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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第181話「喜ぶだけなら、どこでだってできるでしょう」

「昨日、初めて褒められたんだ。声がよく出るようになった、って」

 礼拝堂の裏手にある、こじんまりとした花壇の前で、大垣(おおがき)風夏(ふうか)内海(うつみ)弥生(やよい)に打ち明けた。
 弥生は、それに微笑みを返しながら、すこし首を傾ける。花壇のそばに腰を下ろし、囲いのレンガのへりに指をなぞらせ、下を向いた風夏の目が、ひどく浮かない表情をしていたからだった。

「それが、何かよくないこと?」
「ううん。それ自体は、ほんとうにうれしいんだけどさ」

 夕方の校舎裏は、秋の寂寥感も相まってふだんよりいっそう静かに思える。褐色に染まっていくフェンスの向こうの木々も、枝が垂れるほどに活力をなくして、葉ずれの音も弱々しい。このまま冬になれば、白く凍り付いてしまうのではないか、と思わされるほどだ。
 花壇には、ちいさいながらも色とりどりの花が咲き、弥生たち美化委員の目を楽しませてくれる。しかし、ここを訪れる生徒は意外にすくなく、内緒話にはもってこいの場所だった。
 たぶん、風夏もそのつもりで来たのだろう。ここに、弥生がいるのを期待して。

 つまり、芳野(よしの)つづみや三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)には話せないことだ。

「なんか……聖歌隊って、うれしいことをうれしいっていっちゃいけないみたいな、そんな空気があって」

「……そんな恐いとこなの?」

 弥生の脳裏に思い描かれたのは、たまたまテレビで見た戦争映画の、軍隊学校の光景だ。苦しくても泣かない、楽しくても笑わない、上官の命令を黙々とこなし、無駄口はいっさい叩かない。この世のものとは思えない、厳格な組織のありようが、ひどく恐ろしかったのを覚えている。

「恐い、っていうより、みんな、自分に厳しそう」

 風夏はつぶやいて、ちょっと顔を上げる。彼女の視線の先では、礼拝堂のてっぺんに立つ十字架が、赤い夕日を受けてぎらぎらと輝いている。その景色は、ぞっとするような美しさの予兆をはらむ、絵画のようだった。

「かんたんに喜んじゃいけない、って、思いこんでるみたいな」
「……何となくわかる」

 思い出されるのは、芳野つづみの姿だ。つねに穏やかで、あまり感情を揺り動かさない。怒らせればとんでもなく恐いが、めったなことでは激怒も大笑いもしない。彼女がふだんの喋り以上に口を開けている姿は、弥生の記憶にもない。
 そういうふうに、自分を律しているのが、聖歌隊の部員の日常なのだろう。

「そういう空気の中だと、あたしも軽々しくできないじゃない?」
「それで、逆にストレスたまってる感じ?」
「うん……」

 うなずいて、風夏は折り畳んだ両膝の上にあごを乗せる。ふてくされたようなその顔は、むしろほほえましくも見えたが、弥生はそれを笑ったりはしない。
 ただ、手持ちぶさたに、彼女はそばに生えていた雑草をつまんで引っこ抜き、あさっての方に捨てる。

「じゃ、ここでめいっぱい喜んでみれば?」

 弥生の提案に、一瞬、風夏は目をぱちくりさせた。彼女の頬に、ひきつった笑みが浮かぶ。

「ええ……?」

 うわずる声に、弥生は目を細める。

「喜ぶだけなら、どこでだってできるでしょう。ほら」
「ほら、って」

 さっさと立ち上がれ、とばかり、弥生は両手をほいほいと上下させて風夏を急かす。微妙な表情のまま、風夏は、おずおずとスカートの裾の土を払って、立ち上がった。
 ひどく寄る辺ない様子で、きょろきょろと左右を見回し、風夏は指先で自分の襟元の髪をくるくるともてあそぶ。

「さあ喜べ、っていわれても、どうすりゃいいの」
「好きにしたら?」
「また適当な……」
「好きに自分を表現したい、ってことでしょ? だったらそうすればいいんだよ」

