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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第168話「歩くなら、責任とって、ちゃんと最後まで連れて行ってよ」

 すとん、と、音がするような勢いで、初野(はつの)千鳥(ちどり)は眠りに落ちた。肩がずるっとかたむいて、真横に倒れそうになる。
 隣に座っていた内海(うつみ)弥生(やよい)は、あわてて、千鳥の肩を抱き留めた。

「びっくりした……」

 ほっとして、弥生は千鳥の様子を見つめる。彼女の頭はぐらんぐらんと揺れて、薄い色の髪が薄暮の中できらきらと波打つが、当の千鳥はちっとも目を覚まさない。弥生は仕方なく、彼女の上半身をゆっくりと、ベンチの背もたれに預けた。すると、千鳥の頭はわずかに上向いた姿勢でぴたりと止まる。なんだか、起き上がり小法師のようだな、と思った。近頃はめったに見ないおもちゃだが、昔、祖母の実家で見た記憶がある。
 脳裏で、ぽん、と記憶がはじける。つかのま、山奥の小暗い夕方と、公園のうら寂しい景色が入り交じって、急に、胸が締め付けられたような気がした。

 横にいる千鳥は、目を閉じて、何も知らないような顔で眠っている。弥生は、すこし、唇をとがらせる。

 ここまで連れてきたのは、千鳥のほうだ。といっても、別に何か目的がある様子でもなく、足の赴くまま、という風情だった。気まぐれに、健脚任せで遠くまで歩くのは千鳥の習癖で、だから弥生もあまり気にせずにそれについてきていた。
 なのに、ふいに、千鳥が休みたいなどと言い出したのだ。
 弥生が何かいうよりも早く、人気のない公園に滑り込むように入っていった千鳥は、すぐさまベンチに座り込んでしまった。気を利かせた弥生が、近くの自販機で飲み物を買ってきたときには、千鳥はもう眠りこけて起き上がり小法師と化していたのだ。

 弥生の左手には、2本の缶ジュース。ぎゅっと握ると、手のひらに冷感が染み渡って、指先がしびれるように感じられた。

「勝手に歩いてきて、勝手に寝ちゃうなんて」

 学校からも、家からも遠く離れたこの一画は、弥生の知らない場所だ。ずっと西日を背に歩いてきたから、町の東の端あたりだろう、という程度しか、察しがつかない。遠くからする子どもの声は、まるで空から降ってくるみたいだった。弥生が知らない、別の学区の子どもたちだ。
 自動販売機の影が、道路を分厚く覆っている。赤い夕日のなかで、ぺかぺかと白い光が浮き上がっているのは、どこか、怪談めいている。

「もう……」

 缶ジュースを片方、右手に持ちかえた。千鳥の頬に押し当てれば、彼女のこと、驚いて目を覚ますかもしれない。
 ほのかに赤い左の頬に、缶をくっつけようとして、ふと、弥生は手を止める。

 彼女はそっと、千鳥の背中に腕を回して、そろそろと右手を千鳥の右側に送っていく。うなじや肩に触れたら、きっと千鳥は気づいてしまう。慎重に、うまくやる必要があった。
 千鳥は、目を閉じて、かすかな寝息を立てている。ほんのり赤い彼女の頬は、呼吸ごとにかすかに膨らんだり縮んだりしていたけれど、それは余りに規則正しくて、機械仕掛けみたいに見えた。

 弥生の右手は、千鳥の右頬のそばへと届く。
 そうすると、まるで、千鳥を弥生が片腕で抱いているみたいになった。千鳥の肩は、いつもリュックを背負っているせいか、見た目の印象よりずっと張りがあるように感じられる。たくましくて、頼りがいがあって、いつでも弥生を支えてくれそうな肩。それに腕を回すのは、ひどく、どきどきする。

 肘を曲げて、指先を伸ばして。
 ちょん、と、缶の丸い縁が、千鳥の右頬に触れた。

「わ」

 ぱかん、と、卵が割れるみたいに千鳥の口と目が同時に開いた。
 一瞬の後、くるり、と、千鳥は弥生のほうに振り向いて、まっすぐこちらを見つめた。驚きで目をかっと開いた千鳥、というのも、弥生は初めて見た気がする。

