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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第155話「わたしだって1度しか読んでないけれど、細部までいつでも思い起こせる」

 山下(やました)満流(みちる)の頭を悩ませていたちょっとした謎は、近衛(このえ)薫子(かおるこ)の言葉によって解き明かされた。

「漫研の冊子って、実は中等部の子にはほとんど手に入らなかったのよ」
「そうなんだ?」

 廊下での立ち話である。昼休み、演劇部員たちとの昼食から戻ってきた満流は、教室の前で薫子に呼び止められたのだ。彼女が満流に話しかける、というのは滅多になかったことなので、少々驚いた。もともと教室での人付き合いは乏しい満流は、ちゃんと話したことのないクラスメートというのも大勢いる。薫子はそのうちのひとりだった。
 話題は、梅宮(うめみや)美礼(みれい)について。

「中等部の2年生の頃には、彼女の名声は高等部や大学部にまで響いていたというわ。学園祭での冊子頒布の際にも、そちらの人々のほうが、中等部の生徒より先に訪れて冊子を入手していったとか。私も、3年生の時は同級生の部員に取り置いてもらうよう頼んでようやく入手したのよ」
「なんだかすごい世界だね」
「即売会で希少な同人誌を入手するのと同じ感じだわ。人の力か、体力が必要」
「いや、そのたとえはよく分からない」
「そんなだから、同級生にはなかなか同好の士がいなくてね。こうして話ができるのは、貴重だわ」
「わたしはそれほど、筋金入りじゃないけれど」

 つまりはそういうことだ。薫子は、きのうの満流と美礼の話を小耳に挟んで、満流に関心を抱いたらしい。美礼の漫画を読んでいる、数少ない仲間のひとりとして。

「私は『天気輪(てんきりん)』が一番好きだわ。壮大で、うつくしくて、かなしくて」
「誰に聞いてもあれが評判いいのよね。わたしは断然『(こずえ)()』なんだけど」
「……すごい代物だと思うけれど、あまりに内向きすぎない? 読むのが怖くて、私、1度しか読んでいないの」
「それがいいのよ。わたしだって1度しか読んでないけれど、細部までいつでも思い起こせる」
「というか、意外ね。あまり言葉の多くない作品でしょう?」
「だからこそ、ね」

 言葉遣いであれば、演劇の台本でも小説でも読める。漫画という媒体で感得するなら、ビジュアルの魅力があった方がいい。満流はそういう立場だ。
 薫子は、すこし戸惑ったように眉をひそめる。すっきりとさらけ出したおでこの下で、きゅっと動く彼女の眉は、意外とかわいらしい。切れ長の細い目も、鋭い、というよりむしろほほえましい。

「……読み返してみてもいいかもしれないわね。怖いけど」
「無理しなくてもいいんじゃない?」
「いえ。せっかくのタイミングですし、逃すのはもったいないわ」

 薫子はそういって、満流の目を見据えて笑う。

「感謝するわ、満流さん。早速、話をできた甲斐はあった」
「大げさよ。薫子さん、そんなことでいちいちお礼言うの?」
「思いついたときに言っておかないと、ずっと機会を逃してしまうもの」

 なんだか、それは、悲しい体験をした人の言葉のようにも聞こえる。あるいは一期一会を体感したか、だ。
 いずれにせよ、薫子のそういうまっすぐさは、満流にはいくぶんまぶしく見える。好ましくはあるが、真正面から見つめるには余りに力強い。

「ともかく、満流さんの漫画の話なんて滅多にできないから、ちょっとでも話せてよかったわ」
「本人には話さないの?」

 試しに訊いてみるが、薫子は、肩をすくめるだけ。

「美礼さん、あまり自分の過去の作品には関心がなさそうなのよね。だから会話がはずまないの。一番詳しい人のはずなのに」
「そうとも限らないわよ。作者より読者のほうが、よほど作品を読み込んでることだってあるし」
「うーん」

 何か得心いっていないような様子で、薫子は首をひねる。
 同じものを相手にしているはずなのに、どうも、うまくかみ合わない。言葉や作品と向かい合うなんて、だいたい、そんなものなのかもしれないが。

「脚本にしたいっていうんで、先輩方もみんなで『天気輪』読んでたんだけど、まあ解釈についてはいろいろだわ。我の強い人が多いのもあるけれど、百家争鳴、ちっともまとまらない」
「……本当にやるの? 『天気輪』」
「分からない。美礼さん自身はあの通りだし、実際、どういう形になるか予想つかないのよね。原型もとどめないような代物になってる可能性も」
「それ、意味あるの? 原作の」
「結局、きっかけが欲しかっただけ、ってのはあると思う。翠林の演劇部、っていう自負もあるし、新しいことがやりたいのよ。そのために、梅宮美礼っていう存在はうってつけだったんじゃないかしら」

「……満流さんは、いいの?」
「だから、わたしはそんなに筋金入りじゃないんだってば」

「……そう」

 薫子は肩をすくめた。それから、つかのま、満流の瞳をまっすぐ見据える。
 切れ長の瞳が、切り裂くような鋭さを帯びていた。

「でも、変なものにしたら、承知しないわよ」

 ひやり、と、背筋が凍るような心地だった。夏の空気が色濃く残る教室前の廊下は、まだまだ湿り気が濃くて蒸し暑い。それなのに、その一瞬だけ、冬の風が背中を吹き抜けたように、満流は感じた。

「そういうのは、脚本家にいってよ。わたしは演じるだけだわ」
「もしもやるなら、必ず観に行くからね」
「ありがとう。席はけっこうすぐ埋まるから、来るならいってね。お友達の分も、チケット確保しとく」

 満流はあっさりと、そう受け流した。薫子は一瞬、きょとんとする。
 たぶん、彼女にとっては、劇を観に行く、という行為は一種の挑戦状のようなものだったのだろう。その目に出来事を焼き付け、きっちりと解釈し、長所と短所を確かめ、評価し、結論を演者にぶつける。
 気合いの入った客にとって、それはきっと、気迫の必要になる戦いなのだ。

 でも、舞台に上がる人間にとって、それは余録のようなもの。
 満流にとっては、舞台上の出来事がすべてだし、それは自分だけの戦いだ。そんなものを酔狂にも見に来てくれるというのだから、感謝するしかない。

 やっぱり、満流と薫子は、どこかかみ合わないみたいだった。

 薫子はやがて、くすくすと笑い出す。そして、軽く握った拳で、ぽん、と、満流の胸をたたいた。

「面白い人ね、満流さんって」
「薫子さんのほうが、よっぽど面白いよ」
「……滅多に言われないわ、そんなこと」

 首を振って、また、薫子は笑った。
 どんな対立であっても、面白がってくれるのなら、それはいい友達になれる証かもしれない。そんなことを思って、満流も、すこし笑う。
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