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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第15話「彼女の指先が、魔法を織りなす」

 授業が始まったというのに、隣の席の梅宮(うめみや)美礼(みれい)はいつまでもガサゴソと机の中を漁っている。
 光原(みつはら)青衣(あおい)はそれを横目に、定年間際の先生が書き付けるへたくそな板書に眉をひそめた。最近ではホワイトボードに移行している学校も多いらしいけれど、翠林では古風な黒板とチョークの授業だ。
 カツカツという板書の音と、先生の聞き取りにくい声だけが教室に流れる。

 と、ふいに、青衣は自分にかけられるちいさな声を聞いた。

「青衣さん、シャーペン貸してくれないかしら」

 振り向けば、美礼がこちらを見ている。太い眉にぱっちりした大きな目、まっすぐこちらに向けられた視線にはすこしの遠慮もない。

「いいけど」

 うなずいて、ペンケースから予備のシャープを取り出しながら、青衣は内心でちょっと面白味を感じる。美礼が筆記用具を忘れるなんて、なんだか妙な感じだった。

 彼女は漫研部員で、噂によれば中等部時代から有名な奇才だという。実際、彼女は授業中でもお構いなしに絵を描くし、ときにはふらりと教室を出て放課後まで戻ってこなかったり、奇行の目立つ生徒だ。
 そんな彼女が絵を描くのはたいていペンタブのようだった。鉛筆とスケッチブックという昔ながらのスタイルは見かけたことがない。
 美礼にとって、むしろシャーペンなんて無用の長物なのだろう。そんなちぐはぐさを面白がりながら、青衣はこそっとシャーペンを美礼に渡した。

「はい」
「ありがと」

 うなずいた美礼は、ノートを広げて板書を書き写す、かと思いきや、しげしげとシャーペンの軸を見つめ始めた。
 キャラクターもののシャーペンなんて、高校生にもなって恥ずかしかったろうか、取り替えようか、と、青衣は美礼に声をかけようとして、思いとどまった。美礼の真剣な目つきが、周囲から干渉されるのを拒んでいるみたいに、輝いていたからだ。

 がた、と、前の席の雪花が立ち上がって、教科書を読み始める。とっさに青衣は前に向き直り、授業に集中する。読みにくい板書をどうにか書き写し、教科書の文字を追っているうちに、美礼のことはいったん忘れた。
 雪花が教科書を読み終わり、授業はまた先生の小声に移った。一息ついて、青衣は美礼にちらりと目をやる。

 彼女はまだ、シャーペンをくるくると手の中でもてあそんでいた。ときおりくるりと手の中で器用に回したり、じっと静止したり、矯めつ眇めつして、いっかなノートを取り始める様子はない。一度、何か書き始めようとしたそぶりだったが、すぐに首を振ってやめてしまった。
 と、美礼がさっきと同じまっすぐな目で、こっちを見た。

「青衣さん。シャーペン、もう一本ない?」
「あるけど……」

 さいわい、予備は何本か入れているから支障はない。けれど、美礼のその頼みは不自然で、気がかりだった。

「それ、調子悪かった?」

 ひょっとしたら壊れていたのかもしれない。それなら悪いことをした、と思って訊いてみたのだが、美礼は首を横に振る。
 とりあえず、もう1本シャーペンを渡す。今度はさして特徴もない安物だ。美礼がそれをどうするのか気になって、青衣はちらちらと様子をうかがう。

 すると、彼女は先に渡したシャーペンを、ノートの文鎮にするみたいに置いた。それから、ノートの紙面に、しゃしゃしゃっ、とすごい勢いで絵を描き始めた。

 見とれているうちに、数分で絵は仕上がった。そこに描かれていたのは、シャーペンに印刷されていたキャラクターの図柄だった。
 かと思うと、ノートをめくった美礼は、次のページをまたスケッチで埋めていく。さっきのキャラクターが、様々なポーズを取り、自由に全身を躍動させ、喜怒哀楽の表情を見せる様が、白紙の上を満たしていく。

 彼女の指先が、魔法を織りなす。たった1体、たった1枚のキャラクターが、いつしか、無限の物語の主人公に変わっていた。
 と、ふいに美礼の手が止まった。かちかち、とシャーペンの尻を押して、むっと眉をひそめる。芯が出ていなかった。
 美礼がこちらを振り返るのと同時に、青衣は手にしていた自分のシャーペンを差し出していた。

「はい」

 顔を輝かせた美礼は、ためらうことなくそれを受け取り、ふたたびスケッチに熱中し始める。青衣はそれを満足げに眺めつつ、ペンケースから最後の1本を取り出す。
 授業が終わりに近づいた頃、半分眠りかけていた青衣は、ちょん、と横から肩をつつかれた。見ると、美礼がこちらの顔をのぞき込んでいる。彼女の手元には、最後のページまでキャラクターのスケッチで埋まったノートがある。

「何、今度はノート?」

 冗談めかした問いに首を振って、美礼は、最初に貸したシャーペンをこちらに見せてきた。

「これ、どこで売ってる?」
「ああ、それ……」

 彼女を残念がらせるとわかって答えるのは、ちょっと申し訳なく思えた。

「もう売ってないの。前にバンドのライブに行ったときに、物販で買った奴」

 さるインディーズバンドのマスコットキャラクターで、知り合いのイラストレーターに描いてもらったものらしい。シャーペン以外にもアクキーやクリアファイルなど、いろんなノベルティが製作されているが、すぐに品切れになってしまう。バンドより人気かも知れない、と、バンドリーダーが自嘲気味にMCしていたのを覚えている。
 そっか、と、肩をすくめた美礼に、青衣はおずおずと付け足す。

「もし興味あるなら、サイト教えるよ。ほかの商品、通販してるかも。それに、曲も」

 言いかけて、青衣は言いよどむ。青衣の好きなバンドはゴシック系のメタルバンドで、好き嫌いが分かれる。特に、翠林のような穏やかな校風には、その曲調は合わないかもしれなかった。そう思って、ほかのクラスメートはもちろん、いつもしゃべるグループのみんなにも、無理強いはしていなかった。
 でも、美礼は屈託なく、うなずいた。

「うん。聴いてみる」

 彼女ならきっと、そうするだろう。たぶん、嫌いだったら嫌いと、きっぱり言いきるだろう。でも、その様子を想像しても、青衣は不思議と辛くなかった。
 たとえ音が合わなくたって、美礼の生み出した魔法には、いささかの曇りも現れないのだから。

 授業が終わった。青衣はあわてて、黒板に残された板書の名残を書き写していく。そういえばけっきょく、美礼は1ページもノートを取っていなかった。あんなふうにノートを使いつぶすようでは、何冊あっても足りないだろう。ペンタブを手放さないのは、そのせいかもしれない。
 板書を移し終えた青衣は、美礼に向き直る。美礼も気配を感じたみたいにこっちを見た。

「あ、シャーペン返さなきゃ」
「後でいいよ」

 首を振って青衣は、美礼の手元のノート、青衣の知らない物語がたくさん描かれた書物を指さして、言った。

「ノート、貸そうか? そっちと交換で」
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