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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第167話「うまく変われているのかどうか、自分でも、はかりかねているんです」

雪花(せっか)さん、さっきちょっと寝てましたでしょう」

 朝の礼拝の後、建物を出る人波に紛れ込もうとした小室(こむろ)雪花は、あえなく芳野(よしの)つづみに発見された。

「ばれた?」

 苦笑いしながら雪花が振り返ると、つづみは片方の頬をわずかに持ち上げた。それは、彼女らしい冷たい怒りではなく、どこか困ったような苦笑だった。
 ふたり並んで大きな扉を抜けて外に出ると、秋の朝のひんやりした空気が流れていく。どこからか金木犀の香りがしたような気がする。高等部の敷地に、そんなに花が咲いている場所があったろうか、と雪花はぼんやり思う。

「すこしは悪びれてください。高等部にもなって、居眠りだなんて」

 そんな雪花の耳に、つづみのあきれたようなお説教が刺さってくる。

「大きくなったからこそだよ。大人になるほどズルくなるの」
「狡猾になるなら、もっとうまくやれるようになってからにしてください」

 つづみが首を振りながらいう。雪花は眉をひそめて、じっ、と、つづみの横顔を見つめた。
 幼い頃から家が近くて、ずっと何となく見知ってきた顔だ。髪の編み上げ方はどんどん複雑になってきたけれど、その大人びて悟った面差しと、すべらかな頬の肌理は、ずっと変わらない。

「……あなた、ほんとうにつづみさん?」

 そんな横顔に、雪花は問う。つづみが雪花に向けた横目は、こわいくらいに醒めていた。

「寝ぼけてるんですか?」
「いや、なんだか、狐に化かされたみたいな気分」
「よけい悪いですよ。人を妖怪変化扱いだなんて」

 抑揚のない声で告げるつづみの表情に、むしろ雪花はほっとしていた。

「そうそう、つづみさんってそういう感じでなきゃ」
「……そういうこと言わないでください」
「あ、ごめん怒った?」

 雪花はとっさに謝る。つづみならば、多少の軽口は大丈夫だろうと思ったのだけど、失敗だったかもしれない。どうも相手との間合いを読み違えて、失礼なことを口走ってしまう悪癖があるのを、雪花は自覚している。
 つづみは、ちょっと肩をすくめるだけ。

「あなたがそういう人なのは、私も承知してます。今さら気にしませんけれど」
「失礼だったのは否定しないんだね」
「それはそうでしょう。ほかの人には、そういう言い方、しない方が……」

 つづみの言葉は、めずらしく、最後のほうで消え入るように小さくなった。彼女は居心地悪そうに、後ろで編み上げた髪を人差し指でかるく引っかける。きつすぎる靴紐をゆるめるような、落ち着かない仕草。

「……どうしたのつづみさん。頭痛い?」
「いえ」
「そうやって髪いじってるの、なんか百合亜(ゆりあ)さんみたい。見た? こないだ、めっちゃがっつり髪編んできて、風花(ふうか)さんにさんざん遊ばれてた」
「ありましたね、そういう日」

 大垣(おおがき)風花の名前に、つづみは一瞬、目元をゆるめたようだった。

「風花さんとも、仲良くやってる?」
「もちろんですよ。聖歌隊のたいせつな新人ですもの」
「それだけ?」
「そういう含みのある訊き方をしても、何も出てきませんよ」

 つづみは、つとめて抑えた言い方をした。かつての雪花なら、そんなつづみの反応を、単なる無関心と読みとったかもしれない。でも、多少は大人になった雪花には、つづみのことばに隠れたかすかな照れ隠しが感じられたような気がした。
 雪花は、つづみに顔を近づける。厳格で、精神的な世界に住む印象のある彼女だが、その白い肌からは、つねに身体の手入れも欠かさない丹念な性格がかいま見える。
 じっと見なければ、気づかないところだ。

「夏休みは、いっしょに遊んだりしたんじゃない?」
「遊びではありませんよ。勉強会とか、課題の博物館見学とか」
「遊びじゃないの、それは?」
「……まあ、多少はそういう側面もありましたが」

 意外にあっさり認めた。ふうん、と、雪花はにんまりする。

「それならけっこうけっこう」
「私だって木石ではないんですから、友達と遊ぶくらいはしますよ」
「やー、あんまイメージないからさ。ほっとした」
「あなたは私の親戚か何かですか」
「似たようなものじゃない? ずっと近くに住んでて、仲良くて」
「だいぶ違いますよ」
「じゃあ、風花さんは?」

 つづみは、雪花の問いに深いため息で応じた。また、頭の後ろに手を回して、指先で髪をゆるめる。今にもほどけてしまいそうに思ったけれど、よほど頑丈に編んでいるのか、びくともしない。
 振り返って、つづみは、雪花を厳しく見つめた。

「……ずいぶんこだわりますね。私と風花さんとの仲に、何か問題でも? 口出しするなんて、ほんとうにたちの悪い姑みたいですよ」
「そんなつもりじゃないって」

 ぱたぱた両手を振って弁解する。

「ただ、つづみさん、すこし変わった気がしたから。怒るのも、すこし、迫力なくなったし」

 つづみは雪花に何か言い返しかけて、結局ことばを飲み込んだ。唇をわずかに上向きにゆがめたその表情は、困っているようにも、笑っているようにも見えた。それはつづみらしからぬ、隙のある、それゆえに興味をそそる曖昧さだった。

「風花さんと仲良くなって、いい影響出てるんなら、それもいいかな、って」
「……いい、のなら、いいんですけど」

 つづみは、わずかにかぶりを振った。それでも彼女の髪はすこしも揺らめかなくて、そんな堅苦しさに、彼女自身も戸惑っているかのように、眉をひそめる。
 そして、つづみはつぶやく。

「うまく変われているのかどうか、自分でも、はかりかねているんです。中等部ごろまでの自分に、私は満足していたから」
「大丈夫だって。多少ぶれた方が、かわいげあるよ」
「私のかわいげなんて」
「ないよりはあった方がいいって」
「そうですか? ……風花さんのようにはなれないのに」

 つづみはそうつぶやいて、すこし、寂しげにほほえんだ。

「風花さんは、私にとって、そう……かわいらしい、妹のようなもので。いえ、年下として扱うのが失礼なのは、わかっていますけれど」

 そういう堅苦しいフォローをするところが、芳野つづみらしいところだ。雪花は、すこし笑った。

「別に風花さんになれなくても、つづみさんはつづみさんのままで、かわいくなれるよ」
「……また、そういう出任せみたいなこと」
「ほんとだってば」

 雪花が重ねていうけれど、つづみはしばらく、棒を呑んだようなぽかんとした顔をしていた。それで危うく、校舎に続く道から逸れて校庭のほうに行ってしまうところだった。
 雪花に引き戻されて、つづみは、すこし、照れくさそうに頭をなでた。

「これでは、雪花さんを叱れませんね」
百合亜の髪の話は156話、博物館を観に行った話は109話ですね。
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