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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第149話「行く当てがないなら、焼却されるだけだわ」

「見て欲しいものがあるの」

 思い詰めたような舟橋(ふなばし)妃春(きはる)の目つきに、一瞬、香西(こうざい)(れん)は圧倒されて、椅子を数ミリ後ろに引いてしまった。間近で見ると、彼女の大人びて憂いがちの顔つきは、何か胸に迫るような危うい雰囲気をまとっている。
 普段なら、むしろ他人を遠ざけるような物腰の彼女だけれど、そうして真正面に向き合うと、何となく放っておけない。

「……何ですか?」
「昨日、生徒会室の資料の整理をしていたら、見つかったのだけれど」

 そういって、彼女が恋の机に置いたのは、ひどく色あせてぼろぼろになった冊子だった。
 少女めいた丸文字の書かれた表紙には、どこか野暮ったい感じの草花や人の顔が描かれている。線はよれて、花の茎が途中で折れ曲がっているし、人の顔もやけに目が大きくて輪郭が太い。ネットや本からコピーしたのではない、手描きの親しみやすい図柄だ。端から茶色くなった表紙の上で、その図版はいっそう、暖かみを感じさせる。

 表紙の隅に、25年前の年号と、版元の同好会の名称が書かれている。
 その名前を、恋は、遠い昔に聞いたことがあった。

「ひょっとして」

 つぶやく恋を見つめ、妃春はすこしだけ表情をほころばせた。

「やっぱり?」
「……母が携わったものです」

 しみじみうなずいて、恋は、冊子におずおずと手を伸ばす。触ったら崩れてしまう、などと思ったわけではないけれど、こういう古いものを扱うのは、どうしても気が引ける。古本屋で希少そうな古書を見つけたときと同じ手つきで、彼女は、表紙に触れた。
 ざらつく手触りは、初めてなのに、ひどく懐かしく感じる。

 恋の母も、生粋の翠林生だった。
 恋に輪をかけておっとりとした彼女は、いつも恋のことを第一に気遣ってくれる、優しい母親だ。恋はずっと、その優しさに甘えるみたいにぬくぬくと、悪く言えば鈍く育ってきた。
 けれど、そんな彼女でも、いつしか気づいた。
 母が、翠林に通っていた時代、ことに高等部時代のことについて、ひどく口が重いことに。

「これを、わたしに、どうしろと?」

 顔を上げて、恋は妃春に問う。恋の目を見て、妃春もすこし気圧されるものがあったのか、下がり気味の眉をいっそう強くひそめた。

「学園祭で出された冊子らしいの。ただ、内容確認のために提出された同一のものが別にあって」
「重複している? 2部提出されたんですか?」
「……もしくは、当時の生徒会役員が、個人的に保管していたか」

 曰くありげに、妃春は告げた。恋は居住まいを正し、じっと、手元の冊子を見つめる。

「でも、それならどうして、ずっと放置されていたんですか?」

 これが個人の所有物なら、とうの昔の卒業したはずのその人が、持ち帰っていておかしくない。
 生徒会室に放置されたままだったのなら、それは、とっくに昔に忘れ去られたものなのではないか。
 それとも。

「……そんなこと、私に分かるはずないじゃない。だから恋さんに訊きにきたのよ」
「他の方は?」
「先輩も、先生方も、ご存じないって」

 かつての卒業生や、当時から在籍する教師も知らない。
 つまり、もうここの関係者ではない誰かのもの、ということだろうか。

 なるほど、そうなれば、卒業生の伝手をたどるのが自然だろう、と、恋も思う。
 そして現に、この冊子には恋の母も関わっている。
 事実の一端でも知っている可能性がある。

「……わたしに、探偵のまねごとでもしろっていうんですか?」

 恋の言葉に、妃春は一瞬、目を見開いた。それはなんだか、傷ついたような顔だった。

「そこまで求めるつもりはないの。ただ、もしも、しかるべき人に返却できる可能性があるなら」

 もしも、恋の母がそれを知っていれば。

 その可能性は、考えられなくはないけれど。
 でも、恋にとって、そのことを母に問うのは、いささか気の重い話だ。ずっと話してくれなかったことを、こちらから訊くのは、それなりに勇気が必要になる。

 物だけがあって、それに関わる人々のつながりは分からない。五里霧中、といっていい。
 そんな霧の中へ、手ひどい拒絶を受ける覚悟で踏み出して、どうなるというのだろう。
 得られるものは、些細な満足だけだというのに。

「……そっとしとくこと、できませんか?」
「元々整理されるはずのものよ。行く当てがないなら、焼却されるだけだわ」

 苦笑して、妃春は首を振った。

「どうせ物自体はもう一部あるし、特別な書き込みや書き置きが残っていたわけでもないし。これ自体を保存する理由はないのよ」

 大事なのは、このものが生徒会室に放置されていた、という事実自体だ。たぶん、中身には関わりがない。
 ひょっとしたら、本人すら忘れている、ただのなくし物かもしれない。25年後の後輩が、気に病むようなことではないのかもしれないのだ。
 だったら、後生大事に保管するのも、気が重いだけだろう。

 恋は、小さく肩をすくめた。

「だったら、過去の亡霊には、消えてもらった方がいいのかも、ですね」
「忘れた方が幸せってことも、あるものね」

 妃春が愁眉を開いて、ほほえむ。その顔を見上げて、恋は、少し驚いた声を発する。

「……妃春さん、すこし、変わりましたね」
「自分ではそんな気はないのだけど。よく言われる」
「でしょうね。なんだか、親しみやすくなりました」

 恋の身も蓋もない言いぐさに、妃春は顔をしかめた。

「今までの私がよほど取っつきにくかったような言いようね」
「そういうこと、自分で言っちゃうところが、変わりました」
「……ああ」

 妃春はため息のような、感動のような、微妙な声を発して、一瞬だけ恋をにらむ。
 そして、すっ、と机の上から冊子を取り返した。

「きっと、見知らぬ誰かさんも、同じことね。そのときの彼女は、もう、どこにもいないのだわ。だから、これも返す宛はない」

 そういいながら妃春は、自分の机に手を伸ばして、冊子をしまい込む。

「何かおもしろい記事があったら、教えてくださいね」
「自分で探しなさいよ、それくらい」

 いたずらっぽい声で、妃春は、恋の要望を突っぱねた。
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