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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第154話「無駄話みたいなのが、いつの間にかコンセンサスになってること、よくあるよね」

 好奇心と不安と、両方を抱え込んで言葉をかけるのは、すこし、勇気が要った。

美礼(みれい)さん、これから時間ある?」

 ホームルームの終わった直後、あわただしく生徒たちが帰り支度をする合間をすり抜けるようにして、山下(やました)満流(みちる)梅宮(うめみや)美礼の机のそばに立った。
 美礼は机の上のタブレットに視線を落としている。キャンバスは真っ白で、画像編集ソフトのアイコンだけが画面の端を煉瓦のように囲んでいるだけだ。その、白紙の世界を見下ろして何を思うのか、美礼は、満流の言葉にも応えずにじっと沈黙するばかり。

「ねえ」
「聞いてる。続けて」
「……ずいぶん自分勝手なのね」

 満流はあきれて嘆息する。たしかに話があるのはこちらの方だけれど、だからといって相づちも打たないのでは、やりにくくてならない。舞台の上とは違うのだ。
 とはいえ、話せというなら、好きにさせてもらうことにしよう。そう判断して、満流は言葉を続ける。

「うちの、演劇部の先輩がね。あなたと話をしたいっていうの。何でも、中等部の時のあなたの漫画を読んで、いたく気に入ったから、って。ずっとそのつもりだったけれど、一学期の間は勇気が出なかった、っていってた。それで、もしもあなたがよければ、これから」
「ごめん、今日はそんな気分じゃない」
「……そう」

 半ばは、いや、半分以上、そういわれる可能性はあると思っていた。だから、満流はあまり驚かない。
 おそらく先輩のほうも、梅宮美礼のそういう性格を織り込み済みで要求してきたはずだ。いや、むしろ、そうして拒まれることで、気まぐれな天才肌の漫画描きという美礼のイメージを補強し、満足すらしているかもしれない。先輩の恥じらいと、期待と、それからどこか痛みに耐えるようなほほえみを、満流は思い出していた。
 その空想を守るためには、2人を出会わないようにするほうがいいかもな、とさえ思う。

「ごめんなさい、邪魔して」
「ううん。それより、満流さん」
「何?」

「私を呼んで、どうするつもりだったの?」

 ふと顔を上げた美礼の視線が、満流の胸に刺さった。
 間近に見ると、美礼の顔には独特の迫力がある。太い眉の下の目は、化粧っけもないのにぱっちりと見開かれて、その奥に光る瞳は宝石のように大きな漆黒の球体。無造作な容貌とも相まって、どこか、野性味さえ感じさせるほどだった。
 気を抜けば、食われる。そういう肉食動物のような危険性が、彼女にはある。

「ただ話をしたかっただけ、ってこと、ないでしょ?」

 タブレットを両手で抱えなおして、美礼は、座ったまま上半身だけこちらに向ける。

「……おそらくね。でも、別に何か決まってた訳じゃなくて、ただの雑談程度」
「無駄話みたいなのが、いつの間にかコンセンサスになってること、よくあるよね。ややこしいと思わない?」
「同意するわ」

「で、私の、どの話を使いたいって?」

 どうやら、美礼はすっかり見透かしているようだった。漫画を描く人間というのは、創造力だけでなく、推理や直観にも長けているのかもしれない。あるいは、それほどの才気があるからこそ、美礼は天才でいられるのか。

「何てタイトルだっけ。あの、引力が」
「ああ。劇に向いてるとも思えないけど」
「あれがいちばん、みんなに評判いいのよね。適性よりは、趣味のほうが重要なわけ」

 つまり、そういう話だ。美礼の漫画を原作にして、舞台に使いたい、という演劇部の人々のふんわりした意見があって、満流はその代表となって彼女を話をしにきたのだ。

 このことについては、彼女が快く引き受けるか、それともすげなく拒絶するか、満流にはまったく予想できていなかった。だから、いくぶんかの期待と興味を持って、満流は美礼の言葉を待つ。
 教室のざわつきは、潮が引くように薄れていく。清掃当番をのぞけば、いつまでも教室に残っている生徒は少ない。ふいに、胸を締め付けるような寂しさが、満流を襲う。気がついたら、自分ひとりだけがこの場に取り残されてしまうのではないか。

「まあ、好きにすれば」

 ぽつりと返された問いは、ひどく投げやりな返事だった。

「いいの?」
「一度描いたものだから、こだわったりしないよ。どんなふうにいじり倒したってかまわない」
「そう」
「ただ、そうしたら、私の名前は出さないでね」
「……わかった」

 満流はうなずいて、美礼の言葉を心の中で咀嚼する。
 つまるところ、美礼は、過去の自作にはすこしの関心も持っていないのだ。だから、好き勝手にいじらせて平気なのだし、作者としての自分の痕跡すら残したがらない。

「美礼さんにとってさ」

 だから、訊いてみたくなった。

「漫画って何なの?」
「人生って何、っていうのに近い問いかけだよね。言葉ひとつでまとめるには複雑すぎない?」
「……かもね」

 自分だって、演劇とは何か、と問われたら、似たような答えしか返せないだろう。そういう意味では、期待通りの答えだったのかもしれない。それにしては、満流の心には、そんなに満足感はなかったけれど。

「話は終わり?」
「うん。呼び止めてごめんなさいね」

 ちいさく頭を下げる満流に、美礼は無言で首を振る。そして、タブレットを無造作に鞄の中にしまいこむと、すっくと立ち上がった。制服のえりが乱れて、スカートの折り目もバラバラで、どこをどう見ても不格好なのに、美礼というひとのたたずまいに限ってはそれが様になっている。
 こういう雰囲気を持つ人は、すこし羨ましい。満流が、どんなにがんばったって得られない境地だ。

「でもさ。一度、気が向いたら、演劇、見に来ない?」

 とっさに声が出ていた。歩き出しかけていた美礼が振り向く。
 彼女は、見透かすようにじっと満流の胸元を見据えて、微笑した。

「人が作った世界を見ても、別に面白くない」
「……言うわねえ」

 ふはっ、と、胸の奥で空気が破裂したような、声がした。
 それが自分の笑い声だったと、満流は、一瞬あとで気づいた。その音を思い出して、よけいおかしくなって、満流はくすくすと笑い続ける。
 そんな満流を、美礼はしばらく見つめていたけれど、すぐにドアのほうを向いて歩き去っていく。今度は、満流も、彼女を呼び止めなかった。

 笑いが収まる。清掃のために机が移動されて、舞台のように平らになった教室の床に、満流は立ち尽くす。
 そうして、ひとつ、小声でこぼした。

「悔しいなあ」

 美礼は、ただの一度だって、満流を描こうとしなかった。
 その自覚は、満流の心に苦い滴となってこぼれ落ち、いつまでも、長い間、残り続けた。
11/15:本文のミスをいくつか修正しました。
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