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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第164話「あなたが、私の話、聞きたくなさそうにするから悪いのよ」

 バイバイ、と、手をふって、今まで会話していた相手の背中を見送り、三津間(みつま)百合亜(ゆりあ)はきびすを返す。と、そこへ、昇降口から入ってきた船橋(ふなばし)妃春(きはる)が声をかけてきた。

「知り合い?」

 彼女は目線を廊下の奥へと送る。百合亜の話し相手の姿は、もう階段のほうに行ってしまって見えない。
 百合亜は、首をかしげた。

「誰だったかな」
「……覚えてないの?」
「顔はなんとなく知ってたし、たぶん初等部の時に一緒のクラスだった子だと思うんだけれど」

 ぼんやりと百合亜はいうが、すでに相手の面影はおぼろげで、脳裏に思い起こすこともできなくなっていた。会話の内容も、高等部の授業とか、聖歌隊の活動とか、他愛ない世間話ばかりで記憶に残らない。たぶん、明日にはほとんど忘れてしまっているだろう。
 まとまらない髪を引っかいて、あくびをひとつ。

「つきあいないと、すぐ忘れちゃうんだよね、人のこと」
「あなたのそういうところ、ほんとう、あきれるわ」

 なかば諦観気味の息をついて、妃春は歩き出す。なんとなく、百合亜もそれについて行きながら、妃春のいかめしい背中に話しかける。

「でもさあ、そういうものじゃない? 初等部で顔合わせて、それから短くても3年は経つわけでしょ、顔なんてけっこう変わっちゃうしさ」
「だからって」
「妃春さんだって、人の顔、覚える方じゃないでしょ?」

 指摘すると、妃春はむっとして振り返った。

「私はもともと、誰彼かまわず人と親しくするわけじゃないから」
「……友達少ないっていってるのと同じだねえ」
「顔も覚えないほど浅薄なつきあいよりましだわ……」

 いいながら、妃春は深々とため息をついて、おもむろに足を止めた。思わず彼女を追い越してしまった百合亜は、いぶかしげに振り返る。
 朝の涼しげな廊下に立ち尽くす妃春の姿は、一瞬、何かひどく場違いな存在に見えた。

 百合亜が問いかけるより前に、妃春がつぶやく。

「反省しなきゃいけないの、こういうとこね」

 自嘲気味の苦笑は、いかにも、耐えきれずにこぼれ出たという感じの響きだった。

「前にも、先輩と、似たような話をしたの。そうしたら窘められたわ、もっと人の顔を覚える努力をしなさい、って」
「何で?」
「生徒会に所属しようという者ならば、全校生徒の顔を知っていて当然だから、だそうよ」

 妃春のことばに、百合亜はげんなりと眉をひそめた。当の妃春はひどく落ち込んだ顔だったけれど、その態度が、いっそう彼女のことばに滑稽なニュアンスを宿しているように思えた。
 ひょっとしたら、百合亜が妃春より前に立って、彼女のことを見ているせいかもしれなかった。そうして目にする妃春は意外とちいさく、遠く、それがどことなく深刻さを損ねているような気がした。遠くから眺める他人の姿は、往々にして、コミカルなものだ。

「……わたしには無理だね」

 そういって笑う百合亜を、妃春は、心底あきれた顔つきで見つめた。

「自分にソロリティに入れる資格があるって思ってたの?」
「冗談だよ。ムキにならないで」

 もちろん、百合亜は、妃春の幼い頃からの願望を小馬鹿にするつもりなんてなかった。けれど、妃春はひどく傷ついたかのように、頬をつり上げた。
 右の唇だけを不器用にひきつらせた、左右非対称の、それはちぐはぐで痛々しい表情だった。

「こっちはそれなりに真剣なの。あんまり茶々入れないでよね」
「じゃあ、なんでわたしなんかの前でそんな話したの?」

「……しなければよかったわよ」

 低い声で、妃春はぽつりといって、歩き出した。あっというまに百合亜を追い抜き、すたすたと廊下の端まで突き進んでいってしまう。
 一瞬、百合亜は唖然と立ち尽くした。追いかけるべきかどうか、つかのま、迷った。

 その迷いの瞬間に、後悔が押し寄せてくる。
 あんな、突き放した言い方、すべきじゃなかった。
 たぶん妃春の反省も、怒りも、自己嫌悪も、そこまで思慮深い行いではない。妃春はああ見えて、おそろしく感情的で、だから易々と他人を突っぱねるし、苦手な相手には不愉快さを露わにする。それでいて、好き、という気持ちはめったに人に見せない。
 不器用な子なのだ。昔から。

「ああ、もう」

 ため息のようにつぶやいて、百合亜は、柄にもなく早足で妃春を追いかける。

「待ってよ妃春さん」
「いやだ」

 妃春は振り返って、わざわざ足を止めて、百合亜に告げた。そういうところが、まだ子どもの部分を残しているというのだ。無視したりも、適当にあしらったりもしないところ。
 百合亜は、そんな妃春に、すぐに追いついた。朝から急に駆け足になったり、大声を出したり、ちっとも百合亜らしくない。ほんのすこしの運動で、あっという間に息切れだ。
 背中を丸めて、息を吐いて、百合亜は顔を上げる。妃春は、彼女を待っていたかのように、そこにいた。

「ほんとに、馬鹿にする気なんてなかったんだから。わかってるでしょ?」
「わかっているわよ、そんなの。それより」

 妃春は、思いっきり両方の眉をひそめて、百合亜をにらんだ。
 そして、くしゃくしゃの髪を、思い切りかき回した。

「あなたが、私の話、聞きたくなさそうにするから悪いのよ」

「……あー」

 笑っておけばいい瞬間のような気がした。
 妃春の言葉は心底子どもっぽくて、わがままで、甘ったれだ。あんな愚痴を聞かせて、人が素直にそれを聞いてくれるなんて、そう思いこんでいるのが悪い。
 そんな幼い妃春を、笑うことは、かんたんだ。

 でも、彼女が髪をいじり回すその手が心地よくて、百合亜は、ただ目を細めるだけ。
 半開きの口を、そのまま、にんまりとゆるめる。

「わかったわよ、おきさき様」
「……それ、何年ぶり?」
「さあ? 10年くらい?」

 妃春の名前に由来するそのあだ名に、ふたり揃って首をかしげる。そんな名で彼女を呼ぶのは、今となっては、百合亜だけかもしれなかった。

 妃春は百合亜の頭から手を離して、ため息をついた。

「ほんとうに、頼りにならないんだから」
「そうだよ。わたしなんかもともと頼りにしない方がいい」
「……あなたの、そういう悟ったみたいなところも、あれからずっと変わらないわね」

 妃春が、さびしそうにつぶやく。百合亜は肩をすくめ、応えない。幼い頃のすこし苦い体験と、それによって三津間百合亜に起こった変化のことは、ふたりの間でだけたまに思い出される、泡のような記憶だった。
 もう、ずっと忘れてしまっていいのに、ときおり浮き上がって、はじけて、じわりと胸にしみる。

 何も言わずに階段を上る百合亜を、妃春はしばし見つめた。
 そして、つぶやく。

「……忘れないからね。百合亜さんのこと」
「当たり前でしょ。何年そばにいると思ってるの」
「どれだけ長いつきあいでも、あなたは一瞬で忘れそうだけれど」
「人聞きの悪い」

 苦笑しながら、百合亜は首を横に振った。
 もちろん、彼女にだって、忘れていいことと悪いことの区別くらいは、ちゃんとあるのだ
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