挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
172/233

第170話「親御さんに会うなら、もっとちゃんとしてくればよかったかなあ」

 ニュータウンのほうを訪れるのは、いつ以来だろうか、と宇都宮(うつのみや)(りん)はあたりの景色を見回す。どこもかしこもきれいに清掃され、マンションの庭先に茂る観葉植物も、丹念に刈り込まれて美しい球形をなしている。道行く人々や、ペットさえも、どことなく明るい表情をしているように見えた。
 凛の先を歩く真木(まき)(あゆみ)が、わずかに振り返った。顔の左半分だけこちらに見せて、かすかに笑う。

「何緊張してるの?」
「いや……なんか、慣れないから。こういうきれいな場所」
「学校のほうがよっぽどお行儀よくて堅苦しいでしょ」
「そりゃそうだけど」

 たぶん、ふつうに考えれば歩の言葉のほうが正しい。でも、そんな実感がわかないのは、凛の側の心の問題だろう。
 歩の家に呼ばれる、という状況が、彼女の頭を混乱させていた。

 目的は、単なる試験勉強だ。ぼんやりと理系に進む進路が見えてきて、重点的に勉強したい科目もできてきたことで、目的意識も前よりは強くなっている。しかし、彼女の成績は、そんな意欲とは裏腹の低空飛行だ。2学期の中間も近いこの時期は、本腰を入れるのにはうってつけの時期といえた。
 そして、学年でもトップクラスの成績を誇る歩は、凛にとって最適の教師だ。
 おそらく。

「今日は、歩さんの家、誰かいるの?」
「ふたりとも今朝は帰ってきてなかったけど……ひょっとしたらリビングで寝転がってるかも。邪魔だったらけっ飛ばしていいからね」
「しないよそんなこと! ていうか歩さんはいつも蹴っ飛ばしてるの?」
「いつもじゃないけど、たまに」
「たまにでもするんだ……」

 ずいぶんフランク、というかおおざっぱな家庭のようだ。とても、歴史と格式ある翠林の優等生とは思えない。とはいえ、そんな家庭だからこそ、歩のように積極的で奔放な子が育ったのかもしれない。
 カトリック系お嬢様学校の、しとやかさや厳格さとは、彼女は無縁だ。

「でも、親御さんに会うなら、もっとちゃんとしてくればよかったかなあ」

 歩の家に行く、というのでさんざん悩んだ。可能な限りのおしゃれをすべきか、あるいは自然体でいくべきか。結局、自分のファッションセンスと手持ちの服ではどうにもならない、と悟って、秋物のセーターとジーンズで素っ気なくまとめた。
 歩のほうだって、別に気合いは入っていないようだった。待ち合わせ場所に現れた彼女の、コンビニにでも出かける、という具合のラフすぎる格好に、一瞬、凛は絶句したものだ。
 何しろ、それが似合うのだから、何もいえやしない。

「別に、親なんて気にしなくっても」
「気になるよ。歩さんの親だし」

 つぶやいて、凛は一瞬、口元を押さえる。なんだかひどく意味深に響かなかったろうか。

「いや、ほら、これからお邪魔する相手だし、いままでも何度も遊んでもらってるしさ」
「もらってる、とか、そういうことじゃないよ」

 歩がきっぱりと首を振る。凛は一瞬、肩を縮める。こういう卑屈な言い方が、よく口をついてしまう。そのたびに、歩にいさめられるのだ。
 ふたりは対等な関係だと、歩はいつも主張する。

 でも、その気高さを前にすると、逆に凛は落ち込んでしまうのだ。

「けど、今日だって、たぶん教えてもらってばかりだよ」
「いやなら教えないよ。凛さんが、ってことじゃなくて、私がね」

 くるり、と、前を歩いていた歩が、反転してこちらを向く。後ろ歩きになっても、速度はさっきまでとすこしも変わらない。
 そうして、凛と同じ早さで歩きながら、歩は笑う。

「私は私が楽しいから、人にも教える。それで自分でも分かることがあるしね」
「……そういうもの?」
「まだ、教えるのが面倒になるような段階じゃないんだ、私だって。それほどものを分かってる訳じゃない」

 とん、とん、と、歩のスニーカーがリズミカルに音を刻む。毎日清掃されているであろうタイルの上で、彼女のかかとが歌うように進んでいく。
 その後をついていく凛の足も、知らず知らず、軽快な音を立て始めているような気がした。自分の中に、知らない感覚が生まれていく。

「歩さん、前」

 はっと気づいて、声をかける。歩はちらりと前、というか後ろというか、とにかく進行方向を振り返り、走ってきた子どもを器用に避ける。ワンピース姿のちいさな女の子は、手にした買い物袋を振り乱しながら突っ走っていく。
 凛は何となく、その後ろ姿を見送った。幼く狭い歩幅で、無我夢中で走る子どもの青いワンピースが、視界に淡い残像を残す。

「ほら」

 歩が、笑み混じりの声でつぶやく。

「……何?」
「凛さんがいるから、私は安心して遊んでられるの」

 軽い口調は、冗談とも本気ともつかなかった。歩のほほえみは、明るく、透明で、あどけない。

 歩はくるりと身を翻し、前を向いた。そうして凛に並びかける。

「いっしょにいれば、可能性が広がる。それだけのことだよ」

 何のしがらみも、こだわりもない、歩の言葉は潔い。
 すこしの間、凛はその横顔に見とれた。手が届きそうもないほど遠いのに、そばにいる。

「……歩さんは強いね」
「ありがと」

 何のてらいも、遜りもない、歩のことば。真っ白いビルの壁面に跳ね返って、凛の耳に幾度となく反響するみたいだった。

 こんなふうに、まっすぐな感謝を述べられるくらいに、自分は強くなれるだろうか。
 それとも、いつまでも、歩に引っ張られているだけだろうか。

 まだまだ不安ばかりで、とうてい、歩についていけるようには思えない。
 でも、歩と並んで進むこの道は、ふしぎと怖くない。

「……何、にやにやしちゃって」

 いきなり、歩にそう問われて、凛は頬を押さえた。口角がつり上がって、笑みを浮かべているのに、そのとき初めて気づいた。
 作らなくても、自分はこんな風に笑うのだ、と、唐突に自覚した。

 きゅっ、と、両手で、頬を持ち上げる。

「わかんない」
「わかんないか」
「うん。だけど、楽しい」

 凛のことばに、歩はまぶしそうに目をすがめる。

「それでいいんじゃない? 飾らない、そういう顔」

 つぶやいて、めずらしう、歩が口ごもる。一瞬、迷ったみたいに目を空中にさまよわせた彼女は、やがて凛の横顔に振り返った。

「いいよ。それ」
「……そうかな。ありがとう」

 自然に、凛の口から感謝がこぼれた。ほかに何も留保しない、シンプルな感謝だった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