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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第151話「わからないけど、世界にとっては重要」

 今日は久しぶりに、学校の図書館に長らく居座ってしまった。ふと気づけば下校時刻で、窓の外は薄暮のだいだい色に覆われ始めている。秋の夕暮れ、という言葉は人口に膾炙しすぎて陳腐だけれど、実際そう呼ぶしかない瞬間というのはあるのかもしれない。
 阿野(あの)範子(のりこ)は、そんな他愛ない感慨に耽りながら図書館を出て階段を下りていく。
 その途上で、ぽかんと座り込んでいる生徒の姿を見つけた。通り過ぎようとしたところで、声をかけられた。

「範子さん、今帰り?」
「……美礼(みれい)さんか」

 範子は、梅宮(うめみや)美礼が座っている段のみっつ下、彼女の足のつま先が届いているのと同じところまで降りて、振り返る。美礼の顔を範子が見下ろす形だ。
 その位置から、範子は、美礼の手にしたタブレットをのぞき込む。薄暗い校舎を前に彼女が描いていたのは、雨の降る異形の都市の景色だった。三角形の塔、空飛ぶ翼竜、地を這う奇形の獣たちと、それを乗りこなすこれまた奇形の人々。

「ファンタジー?」
「世間的にはそう分類するのかな」

 そういう言い方自体、なんだか、いかにも世間ずれしていない純真無垢な芸術家を気取っているみたいに聞こえる。彼女のそのスタイルが、作品の神秘性に一役買っている、と考えるのは、範子のうがちすぎかもしれないが。
 範子自身は、美礼の漫画を読んだことはない。ずっと同じ学校にいて、噂を聞いていて、以前も一度同じクラスになったけれど、それは範子の動機付けにはならなかった。

「どうしてこんなとこで描いてるわけ?」
「部室だと落ち着かなくて。そろそろ部誌を出す時期だから」

 答えながら美礼はスタイラスを動かし続ける。ペイントソフトの機能にはあまり頼らないのか、効果線も手書きだし、トーンではなくカケアミを使っている。仕上がりはラフだが、そのぶん、迫力を感じさせる。
 とはいえ、ラフな線は観る側に想像の余地を残し、それが好印象につながる側面もある。一見のイメージだけで評価はできない、と、範子は心の中で気を引き締める。

「せめてもっと落ち着くところにいけば?」
「落ち着かないからいいんだよ。こういう不安定な感覚が必要なの」
「そんなものかな」

 いまや、小説の文章だってどこででも書ける時代らしい。路上でスマホで書かれた小説だってあるだろう。ただ、それが書斎にこもって万年筆と原稿用紙で書かれた小説と決定的に違う空気をまとうとは、範子には信じられない。

「で、それも部誌の原稿?」
「そうなる予定」
「予定って?」
「ネームも切ってないし、話も分からないから。この場面も、使うかどうか」

 それは原稿ではなく、単なるイメージボードの類ではないだろうか。範子はそう思ったが、何もいわないことにした。
 美礼の感覚は、やはり、範子には理解しがたい。

「じゃましたわね、ごめんなさい」

 そう言いおいて帰ろうとする範子を、美礼が呼び止めた。

「ちょい待って。そこにいて」
「……何?」

 問いには答えず、美礼はタブレットの上でささっと手を動かし、ほほえむ。

「範子さんのおかげで、世界がちょっと膨らんだよ。ありがと」
「……私が何したって?」

 首をひねりつつ、範子は、タブレットの中の絵をのぞき込んだ。
 さっきと違うところはほとんど見つけられない。多少書き込みが細かくなって、建物の窓の数が増えて。

 その窓のひとつに、黒髪の、ちいさな人影がいる。背の低い女の子だ。窓の外の空を、あこがれるように見上げている。きっと、背伸びをして、懸命に両手を窓枠に乗せて体を支えているのだ、と、顔の表情だけでなぜか分かった。
 女の子の視線を追うように、空のほうへと目線を動かす。

 そこに美礼は、大きな橋を架けた。

「これだ。何か足りないと思ってたんだよ」
「……それが話に関わってくるの?」
「わからないけど、世界にとっては重要」

 物語に描かれない、世界の外側。さり気なく存在するそれが、物語そのものの実在を支える。それも、範子は知っている。
 そんな新しい柱が、ひとつ生まれる瞬間を、範子は目にしたのかもしれない。

 だけど、それがなんだかむずがゆくて、範子は額をひっかく。切りそろえた前髪が、なんだかぬるっと指先に引っかかるみたいだった。視線をすこし下に向けると、タブレットの画面の中、ビルの窓の奥にいる少女と目線が重なる。
 自分がそこにいる、と錯覚するのは、傲慢すぎだけれど。

「……よかったの?」

 範子が問うと、美礼はちらりと目を上げ、うなずいた。

「そういうこと気にするのが、勘所なんだよ」
「……何それ」
「自分と世界の関わり合いに迷ってるあたり」

 あっけなく言い切られて、範子の頭の中から一瞬、言葉が吹っ飛んだ。怒ることさえ忘れて、呆然と、美礼の顔を見つめてしまう。
 彼女の面差しは、踊り場から薄く降りそそぐ蛍光灯の影になり、やけにおぼろげだった。判然としない表情は、笑っているようでも、真剣なようでもある。スタイラスの尻をあごに当て、唇をかすかにひねる。

「ねえ、範子さん。一度、念入りに描かせてくれない? 今でなくていいから」

「……勘弁してよ」

 範子は肩をすくめた。美礼のモデルにされた人が、たいてい自分と似ても似つかぬ姿に描かれていることは、範子も知っている。単に、彼女の発想のだしにされているだけだ。
 まっぴらごめんだった。

「描きたいなら、漫画の中で描けばいいじゃない。私なら、そこにいるんでしょ?」

 ちょん、と指でタブレットの角をつついて、階段を下りていく。そのまま、何の未練も持たずに場を立ち去って、それで美礼との関わりはおしまいにするつもりだった。
 でも、何か名残惜しくて、一度だけ振り返る。
 美礼の面持ちは、やはり陰になってうかがえない。

 でも、彼女の目が、ずっと範子の背を追いかけていたことだけは、わかった。

 すこし早足になって、範子は階段を折り返す。
 一階に下りて、玄関にたどり着くころには、もう駆け足になっていた。
 下駄箱の前で足を止め、範子は、はずむ息を落ち着けようと、両膝に手をついて、深くうつむいた。

 長い息が、口からこぼれ落ちる。
 顔を上げられない。

 顔を上げたら、空に、橋が架かっている。そんな、妄想めいた予感が頭にまとわりついて離れない。
 自分がそんな幻想小説の住人になってしまうような、そんな思い込みは初等部のころに卒業したつもりだったのに。

 なのに、美礼があんなことを言うから。

「……知ったようなこと、言って」

 範子は首をぶんぶんと振る。でも、いくら髪を振り乱しても、黄昏の底に浮かんだ美礼の面差しと、彼女の暗く黒い瞳が、範子の心を離れない。
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