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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第192話「永久の秘密ってことにしておこう。ここだけの話」

「寝ちゃってた?」

 降車客がどやどやと階段を下りていって、がらんとした駅のホームに、西園寺(さいおんじ)るなと新城(あらしろ)芙美(ふみ)だけが向かい合っている。芙美はちょっと心配しながら、けれどやけにおかしい気持ちを抑えきれず、かすかな笑みをこぼしながら、るなに訊ねた。
 るなは、半分閉じたままだったまぶたを押し広げるように開いて、かるく頭をかいた。いつだって一分の隙もなくセットされている彼女の髪が、いまはいくぶん乱れている。かき混ぜられたホイップクリームみたいに、ちょん、と後頭部にちいさな角が立っていた。

「寝てたか、といわれたら、寝てないと思う」
「いちいちそんな哲学的な表現しなくても」
「ちょっと目を閉じて、黙ってて、周りに反応しなくなってただけだよ」
「実質寝てるよね」
「芙美さんは身も蓋もないな……」

 頭を振って、るなはちいさくうなるような声でぼやいた。とはいえ、るながあいまいな戯言で芙美を煙に巻こうとするから、つい突っ込んでしまうのだ。芙美のせいじゃない。

 今日は休日、特に何という用事があるわけでもない、ただのデートだ。すこし遠くの街のショッピングモールに行って、コミカルな恋愛映画を見て、冬物を買って、アマトリチャーナパスタを食べた、その帰りだった。
 電車は混雑していて、芙美はるなを席に座らせて、その前でぼんやり立っていた。そして駅に到着しても、るなは微動だにしないので、芙美は彼女を急かしてあわてて電車から飛び出した、という顛末だった。

 むにゃむにゃと、唇を上下に動かするなは、いまにもあくびしそうな様子だ。芙美は手招きして、彼女をホームの端のベンチに誘う。

「ちょっと座ってこう」
「……改札ぐらい出れるよ」

 そういって、るなが階段の方に歩き出そうとするので、芙美はちょっと唇をとがらせた。るなの目線はまだおぼつかなくて、うっかり階段を踏み外したら大変だ。
 芙美は強引に手を引いて、るなを連れて行く。

「私、けっこう好きなの。こういう寂しい感じのとこ。心まで静かにできるから」
「へえ」

 興味深そうにつぶやくるなを、ベンチに座らせる。その隣に、今日の成果の詰まったショッパーの紙袋を置いた。

「何か飲む?」
「炭酸」

 るなのシンプルな要求にうなずき、芙美はホームの真ん中まで戻って、自動販売機であったかい紅茶とサイダーを買った。

 るなのそばまで戻って、冷たい方を彼女に渡す。顔を上げたるなの瞳はいつもの鋭さを取り戻していて、ようやく普段の西園寺るなに戻りつつあった。
 サイダーの缶を両手で握って、るなは気持ちよさそうに目を細める。

「ほんの1分ぐらいでもさ」
「うん」
「私は、あんまりじっとしてるのに耐えられない方だね。すぐにスマホとか触りたくなる」

 るなは、自分のことばが終わるのも待ちきれない、というように、プルタブを開けた。サイダーを口に流し込む彼女ののどが、灯り始めた駅の明かりを反射して、何か別種の生き物のように大きくうごめく。すこしゆるめた襟元からのぞくるなの鎖骨のくぼみを、芙美はつい、まじまじと見つめてしまう。
 振り向いたるなは、見られることに慣れているみたいに、挑発的な笑みを浮かべた。

「ガン見しすぎ」

 芙美はうつむいた。たぶん、顔が真っ赤だ。

「……だって」
「別にいいよ、見てても」
「やめてよ……よけい恥ずかしい」

 見るのはいいが、見られるのはいやだし、見ていることを意識されること自体がとても気恥ずかしい。ちいさい子のように無造作で野放図でいられる時期はとっくに過ぎて、できれば、ひっそりと目立たずにいたいのだ。
 人に注目されるような、認められるような、そんな人間じゃない。そういう気持ちが、まだ心の奥にわだかまっている。

「恥ずかしいことなんて、いくらでもあるじゃん。見るのも見られるのも、そんな気にすることじゃないって」

 るなは、いたずらっぽくいいながら、手の中でサイダーの缶を左右にもてあそぶ。しゅわしゅわと、圧力が抜けて吹き出し続ける気体の音が、芙美の耳まで届いてくるような気がした。

 缶を唇の下に当て、ちょっと首をかしげ、るなは芙美の顔をのぞき込んでくる。

「あたしの居眠り顔、見てたでしょ?」

 図星である。背もたれに頭を押しつけて、かすかに口を開けながら左右に揺れていたるなの、白くてきれいな首筋を、芙美はじっくりと見つめさせてもらっていた。油断した、無防備なるなの顔も、いつもの隙のない彼女とはまるきり違って、だから、目を離せなかった。

 芙美は半眼で、るなをにらみ返す。

「……やっぱり寝てたんじゃない」
「寝てないから気づいたのに」
「ウソ」

 たぶん鎌を掛けただけだ。芙美の行動パターンも、心情も、るなはよく把握している。寝ていたって、芙美が自分を見ていることは想像ついただろう。

「でも、見てたんでしょ?」
「寝てたんでしょ?」

 言い合って、一瞬、にらみ合って。
 それから同時に、笑った。

「こんなの決着つくわけないね」

 るながいうのに、こくこくと芙美はうなずく。

「永久の秘密ってことにしておこう。ここだけの話」

 そういって、芙美は線路の向こう側を見やる。防音壁に張られた看板は、ぴかぴかの新品とさび付いた古いものが入り交じって、モザイク模様を描いていた。そのごちゃ混ぜな景色が、薄暮の色にすべて覆い隠されていくこの瞬間は、何か、ひどく非現実的な黄昏時だった。

 どちらの線路にも電車のやってこなかったその数分間、駅のホームはふたりだけのものだった。

 遠くから、急行電車の音がする。停車しない駅をすっ飛ばしていくパワフルな車輪の響きは、何か脅迫的に、ふたりを追い立てようとするみたいだった。

「だいぶ目ぇ覚めた。帰ろっか」

 まだ半ば以上残っているサイダーの缶を手にしたまま、るなが立ち上がる。芙美は紅茶を勢いよく飲み干し、彼女を追うように席を立つ。
 と、最後にひとつ、言い忘れていたことを思い出した。

「ところでるなさん。頭、寝癖みたくなってる」

 はっ、と、るなが後頭部に手をやった。サイダーの缶が転げて、中身がびしゃんとコンクリの上に散らばる。かすかに残っていた炭酸が、ぱちぱちと、地面を沸騰させているみたいだった。
 振り返って、真っ赤な顔で、るなは叫んだ。

「早くいってよ!!」
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