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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第18話「心理学の用語だよ、フット・イン・ザ・ドア」

 すこし、いや、わりと気まずい。
 ショッピングモールの3階に位置する、生クリームをふんだんに使ったパフェが自慢の、瀟洒な内装のカフェ。その真ん中へんのテーブルで、新城(あらしろ)芙美(ふみ)は、ほとんど手も着けていないパフェを前に縮こまっている。両肩をぎゅっと体に寄せるようにして、両手は膝の上。
 はす向かいに座った西園寺(さいおんじ)るなとは、視線も合わせない。

 こうしてふたりで残される羽目になったのは初めてだった。
 いつもつるんでいる4人のうち、今日は春名(はるな)真鈴(まりん)が用事があるといって先に帰ってしまった。3人でモールにくり出して、適当にショップを眺めて、カフェで一息ついたところで、内藤(ないとう)叶音(かのん)がトイレに立った。彼女にくっついていけばよかったのに、パフェが運ばれてきたせいでタイミングを逃してしまった。
 かくして、るなと芙美はふたりきり。

 いつも一緒のグループで活動しているといっても、せいぜい一月程度だ。あくまで芙美は叶音の幼なじみで、るなや真鈴とは、高等部になって初めて話した間柄でしかない。打ち解けるには、まだ早すぎる。
 その上、るなの方も、芙美に関心を寄せるでもなく手元のカフェラテをもてあそんでいる。彼女の動向をうかがおうと、一瞬だけ目を向け、またそらして、と繰り返していると、いっそう落ち着かない。視界が二転三転すると、気持ちの方もそれに合わせてぐるぐるしてしまう。
 近くの席では、別の高校の生徒らしき女子が大声で喋っている。その向こうでは、スーツ姿の男性が私服の女性に何かビジネスの話をしている。詐欺じゃないだろうか、と耳を傾けてみるが、詳しいところは聞き取れない。
 そんなよけいなことばかり気になって、時間が過ぎるのが長い。
 2,3分持ちこたえれば、叶音が戻ってきて適当に会話を進めてくれるはず。そう思って、芙美は呼吸を止めるような心地で、この気詰まりな時間を切り抜けるつもりだった。

「そのパフェ、さ」

 なのに、西園寺るなが口を開いたせいで、芙美の覚悟は台無しになった。

「え?」
「食べないんなら、あたし、もらっていい?」

 しかも、ぶしつけな要求だ。たしかに芙美はちっともパフェに手をつけていなかったが、だからといって、るなに譲ってやるいわれはない。
 顔を上げ、毅然と拒絶しようとする。
 が、るなのきっちりメイクされた押し出しの強い目に見据えられると、一瞬で気力が萎えてしまう。
 何しろ相手は西園寺るな。落ち着いた容姿としとやかな物腰で知られる翠林女学院の中にあって、派手なメイクと最先端のファッションで自分を彩ることに長け、常におしゃれの完全武装で身を固めたその容姿は、逆に翠林では異彩を放っている。
 そんな、孤高の彼女から話しかけられるだけで、正直、芙美は心が折れてしまいそうだった。

「……いや、食べるから」

 それでも、どうにか、芙美はそう応じる。

「あ、そ。なら、そのてっぺんのイチゴだけでも」

 譲歩されて、とっさに迷ってしまう。
 そのくらいならいいかな、と、数秒考えた芙美がうなずこうとしたところで、るなが笑った。

「悩むくらいならいいっていいって。つか食べたら? 叶音さん、まだ戻らないみたいだし」
「はあ……」

 何のつもりだったのか、よくわからない。言われるがまま、芙美はパフェにスプーンを差し込んで、オレンジと生クリームを一口。
 しかし、そこから先へはなかなか進まない。スプーンをパフェの容器に斜めにさして、ぼんやりとその銀色の輝きを見つめていると、ふたたびるなが言った。

「芙美さんって、叶音さんの友達なんだよね」
「友達、というか……ただ、家が近くて、子どもの頃から」
「ふうん」

 そして、るなは首をかしげる。

「肩こらない?」
「は?」
「いや、なんかずっと、力入ってるみたいだから」

 言いながら、るなは自分の肩をかるく叩いてみせる。翠林のトレードマークである濃い藍色の制服は、うまく着こなせばほぼ四角形に近いシルエットになり、生徒たちの折り目正しさを象徴する。しかし、今のるなの様子はすっかり力が抜けて、制服の肩もだらっと丸く垂れている。

「芙美さんも、ずっと翠林だよね?」
「うん」

 うなずく芙美は、自分の両肩がひどく突っ張っていることに改めて気づく。これでは、きっと制服も角が生えたみたいにとがって、見栄えが悪くなってしまう。
 みっともない、とでも言いたいのだろうか。芙美は眉をひそめ、るなの目線から逃げるように、パフェに視線を落とした。運ばれてきた直後はきっちりと整っていたイチゴやバナナの配置が、すこしずつ崩れ始めている。なんだか、悪いことをしたような気分になって、芙美はイチゴをすくい上げて食べる。

「最近さあ。うちのマンションの玄関、オートロックが壊れてて開けっ放しなんだけど」
「ん?」

 唐突に話題が飛んで、芙美は首をひねる。

「それで早速、訪問販売が増えてるみたいなんだよね。同じ階の奥の部屋で、なんかアンケートみたいなの持った人が、開いたドアに足突っ込んで、わぁわぁ話してるわけ」
「ふうん……なんだか、恐いね」
「あれこそリアルなフット・イン・ザ・ドアだなー、って思って」

