゃ、つまんないでしょ?」
「……まあ、そう、かもね」

 ぼそりと、ほとんどひとりごとのようにつぶやいて、青衣は顔を伏せた。そうして、あのうつろな黒い視線が隠れてしまえば、青衣は何でもない地味な女の子だ。
 彼女がそういう姿に戻っていくことに、満流は、うれしいような、苦々しいような、複雑な思いを感じる。
 そうやって、かんたんに別人になっていく青衣が、うらやましかった。
 やっぱり何だかんだいっても、青衣は天性の演技者だ。満流が決して、なれそうもないもの。

 膝の上からペットボトルを取り、満流は、ぬるくなったミネラルウォーターを一気に飲み干す。吹き込んでくる秋風に、汗が冷やされて、冷気が身にしみた。
 休憩時間はそろそろ終わりだ。満流は空のボトルを片手で振り回しながら、立ち上がって、一瞬だけ青衣を上から見下ろす。
 しゃがんだまま、動き出しもしない青衣に、満流は告げる。

「もうすこし、見ていきなよ。きっとおもしろいもの、見せて上げる」

 青衣がうなずくのを見届けもせずに、満流は体育館の中央へと足を踏み出していく。
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