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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第162話「なら、明日は私、ずっと黙ってようか?」

「バッグ、新しいのつけてる」

 挨拶もそこそこに小田切(おだぎり)(あい)にいわれて、(なつめ)沙智(さち)はちょっと驚いた。自宅のそばの文房具屋で、すこしブサイクなゆるキャラのキーチェーンを見つけて、うっかり衝動買いしてしまったのは昨日のことだ。
 そのチェーンが結ばれているのは、沙智の手前にある取っ手だった。だからマスコットは内側に入っていて、一見ではなかなか気づかないはずだ。

 なのに、愛は、朝の通学路で顔を合わせるなり、それを見つけたのだった。

「よく気づくねえ」

 くるりとバッグを裏返して、キーチェーンを見せる。丸っこい紫色の胴体と、三白眼の気持ち悪い生き物が、学院既製のバッグの横でくるくると揺れた。

「そりゃ、沙智さんのことだもの」

 マスコットに指で触って、愛は笑う。

「また変な顔だねえ。どうしたの、こんなの」
「一目惚れ、かな」
「好きなの、こういうの?」

 変な声を出しながら愛が問う。彼女はゆるキャラそっくりにぎょろりと目を見開いて、沙智をじっと見すえている。
 ぷっ、と沙智は噴き出す。

「人がやっても変なだけだよ、その顔」
「残念。もっと沙智さんに惚れてもらえるかと思ったのに」
「そんなことしなくても……」

 いいかけて、うっかり照れてしまって、沙智は歩き出した。駅から翠林女学院までの通学路は、相変わらず工事が続いている区域があって、なんだか慌ただしく感じられる。翠林の淑やかな生徒たちが歩くゆるやかな雑踏をかき分けるように、沙智は早足になる。
 追いかけてきた愛は、なんだかきょとんとした顔だ。

「何、急に」
「いや、何でも」
「さっき何言おうとしてたの?」
「今の流れで訊く、そういうこと?」

 空気が読めない、というか、デリカシーがないというか、たまに愛との会話は間合いが狂う。いきなり至近距離に詰め寄られるので、受け止めていいのか、突き放した方がいいのかわからなくなる。
 でも、そうやって彼女が迷っているうちに、愛はあっさりと退いてしまうのだ。忘れてしまうみたいに。

 追いついてきた愛の歩調に合わせて、すこし速度をゆるめる。彼女と並びかけて、ちらりと横顔を眺めると、すでに愛は涼しい顔だ。

「……なんか、いっつも、こんな感じ」
「何が?」
「数えてないんだけど」

 そういいつつ、沙智はわざとらしく愛の視線の前で指を折ってみせる。

「会うといっつも、愛さんの方が話しかけてくれるような気がする」
「そうかなあ」
「それで、愛さんのペースに巻き込まれちゃうような……」
「なら、明日は私、ずっと黙ってようか?」
「それはあたしが変な人みたいになるから」

 自分ひとりだけ喋りまくってる横で無言の愛、という絵面を想像して、ちょっと恐くなる。そして、ひょっとすると愛がほんとうに、そんなことを始めそうな気がして、よけいに恐い。

「……ほんと、シカトとかやめてよね」
「そういうの、本気にしなくていいからね?」
「愛さんのいうことはときどき、冗談か何かわからなくなるから、確認しないと」
「私、そんな変なこといってる?」
「たまに」

 身も蓋もなくそう言い切ってやっても、愛はふしぎそうに首をかしげるだけだ。

「だって、私が沙智さんのいやがることするわけないのに」

 まっすぐにこちらを見つめ、突然に直球の言葉を放つ。そういうのも、小田切愛の小田切愛たる所以だ。
 思わず、沙智は片手で顔を覆って目線をそらす。前へ前へと運ぶ自分の足のつま先が見える。道端に生えた細長い雑草を、ちょこんと蹴飛ばす。

「ん?」

 顔を前に傾けて、愛がこちらを見上げてくる。その丸い目は純朴で、透明で、だからいつも心を揺さぶられる。
 こんな顔で、何のてらいもなく、素直な言葉ばかりをぶつけてくる彼女の方が、今の自分よりずっとまともなはずだ。
 愛の言動がおかしいのじゃなくて、自分の心がぶれているのかもしれない。沙智はたまに、そんなやくたいもないことを思う。そんなことは、自分じゃ測れないけれど。

「私、何か変なこといった?」
「いや、今のはこっちの問題」
「どしたの?」
「……なんていうか、ね」

 斜め下に向けていた目線を、愛の方に戻す。
 彼女の面差しは、朝陽のなかできらきらと輝く。とぼけたような顔立ちの奥に、はじけそうな感情が眠っていて、ふとした瞬間に噴き出してくることも、沙智はよく知っている。

「今日も、愛さんはかわいいな、って」

「何だ、そんなこと?」

 ぷっ、と、しごくおかしい、という調子で、愛は笑った。あまりの反応に、沙智はさすがにあきれてしまった。彼女が自分の容姿にそこまで自信を持っていたとは、隣にいた沙智も知らなかった。

「……自分でいうかな、そういうこと?」
「だって、沙智さんが気に入ってくれてるんでしょ?」

 いいながら、愛はちょんと、自分のあごの先をつつく。自分であごを持ち上げて、かるく傾けてみせる仕草は、ひどく演技めいていたけれど、彼女がやるとふしぎと様になっていた。
 その無垢な瞳で、彼女はさらにいうのだ。

「沙智さんが好きなものなら、あたりまえに、私も好きだよ」
「……ああ、そう」

「だから、沙智さんも自信持つといいよ。私、沙智さんのこと好きだから、沙智さんも自分のこと好きになれるから」

 実にあっけらかんと、あたりまえのことを確認するような口調で、小田切愛はそういうのだ。

 とことん、かなわない。

「……ありがと」

 そのくらいしか、答えられる言葉がなかった。そのとき、すでに沙智は、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていたからだ。
 愛はくすくす笑い、しょげた駄々っ子を連れ出す親のように、沙智の手をとる。バッグと一緒に沙智の左手を握りしめて、ぐい、と引っ張る。取っ手の根元で、ゆるキャラのマスコットが大きく揺れる。

 はしゃぐように跳ねるマスコットと一緒に、愛と沙智は、朝の通学路を早足に歩んでいく。
 その歩調はいつもよりずっと早く思えて、ひょっとしたら、愛もちょっとは照れたのかな、なんて思って、沙智は内心、笑った。
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