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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第16話「いなくなっていたのに見つかったのだ」

 廊下にちいさなネズミがいた。
 もちろん実物ではなく、編みぐるみだ。ちいさな頭にキーチェーンが括り付けられて、その先には自転車のものとおぼしき細い鍵が光っている。

「あら」

 芳野(よしの)つづみは腰をかがめ、ネズミのキーホルダーを拾った。彼女のような世間知らずでも見たことのある、有名なキャラクターを模したものだ。毛糸のほつれは多いし、目や口元はしっかりしているものの、下半身のあたりに粗い編み目が目立つ。総じて、少々作りは甘い感じだった。

「誰のかしら?」

 大垣(おおがき)風夏(ふうか)が横からのぞき込んで、首をかしげる。その間につづみは前方へと足を速め、声を高めて呼ばわる。

「どなたか落とされませんでしたか? 自転車の鍵です、キーホルダーが」
「あっ」

 風夏たちの数メートル前を歩いていた八嶋(やしま)(たえ)が振り返った。スカートと胸ポケットをぱたぱた叩いて確かめた後、つづみのほうへと小走りに歩み寄ってくる。

「あ、やっぱりあたしの。ありがとう、つづみさん」
「いえ、すぐ見つかって幸いでした」
「オフィシャルではないよね、これ。自作?」

 百合亜(百合亜)が訊ねると、うれしそうな、しかし幾分はにかむような表情で妙はうなずいた。

「作ったのは妹なの。なかなかうまくできてるでしょう?」
「妹さん、いくつだっけ?」
「12。初等部の6年生」
「初等部? それでこれなら上々ね」

 風夏は感心して編みぐるみを見つめる。多少つたない部分も、小学生の作ったものなら愛嬌として感じられる。左右で大きさの違う目だって、ウインクしているみたいで微笑ましい。

「ほら、いまテレビで宣伝してるでしょう、編みぐるみの雑誌。あれを妹がほしがったんだけど、どこに行っても売り切れで。代わりに初心者向けの本買ってきて、自分で作りな、って言ってみたの」
「それでちゃんと作ったんだから、よく頑張ったわね」
「これは2作目なの。最初のは母が使ってて、今は自分用の3つめに取りかかってる」
「しかも続いてるんだ、もっとすごいよ」

 ほとほと感じ入った様子で風夏がうなずく。

「ええ。継続は力ですわ。『朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな』とコヘレトの言葉にもございます。続けていればきっと成果が出ること、妹さんを応援してあげて下さい」

 さらっと旧約の言葉を引いて賞賛するつづみ。風夏の目には、そんな泰然としたつづみの態度はとても頼もしく、誇らしく映る。高等部からの編入生である風夏にとって、つづみの落ち着きと教養は、入学直後から憧憬の対象であり続けている。

「ありがとう、つづみさん。すっかりハマっちゃってるから、むしろ作りすぎて困っちゃうかもね」

 言いながら、妙はちらりと風夏に目を向けて笑う。

「風夏さんにも、ひとつ作ってきてあげようか?」
「え、いいよそんなの」
「そう? ちいさい頃はけっこう好きじゃなかった?」
「ちょ、やめてよ!」

 風夏はあわてて、両手で妙の口を塞ぎにかかる。
 家が近所で、昔の風夏のことを知っている妙は、地雷のようにいらないことをしゃべり出しかねない。つづみの前では、よけいなことを口走らせるわけにはいかなかった。

「あたしはそういうの、もう卒業。過去のこと」

 ランドで数時間待ちのアトラクションに並んで泣き出したこととか、おみやげのグッズを会う人会う人に見せびらかしたこととか、ろくでもない思い出ばかりが浮かんでくる。
 風夏の顔はきっと真っ赤だ。

「うん……でも、そんなに必死にならなくても。うちのクラスにも、好きな子いるでしょう?」
「恥ずかしいの!」

 ムキになっている風夏を、妙は困惑しきりのまなざしで見つめる。百合亜が笑う声がして、風夏は唇をとがらせて彼女をにらむ。と、百合亜の脇で微笑んでいたつづみと視線が合ってしまった。
 風夏は身をすくめる。つづみの前で醜態を晒すなんて、と、いたたまれない思いに駆られてしまう。
 しかし逃げ出すのもはしたないし、つづみの目を塞ぐなんてもってのほかだ。けっきょく、つづみの視線を避けるように、身を引いて縮こまる。

 リンゴのように赤くなった横顔に、いつまでも、つづみの視線のこそばゆさだけが残った。


「いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当然ではないか」

 聖歌隊の練習が終わり、ふたりで教室に戻る道すがら、つづみがちいさな声でつぶやいた。

「何か言いました?」
「朝のこと、思い出していたのですよ。ほら、妙さんの」

 何気なく言われたとたん、風夏はまたあの時の恥ずかしさを思い出す。
 うつむくと、足元に生える雑草が、あざけるように風に揺れている。蹴飛ばしてやりたくなったけれど、つづみの手前、そんな乱暴な真似はできない。
 譜面を綴じたバインダーを、両手でおなかの上に押さえつけると、風夏の歩調はいくぶん重くなる。
 つづみは変わらず、同じような歩幅で彼女の横にいる。入学式の日、初めて会った時と変わらない、自然と微笑んでいるようなつづみの面差しは、日の暮れかけた裏庭で、みずから光を発しているみたいに明るかった。

「わたくしの家では、ああいうものには縁がなくて」
「厳しかったんですか?」

 風夏はつづみの横顔を見つめる。つづみはゆるやかに首を横に振った。

「というよりも、関心がなかった、というほうが適切ですね。テレビも、旅行も、およそ娯楽に対する熱意に乏しい家庭でしたから」

 つづみの家庭のことは、風夏も断片的にしか知らない。あまり自分のことを語るような人ではないのだ。だからこそ、彼女が前触れもなくそんな話をしはじめたのに、風夏は違和感を覚えていた。

「でも、学校に通っていれば、世の中に楽しいものがたくさんあるのは自然と分かります。さっきのネズミさんだって、ちゃんと名前、知っていましたもの」

 そんなことを自慢げに口にすること自体、浮き世離れしている証だ。そう言ってからかってみたら、つづみはどんな顔をするだろう。想像しかけて、思いもよらず、笑いがこみ上げてくる。

「……それで、それが?」

 おなかに力を入れているのを悟られないように、低めた声で風夏は訊ねた。ちら、とつづみは風夏のほうに振り向く。

「わたくしの暮らしは、そんなでも、わたくしなりに充実していたと思っています。風夏さんも、幼かった時の自分を認めればいい、と思うのです」
「……ええ」

 うなずく風夏の語尾には、うっすら笑いが混じってしまった。つづみの細い目が、爪の先ほどだけ見開かれて、その奥に潜んでいたつぶらな瞳が、風夏の額あたりにじっと焦点を合わせる。

「わたくし、何か的外れなことを申しました?」
「すみません、そういうわけでは」

 首を横に振り、肩をすくめる。そうして風夏は、なんだか自分の中でもつれ合っていたものがほぐれたような、解放感を覚えていた。

「つたないのも、愛嬌ですよね」

 風夏の口をついて出たそのひとことに、つづみは今度こそ、驚きをあらわにした。

「……わたくしが、それを言おうと思っていましたのに」

 それは、風夏が初めて聞く、子どもみたいなつづみの声だった。
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