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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第169話「動機はどうあれ、成績を上げて損にはならないものね」

「お礼なんか別にいいけれど……どういう風の吹き回しかしら」

 近衛(このえ)薫子(かおるこ)から、至極ふしぎそうにそういわれて、西園寺(さいおんじ)るなは顔をしかめた。

「私が勉強するの、そんなに変?」
「学生が勉強するのだから、変ということはないわ。ただ、ずいぶん急に意識が変わったものだと思って」
「そういうものよ」

 一学期のぶんもあわせた大量のノートをどっさり受け取る。その重みは、適当に過ごしてきた時間の代償としても、いささか過剰なように思えた。
 机の上に、どさり、と音を立ててノートを載せる。

「多くない?」
「授業のぶんと、それから自宅で使っているぶん。助けになるかも、と思って」
「家でこんなに勉強するんだ?」
「放課後は家庭教師が来るから」
「……へえ」

 机上のノートの山を見つめて、るなは、あっという間にくじけそうになる。ただでさえ、そんなに勉強するクセがついていないのに、こんなにノートばかりあっても宝の持ち腐れにならないだろうか。
 るなはじっと薫子を見つめ、嘆息する。

「むしろ、薫子さんに家庭教師してもらいたいくらい」
「……やめた方がいいわ。教えるのは得意ではないの」

 大仰に肩をすくめた薫子は、眉をひそめて、問う。

「でも、どうして私なの? もっと仲のいい人がいるでしょう……芙美(ふみ)さんとか」
「芙美さんは、だめ」
「何で。彼女もけっこう成績はいいと」
「そういう問題じゃなくってさ」

 るなが首を振ると、薫子はちょっと驚いたように目をしばたたかせたが、すぐに何か察した様子でほほえんだ。その笑顔は、りりしく堂々とした近衛薫子らしからぬ、悪い顔だった。

「なるほど。そういうこと」
「……何」
「るなさんも、意外とかわいいところがあるわね」
「意外とかいわない」

 ともあれ、要するに”そういうこと”ではある。できることなら、新城(あらしろ)芙美には相談せずに、自力、というかほかの人の力を借りて成績を上げていきたいのだ。目標は、中間試験で赤点から抜け出すこと。
 最初は内藤(ないとう)叶音(かのん)に相談したのだが、彼女だって赤点は取らないにしても低空飛行だ。それよりはずっと適任がいる、ということで紹介されたのが、薫子だった。

 るなの机のそばに、薫子はまっすぐに立つ。その泰然たるたたずまいは、何者も恐れない彼女の芯の強い気性を象徴しているように思える。

「まあ、動機はどうあれ、成績を上げて損にはならないものね。できることなら、私も協力するわ」
「……そっちはずいぶん余裕だね。自分のほうは大丈夫なわけ?」
「平気よ。どのみち大学は持ち上がりだし、よほどの点数でなければ親も文句はいわないし」
「ふうん」
「そっちこそ、今まで平気だったのが驚きだわ。ご実家は何もいわないの?」

 薫子の指摘に、るなはちょっと唇をゆがめた。わずかに目をつり上げて薫子をにらみ返すが、相手はいささかも動揺したそぶりを見せない。
 るなの実家である隣街の旧家は、薫子の家ともつきあいがある。お互いの家風はうっすらとでも知っているだろうから、きっと薫子も、るなの祖父の雰囲気は何となく察しているはずだった。

 るなは首を振った。

「どうだか。わからないよ、あの人の考えてることは」

 親の代から、すでに諦められているような気もする。それでいて、現状報告を義務づけたりして、変に気にしているような一面もある。
 無口で、傲慢で、いかにもあの世代の人、という感じの祖父だ。るなとはまともに話せる話題もなくて、結局、どちらからも歩み寄るタイミングがないまま、という状況だった。

「何にせよ、それは問題じゃない。いまから勉強する気になったのだって、私の気持ちの問題だしさ」
「……ひょっとして、芙美さんと同じ大学に行くとか、そういう理由?」

「……薫子さんさ、どのくらい知ってるの?」

 思わず問いが口をついた。薫子は、とぼけたように目をそらす。しかし、その口元に浮かんだ笑みは、彼女が現状を愉快に思っているのをはっきり示しているようだった。
 これまでよりいくぶん小声になって、薫子はつぶやく。

「叶音さんに聞いた程度よ。彼女も、別に詳しくは知らないみたいだったわね……そもそも、友達には話してるの?」

 薫子に見つめられ、るなは、眉をひそめる。
 どうやら、人に教えられたことよりもずっとたくさんのことを、薫子は察知しているらしい。彼女の人の悪そうな表情は、そう告げていた。頭が良くて、変に知恵のある人というのは、これだから困る。
 るなは額に手を当て、かるくため息をこぼす。

「……ちゃんとは話してない。説明しづらいじゃん」
「どうして? 喜んでくれるわよ」
「誰もがだれも、薫子さんほど広い心を持ってるわけじゃないと思う」

 なんだかんだで多様性に許容範囲の広そうな薫子の価値観と、ほかのみんなの感覚を、単純に同一視はできない。
 るなと芙美の関係だって、薫子が思うほど認められやしないかもしれない。逆に、るなのほうが考えすぎかもしれないけれど。
 でも、るながへたを打てば、迷惑を被るのは芙美だ。失敗はできない。

 薫子は、一瞬、難しい顔をした。何かいいたかったことを、強いて飲み込んだような表情。

「……何」

 るなが問うのに、薫子は静かに首を振る。

「やめておくわ。私の立場からだと、ただのお説教にしかならない」
「……そりゃ光栄」
「私や誰かが、認めるとかどうとかの筋でもないしね。でしょう?」

 その通りだ、と思って、るなは苦笑しながらうなずく。学校の成績だけじゃなく、薫子は頭がいい。
 ふたりだけの関係なんて、誰か他人に承認してもらうような話ではない。打ち明けて、許しを得るようなことでもない。ただ自然に成立して、自然に過ごしていく。それだけのことで、資格も何もいらない。

 るなは、机の上に積まれたままのノートに手を置き、その上にかるく体重を預ける。前屈みになって、すぐそばに立つ薫子の顔をじっと見上げた。

「ありがとね、薫子さん。すこしは気が楽になった」
「何もしていないわ。……ああ、でも、ノートはちゃんと活用してね」
「わかってる」

 でも、勉強しようという動機も、元々は、誰かに認められたいという思いだったような気がしていた。
 それなりの成績をおさめていないと、いっしょにいてくれる芙美に申し訳が立たない。第一、芙美本人がるなに向ける目も、変わってくるかもしれない。

 彼女に見合うように、るなも成長したかった。
 それは、たぶん悪いことではない。

「どうしたの、にやにやして。芙美さんのことを考えてるの?」
「うん」

 あっさりうなずくるな。薫子はあきれるだろうか、と思ったけれど、彼女は逆に、しごく楽しそうにほほえんだ。
 こんな顔、ほかの誰かに見せやしないだろうな、と、るなは、薫子のだらしない笑みを見て、思った。

「お幸せにね」

 そうひとこと告げて、薫子は背を向けた。そのときにはもう、いつもの彼女だった。
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