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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第177話「施しはいちばん良いものからあげるものだよ」

「あちゃあ……」

 不運というのは続くものだ。だいたい、間が悪いときには自分の行動そのものがずれているわけで、それを補おうとしてあわてて動いても手遅れなことが多い。泥縄という類だ。
 かくして、ほとんど売り切れになったパン屋の棚を前に、春名(はるな)真鈴(まりん)はため息をついた。
 ごめんなさいねえ、この時間はだいたい売り切れちゃうの。という、店長の婦人のすまなそうな声を聞きながら、真鈴は仕方なくクロワッサンをひとつだけ買って店を出た。

 寂しい紙袋をぶら下げて、秋風を浴びながら、真鈴は考え込む。

「おなかすいたし……」

 そもそも、朝の時点で寝坊したのが失敗だった。あわてて家を出たせいで弁当箱を忘れてしまい、それに気づいたのが昼休みのこと。翠林の学食は女子高校生向けで、量が物足りない。さらに授業が長引いたせいで出遅れてしまったから、あまりいいメニューは残っていなさそうだと判断したところで、学校そばのパン屋を思い出した。
 そうなったらもうパンの気分で、真鈴は一目散に学校を飛び出した。しかし、肝心のパン屋の位置がうろ覚えで、角をひとつ曲がり間違えて見知らぬ路地に迷い込み、猫に道をふさがれ、ようやくパン屋にたどり着いたときにはこの有様だ。

 慣れないことをすると、ろくなことがない。素直に、友達に分けてもらえばよかった。
 かさかさと、手の中でパンの袋が音を立てる。いまさら、パン以外のものを食べる気にもなれないが、かといってコンビニの菓子パンはすこし物足りない。焼きたての、パン屋のパンが欲しかったのだ。
 自分でもわがままだとわかっているけど、気持ちがどうにもまとまらなくて、真鈴はぼんやりと突っ立っている。

「……あ、真鈴さん。めずらしい」

 不意に路地の奥から声をかけられ、真鈴は振り返った。

百合亜(ゆりあ)さん。こんなとこで何してるの」

 家と家のあいだの狭い隙間から、ゆるりと顔を出しているのは、三津間(みつま)百合亜だった。彼女の手の中には、真鈴が先ほど買ったのと同じ店の紙袋がある。見るからにパンパンで、中身が詰まっているのが明らかだった。
 百合亜はちょっと首をかしげる。整わない髪が、風を受けていっそうざんばらだ。

「散歩?」
「何で曖昧なの」
「猫に会いに来たような、お昼を食べに来たような、そんな感じ」

 いいながら、百合亜はぼんやりした目で真鈴の手の中の紙袋を見る。

「真鈴さんも?」
「うん。だけど、売り切れてた」
「あそこ、おいしいけど、あんまり量は作らないからね。食べるつもりだったら速攻で来ないと」

 いいつつ、百合亜はふいに、真鈴の前に自分の紙袋を差し出した。いかにも汎用のデザインという感じのロゴが、真鈴の目の前で揺れた。

「ちょっと分けてあげようか」
「ほんとに?」
「お代はいいよ。もともと余ったら猫にでもあげるつもりだったし」
「あたしは猫の代わりか……」

 とはいえ、ひもじいときには背に腹は代えられない。飢えになんて縁のなさそうな翠林生の慈悲の心に、感謝を捧げるべきだ。

 百合亜に誘われ、ふたりは近くの空き地に腰を下ろした。彼女がいうには、人目にも付かない静かな穴場らしい。

「翠林生がみっともなくパンをむさぼり食うには最適」
「言い方!」

 百合亜のとぼけたことばに突っ込み、真鈴は、百合亜からもらったカレーパンを口に入れる。

「あ、これおいしい」

 カレーというには雑然とした具材を詰め込んだそれは、カレーパンというよりピロシキに近い。揚げたパン生地のサクサク具合も絶妙だ。細いビーフンらしき食感を、口の中でプチプチとかみ切る。

「ありがとね、良いのもらっちゃって」
「施しはいちばん良いものからあげるものだよ」
「それ、何かの一節?」
「さあ?」
「適当なの?」

 ふたたび真鈴が突っ込んで、一緒にくすくす笑う。聖歌隊に所属する百合亜のことだから、何か由来があるものかと思ったが、そういうわけでもないらしい。

「あたしはつづみさんではないので、気の利いた警句がぽんぽん出てくるわけではないの」

 自嘲するように百合亜が笑うのに、真鈴は肩をすくめてうなずいた。

「ほんとはあたしも、もうちょっと勉強した方がいいんだけどね。翠林生って、出先でたまにそういうの求められるし」

 ミッション系の女子高校生で、ボランティアまでしている、となると、信仰が深いものと思われるのはやむを得ない。だからといって、知らないものは知らないし、でたらめの成句でごまかすほど不誠実ではないから、困ってしまうのだ。
 百合亜みたいに、適当で、堂々としていられるのはわりとうらやましい。

「つづみさんはすごいよねー。一から覚えてるのかな?」
「育ちが違うからね。最近は風夏(ふうか)さんも成長してるし、困っちゃう。あたしひとりが落ちこぼれ」

 百合亜はシナモンロールをもそもそ食べながら、真鈴にパン・オ・ノアを差し出す。

「ほい」
「いいの?」
「いちいち確認しないでも。善意は素直に受け取ろうよ」
「……そだね。ありがと」

 遠慮がちにされると、意外と施す側は困ってしまうものだ。すぐに引き下がったら感じが悪いし、押し問答みたいになるのも気が重い。
 社交辞令はほどほどにして、真鈴は百合亜の手からクルミ入りのパンを受け取った。

 意外と大きなパンを、一口。クルミはなかなか歯ごたえがあって、口の中にいつまでも甘みを残す。
 やっとのことで飲み込んで、真鈴は、百合亜を振り返った。

「半分こしよう」
「うん」

 真ん中でふたつにちぎって、百合亜に返す。彼女は端っこをすこしだけちぎって食べた。

「……百合亜さん、小食な方?」
「あんまり勢いよくは食べない」
「じゃあ隠れて食べなくってよくない?」
「そういう問題じゃないのだ」

 真鈴はさっさとパンを食べ終えてしまった。百合亜はまだパン・オ・ノアの端をのんびり食べている。断面からのぞく大きなクルミは、見るからに、かみ砕くのに時間がかかりそうだった。
 ちらちらと周囲に目をやり、真鈴は立ち上がる。

「飲み物買ってくる。何がいい?」
「悪いね。あったかいものがいいな、コンポタとか」
「何でいちいち粒々あるものほしがるの?」
「好きなの」

 きっぱりという百合亜に、真鈴としては苦笑するほかない。たとえ食べるのが遅くても、食べにくくても、好きなら譲歩しない。
 ふんわりとした面差しの奥に、そういう芯を強く持っている彼女の姿が、好ましかった。

「百合亜さん、今度いっしょに勉強会しようよ」
「試験の?」
「それと聖書も」
「……まあ、真鈴さんとなら、悪くないか」

 百合亜がふんわりと微笑む。静かな空き地にうっすらと日が射して、百合亜の髪がきらきらと輝いている。目を細めた彼女は、いまにも眠ってしまいそうで、きっと起こしても絶対起きないだろうな、と思わせる。
 とびっきりの熱い飲み物を買ってきて、彼女の目を覚まさせてあげようか。それとも、ぬるま湯みたいな味で、彼女を休ませてあげようか。
 いたずらな思いを抱きながら、真鈴は歩き出した。
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