 そう言って、独り合点したみたいにくすくす笑うるなだが、芙美にはどこが笑いどころだったのかわからない。
 ただ、ここで笑わなかったらるなが気分を害するかもしれない。芙美は、むりやり頬をゆがめて愛想笑いを浮かべる。
 そんな芙美を、じっとるなは見つめて、つぶやく。

「心理学の用語だよ、フット・イン・ザ・ドア。最初に小さなお願いをして、どんどんエスカレートさせて、断りづらくする方法」
「ああ、そう……」

 答えつつ、芙美は気恥ずかしくなって、スプーンをくわえたままうつむいた。芙美の態度から、言葉の意味を理解してないことが完全に見抜かれていたのだろう。
 お愛想でごまかしていたことが、逆に不興を買ったのではないか。芙美とふたりでいるのは、るなにとって、どんどん嫌なことになっているのではないか。
 ぐずぐずした不安が胸を黒く覆って、顔を上げられなくなってしまう。

 るなは、胸元につけたブローチをもてあそんでいる。叶音といっしょに選んで買ったものだ。ちょっと装飾過多なデザインは、しかしるなの派手な容姿によく溶け込んでいる。それでいて、深みのある赤い色彩はさりげなく自らの存在を主張している。芙美にはどんなに頭をひねったって選べない、絶妙のチョイスだ。
 顔を上げれば、その赤い光に打ち抜かれて、倒れてしまいそうだ。

 逃げ出したい。
 背中に冷や汗をかく。
 その、ぞっとする感覚に追い打ちをかけようとするみたいに、るなが口を開く。

 けれど、言葉は意外なものだった。

「ごめん。調子乗ってたかも」

「はっ?」
「最近、ネットで調べて覚えた言葉。そういうの気取って使うのって、なんかムカつくよね」
「ああ……」
範子(のりこ)さんとか、ああいう頭良さげな人が使うならいいけど、あたしが変に横文字使っても、ねえ」

 言い訳するように、というか、完全に言い訳なのだろう。るなはそう言いながら、カフェラテを勢いよくかき混ぜていた。ウサギのラテアートが、粉々になって溶けていく。かつん、かつん、と、コーヒーカップの内側に当たるスプーンの音さえも、聞こえてきそうだった。
 それを見つめながら、芙美はふと、つぶやく。

「そんなことないよ。るなさん、凛々しいじゃない」

「凛々しい?」

 るなは、目を丸くしている。パッチリメイクでアイラインを強調したまぶたがまん丸く見開かれると、るなの顔は、まるでマンガのキャラみたいに見えてくる。力強いメイクが逆にコミカルで、表情や顔立ちがくっきりと鮮明に浮き上がっていた。
 そんな彼女は、どうやらたいそう驚いて、動揺しているみたいだった。

「それは、初めて言われたなあ……」

 くしゃっ、と、るなは髪に手を差し込んで、がしがし引っかく。その仕草は、はやりのメイクとファッションでばっちり固めた撫子組のおしゃれ番長にはまったくふさわしくなくて、けれど、芙美がどきっとするほど、キュートだった。

 それで、芙美はようやく気づいた。
 るなの方も、芙美を相手にしゃべりあぐねていたのだろう。話題を探し、話を広げようとして失敗し、よけいな蘊蓄を口走り、引かれてないかと心配し。

 何だ、と盛大にため息をつきたくなった。
 身構えるまでもない。等身大の西園寺るなは、当たり前に同じクラスの女子高生、ただの高校1年生だ。

 心の奥がすっとほぐれ、芙美は、ふと口を開いた。今なら何を口にしたって、彼女は快くうなずいて、他愛ない話ができると確信していた。
 けれど、芙美の言葉より前に、横合いから叶音の声。

「やー、悪い悪い。トイレ出たら電話かかってきて、つい話し込んじゃって」
「遅ぉい。先に帰ろっかと思ったとこだぞ」

 着席する叶音に、るながきつい口調で言う。あっという間にふだんの自分を取り戻した彼女は、さっきのキュートさをさりげなくどこかに隠し込んで、凛々しくおしゃれな西園寺るなに戻っていた。
 叶音はるなと芙美を交互に見やり、訊ねる。

「なんか話してた? 芙美、無口だから困んなかった?」

「ぜんぜん」

 るなはかぶりを振り、それから、ちらりと芙美に視線を送りつつ、からかうような声で言う。

「芙美さん肩こってるみたいだから、ふたりでマッサージでも行こうかって話してたとこ。全身コースで3万円ぐらいの奴」
「はあ!? 言ってねーし! 何、3万って、いかがわしい奴?」

 思わず芙美が声を荒らげると、るなと叶音がそろって笑う。

「何、芙美、そんなとこ行きたいの? サービスしてもらう?」
「芙美さん声大きすぎ! シスターにばれたら退学だよ!」
「もう……だいたい行かないっての、マッサージなんて」
「いやいや、3万はあれだけど、30分5000円とか行ってみない? すっきりするよきっと」

 るながしつこくそう言うので、なんとなく、興味がわいてこなくもない。数分前までしゃちほこばっていた両肩も、もうすこしほぐれるかもしれないな、と思いつつ、そういえば、さっきも似たような誘いを受けたのを思い出した。パフェのてっぺんのイチゴ、危うく奪われるところだ。

「そうやって人をハメようとするのやめてくれない? それも心理学?」
「今のはドア・イン・ザ・フェイス」

 わざとらしいくらいのどや顔で決めるるなに、芙美はぷっと吹き出す。笑いあう芙美とるなを、叶音がきょとんと見つめていた。
るなの苗字を一カ所間違えていたので修正しました。混乱された方、申し訳ありません。
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