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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第153話「本人に噂が伝わったら、なんだか悔しい」

「漫研の?」

 舟橋(ふなばし)妃春(きはる)は、うつむきがちな阿野(あの)範子(のりこ)の顔を見つめて、鸚鵡返しに訊ねた。あまり普段の彼女はよく知らないけれど、その恥ずかしがるようなそぶりも、胸の前で組み合わせた両手も、なんだかひどく場違いな気がして、しばらく妃春は違和感が拭えなかった。

 そもそも、廊下で立ち話をしていること自体、不自然なのだ。移動教室の後、突然声をかけてきて、何の話かと思えば、過去の部活動の記録が知りたいという。
 先日、香西恋と話したことの記憶がよみがえって、妃春は少し警戒した。
 しかし、範子の問いかけはそれとは一切関係なく、そして、少々意外なものだった。

「つまり、漫研で出した部誌とかその辺が読みたい、と?」
「そういうこと」

 こくり、と、範子は控えめな仕草でうなずく。

「生徒会とか、ソロリティなら、そういう記録もあるかと思って」
「もちろんあるけど」
「……何? 何かハードルがある?」
「ううん。見せてあげるだけなら、生徒会室に来てもらえば簡単」

 妃春はいいつつ、ふと眉をひそめた。

「範子さん、漫画好きなの?」
「全然」

 即答する範子を見つめ、妃春はますますいぶかしげな顔になる。範子の顔は表情に乏しく、声音もどうにも平板で、いまいち意図がつかみにくい。
 少し考えて、ようやく、思い当たる節があった。

「ひょっとして、美礼(みれい)さんの?」

 撫子組の、というより、翠林の漫研の有名人である、梅宮(うめみや)美礼。その名前に、範子はうなずきを返してきた。なるほど、と妃春はひとつうなずき、それからふたたび表情を曇らせる。

「高等部の生徒会室にあるのは、高等部の活動記録だけよ。美礼さんの作品なら、中等部の漫研ではないかしら」
「……そうなの?」

 きょとん、と範子は瞬きする。盲点を突かれた、というより、最初から何か勘違いしていたようだった。

「美礼さん、高等部でも有名だ、って聞いたことあるから。てっきり、上の人といっしょに活動してたのかと」
「飛び級みたいに?」

 そういって、妃春は自分の言葉にちょっと笑った。

「……それはない、と思う。私も詳しく知っているわけではないけど。ただ、先輩の話では、彼女の作品を手に入れるために高等部の生徒も中等部に押し掛けていった、とかいう武勇伝はあったらしいわ」
「逆に言えば、高等部では、それは簡単に手に入らなかった、と」
「でしょうね」
「じゃあ、その先輩方が入手した部誌は?」
「それは当然、先輩の私物よ。それを探すよりは……同級生の誰かに聞いた方が早いと思うわよ?」

 妃春の忠告を聞いた範子は、そうか、とため息混じりの声を発した。うつむいた範子の目は、びっくりするほど沈んで、黒い。生徒会まで来てわざわざ見せてもらうより、ずっと簡単な行為のはずなのに、それがおそろしく高いハードルであるかのようだった。
 いよいよもって、妃春はいぶかしむ。額をかるく引っかいて、じっと範子を見据える。

「……本人に訊けばいいじゃない」

 もっとも安直な方法を提案すると、範子は即座に首を横に振った。

「それはなんかイヤだ。負けた気がする」
「勝ち負けの問題?」
「なんとなく」

 じっと見つめ返してくる範子の目は、鋭い。その輝きの奥には、彼女なりの、越えがたい一線が存在しているようだった。物静かで、どちらかといえば控えめに見えていた範子の、思いのほか強い感情に、妃春は少々面食らった。

「漫画好きの子たちも、美礼さんと仲がいいし。本人に噂が伝わったら、なんだか悔しい」

 香西(こうざい)(れん)近衛(このえ)薫子(かおるこ)のことを指しているのだろう。たしかに、彼女たちはお昼もいっしょのグループだし、恋や薫子は美礼に臆さず話しかけている。中等部時代の同人誌も持っているかもしれないが、そこに近づくのはイヤだ、ということらしい。

 面倒くさいな、と、妃春はちょっと思う。
 ただ、よく似た頑なさは自分の中にもあって、妃春はそれを否定したくなかった。共感、というほうが近いかもしれなかった。

「なら、先輩に話してみる。貸してもらえるかどうか」
「悪いわね、迷惑かけて」

 ぼそり、と、範子はつぶやいた。お礼の類を言い慣れていないタイプの、照れとも怒りともつかないような声。
 以前の妃春なら、その態度に、もっと気分を害していたかもしれない。けれど、いまは範子のことが、ほほえましく見える。自分の心にも、いくぶん余裕が生まれつつあるらしい。

 軽くお辞儀をした範子は、うつむいたまま、教室の方に戻っていこうとする。その彼女はもう、妃春と相対していたときの緊張を失って、廊下を通りすがる他の生徒にあっという間に溶け込んでいく。
 彼女の姿が、教室の扉をくぐる直前、ふいに範子は後ろ髪を引かれたようにこちらを振り返った。

 小首をかしげる妃春に、範子は何かもの問いたげな目線を送ってくる。
 しかし、問いを言葉にはしないまま、すっと教室の中に消えていった。

 そういう、範子の強ばって解けない心のことが、妃春はすこし好きになったような気がする。あんな、決して友好的でない態度をとられたというのに。

 すこし自分には、そういうマゾヒスティックなところがあるのかもしれない、と思う。妃春が気になる相手はいつも、人を振り回したり、人をぞんざいに扱うような人々ばかりだ。
 意外と難儀な自分の性格に気づいて、妃春は人知れず、苦笑した。
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