「何してるんですか弥生さん」
「そっちこそ。……ほんとは起きてたんじゃない?」

 冷たい缶の触れた右側ではなく、弥生のいる左側を迷わず見た、というのは、その証明だ。千鳥はつかのま、抗弁しかけるように口を開いたが、すぐに事実を認めた。

「途中から起きていました」
「どうしていってくれなかったの」
「弥生さんがどういう行動をとるか、気になったので」

 いつものポーカーフェイスで、千鳥がそんなことをいうので、弥生は思わず彼女のほっぺたにもう一度缶を押し当てた。

「わあ」

 千鳥の声は、驚いているのか何なのかわからない。
 それがよけいにいらっとして、弥生は千鳥の額に頭を押しつけるみたいにしながら、じっとにらんだ。

「おおっ?」
「……何、今日は、私をからかって遊ぶ日?」
「たまたまです」

 つぶやく千鳥の目線が、つと、そらされた。いつも表情に乏しい彼女の顔は、そんなわずかな動きだけで、ひどく悲しげに変わる。

「……でも、すみません。困らせてしまいましたね」

 そうすると、弥生も怒るに怒れない。

「さっき、寝てしまったのはほんとうなんですよ。どうも、今朝から寝不足で」
「それなのにこんなに歩いてきたの?」
「寝ないと判断力が鈍りますね。どのくらいなら歩けるか、目算を立て損ねました。勢いで押し切るなんて、私らしくもない」
「そうかな?」

 人のいうことにもあまり耳を傾けないし、けっこう強引なところもある。千鳥は基本的にマイペースで、勢い任せな女の子だ。
 そんな自覚がないのか、千鳥は不思議そうな顔をするばかり。

「ともかく、それでさっきは寝落ちしてしまい、弥生さんが肩に手を回したあたりで目が覚めたんですが」
「……そう」
「でも、弥生さんがそんな顔をするほどとは、予想外で」

 ふたたび視線をあげた千鳥の表情は、薄暗くて、心細そうだった。弥生の影になっているせいで、よけいに、そんなふうに見えるのかもしれなかった。

 それとも、そんなにも、自分はすごい顔をしているだろうか。

「……怖かったんだよ」

 千鳥に怒ったり、慰めたり、そんな言葉を発するつもりだったのに、口から滑り出たのはそんな泣き言だった。

「千鳥さんがいきなり座って、寝ちゃって、私ひとりにされて。この辺の雰囲気は、何か怪談みたいだし。知らない街だし」

 額をぶつけたまま、ぎゅっ、と、千鳥の肩を抱き寄せる。
 そうしていないと、ひどく、胸の奥が冷えてしまいそうだった。

「どうしていいか、わからなくなるんだから」
「……すみません」
「歩くなら、責任とって、ちゃんと最後まで連れて行ってよ。私はどこまでもついてくから、だから途中でいきなりやめたりしないで」

 声が震えていた。抱いた腕から、自分の震えが千鳥に伝わっていないかどうか、不安だった。
 ほんのすこし、自分が千鳥に甘えていたのだと気づいて、それが怖かった。
 急に自分が弱くなったような、千鳥に寄りかかりすぎているような、そんな不安に足下がぐらついた。

 いっしょに並んで歩きたい。だけど、べったりと体重を預けてはいけない。
 そう、自分に言い聞かせる。

 千鳥は、すこしのあいだ、弥生を見上げてじっと黙っていた。それからかすかに身じろぎして、口を開く。

「あの、弥生さん」
「……何?」
「近くないですか」

 いわれて、ふと気づく。
 千鳥の、アーモンドみたいな形の目が、すぐそばにある。
 唇が、触れそうに近い。

「わっ! ごめん、つい、勢いで」

 ばっと飛び起きるようにして、弥生は千鳥から離れる。その勢いで、右手に持っていた缶ジュースが、ぽろりと手からこぼれ落ちた。

 ベンチの背もたれに当たって跳ね返った缶を、千鳥が器用に受け止めた。
 その顔は、すっかりいつものポーカーフェイスだ。

「……別に良かったんですけど」

 彼女の口からは、すこし、不満そうな声がこぼれた。
 そして千鳥はためらわずプルタブを開けて、ジュースをいっぺんにあおった。
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