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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第171話「クモの巣! どこにいたのよいままで」

 後ろの席から、かつかつと書き物のような音が聞こえてくる。シャーペンと紙のふれあう音とは違う、もっと固くて素早い音。
 武藤(むとう)貴実(たかみ)は、その音の正体をだいたい知っている。梅宮(うめみや)美礼(みれい)が、隠れてマンガを描いているのだ。
 四時間目、世界史の授業の間中、音は響き続けた。結局、美礼は1時間をまるまる執筆に使ったらしい。うんざりした貴実は、授業が終わると同時に吐息をついて、後ろを振り返った。

「美礼さん」

 授業が終わるなり席を立ちかけていた美礼は、中腰で動きを止めた。前屈みで、ぼさぼさの髪の合間からじっとこちらを見つめてくる美礼を、貴実は渋い顔でにらみ返す。今日はまた、いちだんと身だしなみが乱れている。

「ネクタイ、ほどけてる」

 貴実が胸元を指さすと、美礼はふと視線を下に動かして、目をしばたたかせた。

「ほんとだ」
「ほんとだ、じゃないわよ」

 直すどころか、表情ひとつ変えない。美礼の無頓着ぶりにあきれつつ、貴実は立ち上がって手を伸ばし、タイを結び直した。
 じっ、と、まっすぐになったタイを見つめて、貴実はふたたびため息。

「ここだけ直しても、焼け石に水ね」

 制服は、全体が整って初めてばっちり完成するものだ。美礼の服は、襟は曲がっているし、シャツの折り目もずれているし、スカートのプリーツも不揃いで、とうてい見栄えはよくない。あえて着崩している、というのでさえない、ただのずぼらな格好だった。

「なんか窮屈……」

 美礼は落ち着かなげにタイに手をやる。まるで、都会にいきなり出てきた野生児、というていだ。

「その格好でよく指導されないわね」
「ほっとかれてるんじゃない?」
「……ああ、そう」

 翠林の服装規定は厳しくはないが、だらしない格好にはシスターが目を光らせている。主の御前であるから、恥ずかしくない格好をせよ、というわけだ。その監視の目を美礼がくぐり抜けているわけもなく、たぶん、諦められているのだろう。
 一朝一夕で改善するようなら、苦労はない。

「生真面目にしろとはいわないけど、程々にしなさいよ。授業もぜんぜん聞いてないみたいだし」
「わかる?」
「当たり前。タブレットで何か描いてるんでしょ?」

 貴実は椅子の背にもたれ掛かるようにして、美礼の机の端をとんとんと指でつつく。彼女の机の上には、申し訳程度におかれた教科書と、タブレットがあるばかり。画面の上には、コマ割りされたマンガの1ページが表示されている。

「そんな調子で、中間は大丈夫なの?」
「赤点は取ったことないし」
「不条理……」
「それよりこっちの原稿のほうが大事だよ。文化祭の部誌に間に合わせないと」
「それ、いまやらなきゃダメなわけ?」
「いつ描けなくなるかわからないし。描けるときに描かないと」

 美礼の主張が妥当なのかどうか、貴実には判然としない。どだい、マンガの描き方など貴実にはわからないのだ。美礼には彼女なりの判断があって、優先順位をつけているのだ、というのなら、それを受け入れるだけ。
 マンガなんかほっといて、授業を真面目に受けろ、とまでいう気はない。貴実もそこまでお堅くはなかった。

「でも、ほどほどにしてよね。意外と耳につくのよ、その音」

 ちらり、とタブレットに目をやる。その脇に転がるスタイラスの硬質な光沢は、教室の明かりのなかでは場違いなくらいテカテカしていた。

 美礼は、そのスタイラスを手にして、スカートのポケットに差し込む。

「じゃあ外でやる」
「あ……」

 貴実が声をかける間もなく、ひょい、と美礼は腰を上げ、タブレットを手にして教室を出ていった。
 ほかの生徒たちは、美礼の後ろ姿をちらりと眺めるくらいで、気にもとめない。美礼が気まぐれで授業をさぼるのは、珍しいことではなかった。ふらりと消えて、戻ってきて、いつの間にか新しい絵が仕上がっている。そんな美礼の行いに、誰も文句は付けないし、つけられない。

