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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第172話「3年なんて、すぐじゃない。せっかく会えたのに、もったいないよ」

 (なつめ)沙智(さち)は、校庭の片隅に腰を下ろして、目の前の小田切(おだぎり)(あい)にも気づいていない様子だった。

「沙智さん」

 愛が声をかけてみても、返事もない。ただ、目に見えない誰かに語りかけるみたいに、口元でぼそぼそとつぶやくような言葉を漏らすだけ。
 昼休み、このところ雨の多かった街にもひさしぶりに日が射し、校庭は秋の色に輝いている。からりと涼しげな空気に引き寄せられたように、生徒たちは芝生の上や木陰、花壇の隅っこに座り込んでランチを楽しんでいた。少女たちのかしましいおしゃべりの声が、あたりにさざめいている。
 その華やいだ空気から離れて、独り言のようにつぶやき続ける沙智の姿は、愛を不安にさせた。教室でみんなのじゃれ合う姿を見るのが好きなはずの沙智が、こんなふうに虚空を見つめているなんて、なんだかおかしい。

「……沙智さん!」

 ぎゅっ、と両手で沙智の顔を挟み込む。ひょっとこみたいに間抜けな顔になった沙智は、ひゃっ、とひっくり返った声を上げる。
 と、彼女の右耳から、白いイヤホンが落下した。沙智はあわててそれを手に取るが、それだけだった。ほかのことに気を取られた様子で、彼女はイヤホンを指先でもてあそびつつ、つぶやきを漏らす。

「ああ、大丈夫……うん、友達………………わかった…………そんなことないよ。ほんと……じゃあ」

 沙智は首のあたりに手をやり、何か触れる。それでようやく愛は気づいた。

「ごめん、電話してた?」
「……何してたと思ってたの?」
「いよいよ目に見えない生命体が見えるようになったのかと思って」
「いよいよって何。恵理早(えりさ)さんじゃあるまいに、私はそういうタイプじゃないんだよ」

 沙智は左耳のイヤホンをもぎ取るように耳から外すと、コードごと丸めてポケットにしまい込んだ。愛は、ごめんね、とちょっと頭を下げながら、彼女の隣に腰を下ろす。
 校舎の壁に背中を預けるように、しゃがみ込んだ。秋の陽射しが、まるで世界を覆うヴェールみたいに、景色を染め上げている。遠くの山も、敷地を覆う木々も、まだ紅葉するには早いけれど、秋の空気はふしぎに赤みを帯びて見える。
 愛と沙智は、その切なげな色調から逃れた旅人みたいだった。

「でも、まだちょっとびっくりするよ。誰と喋ってるのかわからないし」

 愛がいうと、沙智も同意した。

「確かに。社会全体、まだ慣れてないって感じ」
「そのうちに慣れるのかな? なんかすごく未来っぽくない?」
「うちの父親は、携帯電話が出てきたときにそう思ったっていってた」
「未来のイメージはちょっとずつ変わってるね」
「そりゃ、時間はいつも先に進んでるから」

 沙智の含蓄ありそうな言葉に、愛はしみじみうなずく。かつての未来が、いまは現在になっている……とも限らないが、ある程度はそういうもののはずだ。
 愛も沙智も、そのうち成長するのだろう。

 ふと見ると、沙智はそのまま黙り込んで、うつむいていた。昨日までの悪天候の名残か、地面は日当たりのいい場所だけが乾いていて、壁際のしけった土との間におぼろげな境目ができている。その、やわらかな土の部分を、沙智がつま先でいじくる。
 ちょん、と、小石を蹴飛ばした。

「いまも、親とそんな話してた」
「未来予測の話?」
「……似たようなもんかな。卒業したらどうするのか、って」

 気の早い話だな、と思う。ついこの間、高等部に上がってきたばかりだ。たしかに初等部にいた頃に比べれば未来は近づいているものの、愛にはあまり実感はない。愛は内部進学のつもりだから、選択を迫られるのももっと先のことだ。

 そう考えて、思い至る。沙智のいう卒業とは、高等部の終わりのことだ。

「大学は外?」
「決めてない」

「……なんか、せわしないね。学校、出たり入ったり」
「10年以上も同じ学校にいるほうが、世間的には珍しいんだよ。知ってた?」

 冗談めかした沙智の笑みに、愛は、なんだかひさしぶりに困惑させられた。たいていは、愛のほうがすこしとぼけた発言をして沙智を困らせる。自分ではそんなつもりはないし、改善している気でいるのだけど、沙智のいうにはぜんぜんそんなことはないらしい。
 だからだろうか。沙智の迷いの意味も、よくわからない。

「3年なんて、すぐじゃない。せっかく会えたのに、もったいないよ」
「でも、そういうもんだし」
「どういう?」

 愛がいうと、沙智はふたたび口ごもる。両腕を組んで、悟ったような表情で、じっと地面を見つめる彼女は、でも、ただ困っているようにしか見えなかった。自分のことばの意味さえ、あやふやなような。
 沙智の視線は、愛を見ていなかった。

「ずっといっしょにいられないってわかってて、好きっていったの?」

 とっさに口をついたことばの響きは、愛自身、驚くくらいにとげとげしかった。はっ、と、沙智が息を呑むのが、おそろしく鮮明な音となって愛の耳をついた。
 沙智は何度か、口を開いて、閉じた。そのたびに、きっと別のことばが準備されて、取り消されたのだろう。見たことはないけれど、たぶん沙智は、アプリでもそういうふうにメッセージを何度も書いたり消したりしているはずだ。

 やがて、確定したことばが彼女の口から発せられた。

「いっしょにいたいよ。一分一秒でも長く。その時間を、すこしでも多くしたいって思ったら、いわずにいられなかった」

「……うん」

 自分でいわせたようなものなのに、愛は、すごく恥ずかしくなった。真っ正面からそんなふうにささやかれるのは、いつまで経っても照れるものだ。恋人同士でいることに慣れたり飽きたりすることなんて、ほんとにあるのだろうか、と、つかのま思う。

 けれど、この熱も、いつか醒めるのかもしれない。未来はときおり、思いも寄らない形で訪れるから。

 沙智がわずかに、愛の側に身を寄せた。まだ夏服のままのふたりの袖がこすれあって、かすかな衣擦れの音を立てる。

「まあ、ひょっとしたら、親とか私の気が変わって、内部進学する気になるかもしれないし。翠林の大学部だって、箔としちゃそれなりのものだからね」
「……わたし、受験勉強しようかな」
「気が早いよ」

 ぷっ、と沙智は吹き出した。その笑いは、くすくすと低く震え続けて、愛の胸を心地よくくすぐるみたいだった。

「まだ1年の2学期だよ」
「支度は早い方がいいじゃない。後からあわてても間に合わないし」
「……本気?」
「いまのところは」

 あいまいな答えに、ふたたび沙智は笑った。
 でも、いまは、まだ何かをはっきりさせる時期ではないのかもしれなかった。だから、愛もそれ以上は何も付け足さずに、笑いを返すだけ。
11/15:記述ミスを修正しました。
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