 つまり、風夏のいっていることはそういうことだと思う。
 聖歌隊のけわしい空気の中では口に出せず、表現できなかったことを、ここでぶちまければいい。

「でも、そんないきなり、感情表現しろ、だなんて。演劇部のオーディションじゃあるまいし」
「……受けたの?」

 翠林の高等部の演劇部といえば、このあたりでは知られた名門だ。入部テストをするほどとは聞いていないが、そういうことがあってもおかしくはないし、外部生の風夏が何も知らずに入部希望を出したとしても不思議ではない。

「いや、あたしじゃないけど。先輩で、演劇部の人と仲のいい人がいて、噂をちょいちょい聞く」
「あ、そういう」
「今年はひときわすごいって噂。観に行く? 満流(みちる)さんも出るし」
「どうかなあ……文化祭は、のんびり回りたいんだよね」
「千鳥さんといっしょに?」
「あの子に任せると、どこに連れてかれるかわからないけど」

 いつのまにか、誰も寄りつかない地味な展示の裏側でくつろいでいた、なんて事態にもなりかねない。それはそれで楽しいけれど、文化祭を十全に堪能した、ということになるとはいいがたい気がする。
 とはいえ、なんでもかんでも完璧に適応して楽しむことが絶対だ、というのはちょっと傲慢だろう。

 演劇部の上演だって、実は意外と難解で意味不明なのではないか、という噂もある。梅宮(うめみや)美礼(みれい)の原作を、弥生は読んだことがないのだが、断片的に知っている彼女のマンガはスタイリッシュで説明しづらいものだった。
 とはいえ、そういうものも楽しめるようにしてしまうのが、美礼の才能であり、翠林演劇部の底力かもしれない。

 いずれ、それらは、弥生なんかには想像もつかない世界だ。
 彼女たちは、天性の素質と、たゆまぬ修練とによって、そういう表現の技を身につけている。

「まあ、演劇部もそうだけどさ。聖歌隊だって、あの子たち、初等部の頃からがんばってる子とかいっぱいいるし」
「……だから、あたしなんかじゃ追いつけない? あたしぐらいがちょっとうまくなっても、たいしたことないって?」
「ごめん、そういう意味じゃなくて」

 風夏がちょっと眉をつり上げたので、弥生はとっさに首を振った。

「たぶん、もう、風夏さんみたいなシンプルな喜びはとっくに通過しちゃって、忘れてるんじゃないかな。だから、そのくらいで喜ぶなよ、みたいな気持ちもあるんだと思う」

 弥生はつぶやくように口にして、花壇のなかからひとつ、小石をつまみ出す。
 フェンスの方に向けて、ほうった。かしゃん、と、金網に当たって一度跳ねた小石は、弧を描いて褐色の木々の狭間に飛び込んだ。

「でも、風夏さんは自分のペースで、もっと喜べばいいんじゃない? 子どもみたいにやんちゃに、陽気に」
「……それでいいのかな」
「自分のできることすればいいんだよ……なんて、えらそうかな? 私も大したこと、できないけど」

 初野千鳥のような、健脚の相手についていくには、弥生だってちょっとずつ歩幅を広げていく必要があった。
 千鳥のペースに合わせられるようになって、一度はいっしょに山に登って、キャンプをしたりして、その都度、彼女は幸せをかみしめてきた。
 そういうふうに、すこしずつ、喜んでおくことが必要なのだと思う。
 風夏がそれを忘れているのなら、いっぺん、思い出した方がいい。

 立ち上がって、弥生は、風夏の横に立った。フェンスの方を見つめていた風夏が、困惑気味に横目を向けてくる。

「ん?」
「もし恥ずかしいなら、私も、いっしょに叫ぼうか?」
「いや、そのほうがよけい恥ずかしい」

 そういって、はにかみ気味に風夏は笑う。あんまりきれいじゃないけれど、感情を満面に浮かべた、すてきな笑い方だった。

「弥生さんは、聞いてて」

 そういって、弥生の背中をかるく押した。つまずくように弥生は、風夏の前に立つ。
 首だけ振り返ったとき、風夏は、大きく口を開けていた。

 彼女の口から出た叫びは、なるほど、聖歌隊で鍛えられた力強い声量で、弥生の耳を満たした。

 それは喜びの歓声ではなく、仏頂面でお堅い聖歌隊への、盛大な罵倒だった。

 まあ、それでいいんだと思う。顔をしかめながら、弥生は苦笑した。
11/15:本文ミスを修正しました。
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