 ただ、貴実だけが、自分の椅子にがっくり体を預けて、頭を落としていた。なんだか、ひどく悪いことをした気がする。


 昼休みと午後の授業、そして帰りのホームルームが終わっても、美礼は教室に戻ってこなかった。皆が教室を出ていく中、貴実だけが、どうにも去りがたくて椅子に座ったまま、束ねたノートを抱えてたたずんでいる。

「おっ」

 教室のドアの外から、美礼の声がした。彼女はまっすぐ、貴実の席のそばまでやってくる。
 貴実は、はっとして立ち上がった。

「美礼さん」

 美礼めがけて、貴実は手を伸ばす。

「クモの巣! どこにいたのよいままで」

 どこで引っかけたのか、美礼の頭には白くて細いクモの糸のかたまりが絡みついていた。貴実は顔をしかめながら、指でそれをつまみ取って教室の床に捨てる。
 美礼は、何が楽しいのか、にっこり笑う。

「あちこち。高等部って、意外と地下倉庫広いんだね。古い大道具とかあったよ」
「ほんとに何してるの、いったい」
「でもよかった、貴実さんがいて」
「え?」

 首をかしげる貴実に、ちょこん、と美礼は頭を下げた。

「ごめんね。さっき、ちょっと拗ねた」
「……そうなの?」

 さっき、とは、たぶん4時間目の終わりのことだろう。貴実は困惑する。あのとき、美礼が何かしら感情を動かされていたようには、見えなかったのだ。
 貴実の言葉に、彼女は無感動に反応して、教室を去った。そんなふうに思っていた。邪険にする相手から、機械的に逃れただけだ、と。

「マンガ描くのやめろ、っていわれたみたいに思って。もちろんそんなわけないんだけど、ちょっと、頭に血が上っちゃって」
「……ぜんぜんそんなふうに見えないけど」
「見えなくてもそうなの」

 そういう美礼は、相変わらず表情に乏しくて、うまく内面が読みとれない。貴実もたいがい感情の機微には疎くて、それで他人を怒らせたりしてしまうこともあるが、美礼の無表情さはそれに輪をかけて読みづらい。
 マンガに自分の感情をすべてそそぎ込んでいるのかも、くらいに、貴実は思っていた。

「でも、貴実さんのおかげで、ちょっといいもの描けたよ。原稿も進んだ」
「へえ」
「まだ見せられないけどね。完成品は部誌に載せるから」
「……あれって貴重品なんじゃないの?」

 美礼のマンガの載った同人誌は、一瞬で完売するという伝説がある。中等部のときの部誌も、あっという間に在庫がなくなったらしく、いまでは希少だ、という話をちらほら小耳に挟む。
 ふふ、とかすかに美礼は吐息を漏らす。照れているみたいだった。

「貴実さんのために、一部、取っとこうか」
「え?」
「お礼。お詫びかな? まあ、どっちでも」

 別に、美礼のマンガそのものにはさほど興味はなかった。たぶん、読んでもよくわからない、という気がしていた。
 手に入らないから、読めないから、そういうふうに思いこんで、無意識に避けていたのかもしれなかった。

 けれど、こうして美礼の表情とともに、絶好の機会をぶら下げられると、とたんに興味がわいてくる。現金だな、と自分でも思う。

「……じゃあ、お願いしようかしら。読んだら感想文でも出す?」
「やめてよ、堅苦しい」

 美礼の苦々しげな顔を見て、貴実は、ちょっと笑った。
 これからは、執筆の音を聞いても、あまりイヤじゃなくなるかもしれないな、と、思う。
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