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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第165話「私は欲張りたい。たいせつなもののそばに、一分一秒でもたくさんいたい」

 桜川(さくらがわ)(りつ)が、昼休みになってようやく教室に姿を現した。

「ごきげんよう。体は大丈夫なの?」

 彼女の真後ろの席の八嶋(やしま)(たえ)は、ほっとしたような、不安なような気持ちで訊ねる。今朝担任に聞いたところでは、律は熱を出して欠席、ということだったからだ。
 しかし、学校にやってきた律は、いくぶんぼうっとしているものの、顔色もよく、病気という感じではない。

「たいしたことなかったみたい。頭冷やして、余分に寝たら、かんたんに治ったよ」
「そう」

 うなずく妙を、今度は、律がいぶかしげな目で見つめてきた。

「妙さんこそ、どうかしたの?」
「……何が?」
「ひとりでいるの、珍しいから」

 妙はそのことばに応えず、昼食のおにぎりを口にした。妹の舌に合わせたのであろうそのおにぎりは、あまり塩が利いていなくて、妙には物足りなかった。

 ひとりでご飯を食べているのは、単に巡り合わせが悪かったせいだ。光原(みつはら)青衣(あおい)は食欲がないといって水だけ飲んで教室の隅で寝ている。津島(つしま)(つぐみ)は音楽室で部活の先輩といっしょだ。宇都宮(うつのみや)(りん)は、真木(まき)(あゆみ)といっしょに学校のどこかに探検しに行ってしまった。近頃は、理系の先生に話を聞いたり、図書館で機械の調べ物をしているらしい。
 そうなると、他のグループに入り込むのは難しい。席を空けてもらうことはできても、会話が成立するわけでもないからだ。

「律さんは、お昼食べたの?」
「家で食べてきた。病人食しかなかったし、ちょっと物足りないけど」
「食べる?」

 最後の一個のおにぎりを律に差し出すと、彼女は首を振って、妙の手を押し戻した。

「妙さんの方がお腹すいてそう」
「……そうかな」
「うん。ちゃんと食べないと、後に響くよ」

 律のやんわりとした声に、妙は、なんだか抵抗できなかった。彼女の声は、意外なほど通りがよくて、耳の奥まですっと届いてくるように思える。
 妙は、律のことばに従って、おにぎりを食べた。やっぱり、味はなんとなく物足りない。具の塩鮭もぜんぜん塩味がしなくて、単なる焼いた鮭の味がするばかりだ。

 律が目の前の席に腰を下ろした。妙は眉をひそめる。いつもなら、律は香西恋たちといっしょにいて、彼女たちのおしゃべりの脇で穏やかにたたずんでいることが多い。
 あれこそ、退屈なのではないかと思うが、いつも律は満足げなのだ。それが妙には不思議でならなかった。

 でも、いま、こうして座って妙を見ている律の瞳をのぞき込めば、すこし答えが見えてくる。

「律さんも、黙って人を見ているのが好きなほうね」
「わかる?」
「たぶん、私と似てる」

 律の制服や、鞄や、筆記用具は、アイドルグループのグッズやフォトで埋め尽くされている。件のグループはテレビにもそれなりに露出する人気グループで、学院内にも他にファンは多いが、律ほど入れ込んでいる子は見かけない。夏休みには、イベントに参戦するために遠くまで遠征に行った、と聞いた。

 妙も、ときおりアイドルのライブの映像はネットで目にする。彼女の好きなバンドのファンの中には、アイドルグループを露骨にバカにする子もいるが、妙はそこまで敵対心は感じない。ただ、違う世界の住人だな、と思うだけだ。

 でも、あの客席で画一的に泣き叫ぶ人々と、律とが、同じ人物には見えない。きっと彼女だって、最前で光る棒を振り回したりしているはずなのに。

「律さんって、なんか、ネットだとすごいたくさん文章書いてそう」
「それ、どういうイメージ?」
「なんとなく。国語の成績もいいでしょう?」
「それはあまり関係ないんじゃないかなあ……」

 苦笑しつつ、律は妙を見つめる。

「それも、自分と似てるっていうイメージの一環?」
「……そうかも」
「妙さん、けっこう粗忽というか、脇が甘い感じ」

 律はそういって笑う。しかし、彼女はそれ以上追求しようとはしなかった。ブログのアドレス、ハンドルネーム、そんなものを詮索しようとするようなら、どうかわそうかと頭をひねっていたのだけれど。
 そのかわりに、彼女の飄々とした顔に、問いかける。

「律さん、学校は退屈じゃない?」
「ぜんぜん? 私、学校好きだもの」
「ほんとに?」
「部活を作ろうとしたことだってあるくらいだもん」

 それは初耳だった。
 聞けば、学校に居座るために、実体のない部活動を立ち上げて部室を得ようとしたらしい。その行動力と、行動の意図に、妙は驚かされた。
 見開いた目で、妙は律を見つめ返す。律は首をかしげた。

「……そんなに意外?」
「だって……」

 妙は、すこし考え込んで、ことばを選ぶ。律は何もいわず、沈思する妙を待っていてくれる。
 テキストをまとめるときと同じような思考の果て、妙はつぶやいた。

「律さんは、ここ以外にも、居場所があるんでしょう?」
「そうだけれど。それが、学院をたいせつにしない理由にはならないもの」

 律は、椅子に座り直して、妙のほうにわずかに体をかたむけた。
 彼女の顔は、こんなに整っていただろうか。間近で律を見つめた妙は、つかのま、呆然となる。

「私は欲張りたい。たいせつなもののそばに、一分一秒でもたくさんいたい」
「……いるだけ?」
「いるだけ。目と、耳と、ほかのいろんな感覚を楽しませてもらえたら、私は満足」

「……何も与えないのは、逆にわがままじゃない?」

 思わず、妙の口をついたことばは、律をきょとんとさせた。思いも寄らなかった、とばかりに、彼女はつかのま目を丸くし、それから顔をうつむけて、くすくす笑う。
 小さく抑えたその笑い声は、まっすぐな彼女の声よりも、ずっとかわいらしく、妙の胸をくすぐる。

「与えられるものなんて、何もないよ。私には」
「そんなこと……」
「じゃあ、妙さんは、私の何がほしい?」

 律が、からかうようにいう。彼女の静かな微笑は、本音とも、冗談ともつかない。でも、冗談であってほしかった。自分が空っぽだと認めるようなことを、人がいうのは、なんだかつらかった。

 すこし考えて、妙は、どうにか提案した。

「……今度、私がひとりでご飯食べてたら、また声かけて」
「了解。いっしょに食べよう」

 ふたりのささやかな契約は、そんなふうに成立した。
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