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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第145話「この世界から代え難い喜びがひとつ失われたんだわ……!」

 高良(たから)甘南(かんな)の箸から、アスパラのベーコン巻きがつるりと滑った。

「あ」
「あ」

 そのおいしそうなおかずを受け取るはずだった飯塚(いいづか)流季(るき)は、甘南と同時に呆然とした声を上げた。落下の様子は目の前でスローモーションで展開されていくようで、しかし、彼女たちには為す術はない。
 ベーコン巻きは、机の端でピンポン球のように跳ね返り、くるりと縦に回転して、床に落ちた。

 数秒、流季はそのベーコン巻きを見つめる。冷え切っても艶を失わなかったアスパラも、油が程良く抜けてカリカリになったベーコンも、一瞬前までの輝きを失い、色あせて見えた。
 床に落ちた食べ物とは、それほどまでに、絶望的なものだ。

 流季は自分の箸を投げ出すような勢いで、がくりと頭を垂れた。

「人生とは……」
「大げさじゃない?」
「雪花さん、わかってない!」

 小室(こむろ)雪花(せっか)のつっこみに、流季は身も世もなく大声を張り上げた。

「甘南さんちのお弁当を、たった一品でも無駄にするなんて、それは人生の大きな損失よ! この世界から代え難い喜びがひとつ失われたんだわ……!」
「やっぱり大げさ」
「雪花さんはものの価値がわかってない!」

 実際、甘南の弁当はほんとうにおいしいのだ。甘南の母は専業主婦だが、料理に並々ならぬこだわりがあり、常に最高のレシピを追求し続けている。その研究成果はしばしばネット上にアップロードされて好評を博し、そろそろ書籍化の話がきているともいう。
 そんな人が、娘のために作った弁当の出来は、当然すばらしい。

「まあまあ、流季さん。ほら、こっちのサラダちょっとあげるから」

 甘南はおおらかにいって、流季の弁当のふたの上にポテトサラダを乗せてくれる。

「ありがとう……」

 甘南の善意に感謝する流季。ポテトサラダも当然おいしい。しかしアスパラベーコン巻きのショックは、なかなか癒えそうもなかった。

「流季さん、そんなに甘南さんちのご飯食べたいなら、甘南さんちの子になっちゃえば?」

 雪花が冗談半分でいう。流季もそれを笑い飛ばしかけるが、すぐに、真剣な顔になる。

「……それも悪くない」
「ちょいちょい」
「だって、自分でお弁当も作らなくていいし、何なら3食ぜんぶ出てくるんでしょ? しかも甘南さんちのごはんが。それ最高じゃない?」
「流季さん、いつもお手製だもんねえ」

 甘南がほほえんでいう。

 流季の母親は、甘南のそれとはまるで対照的な存在だ。ローカル雑誌の編集部でバリバリ働き、いつも取材でどこかに出払っていてなかなか家に寄りつかない。休日も、取材で知り合った相手と遊び歩いてばかりだ。人生のほとんどが仕事でできている、と流季は母親を評する。
 そんな人だから、家事にはほとんど手を着けない。やらない、というより、できないのだ。
 だから流季は、自分でぜんぶやるしかなかった。初等部の高学年の頃には、炊事も掃除も一通りこなせるようになり、逆にたまに帰ってきた母親のメイクを落として着替えさせるような有様だった。

 そういう自分は、嫌いではない。
 でも、それとは別として、あこがれはある。
 優しい両親に囲まれ、家事のすべてを親に任せ、いつも母親の素敵なお弁当を持って出かける日々。

 翠林女学院でなら、わりと当たり前のそういう生活が、流季にとっては高嶺の花だった。

「あたしもそういう生活してみたかったなー」
「……私はむしろ、流季さんがうらやましいけどね」

 つぶやく甘南の声は、いやにしみじみとしていた。流季は首をひねる。

「何でよ」
「私、自分じゃ何もしないからさ。なかなか誰かのために動く癖とか、つかなくって」
「らくちんな生活じゃない」
「でも、人として、それってどうかなって」

 いいながら、甘南はごはんを口に入れる。甘南の家で炊かれた白いごはんは、その事実だけで、おいしそうに見える。高級な炊飯器の機能を使っているのかもしれないし、ひょっとしたら、何の変哲もない無洗米なのかもしれない。

「そういう心根が育ってるほうが、やっぱり、すごいと思う」
「そんなもんかしらねえ」

 流季はしきりに首をひねる。心なんか、ちょっとしたギアのかけ方ひとつで、どうにだって動かせる。スイッチを入れるように、気持ちを即座に切り替え、新しい物事へと動き出すやり方を、流季はいつも模索しているし、かなり実践できているつもりでいた。
 アスパラベーコン巻きだって、まあ、あそこまで嘆いてみせたのはちょっとした道化だ。

「流季さんみたいな家に育ったら、私もそんなふうになれたかなあ」
「やめといた方がいいよ。しんどいから」

 流季は首を振り、自分の作った弁当の照り焼きチキンにがぶりと噛みつく。作り慣れた、いつもの味だ。劇的においしいわけじゃないけれど、流季の舌にはしっくりくる。

「甘南さんは甘南さんらしい生活しててよ。そのほうが、ありがたみある」
「そう?」

「でも、いっぺん、甘南さんの家、遊びに行きたいなあ。お母さんにレシピ、じかに教わってみたい」

 流季がそういうと、甘南はなぜか、ちょっと浮かない顔。

「うーん」
「あ、やっぱ迷惑かな」
「そうじゃないけど」

 ちらり、と、甘南は流季の手元を見つめる。弁当箱の中には、半分残った照り焼きチキンと、白いごはん。

「……流季さんの味、私も好きだからさ」
「……ああ」

 なるほど、と、流季は肩をすくめる。甘南にとっても、どうやら、流季の存在はありがたみあるらしい。

 流季は、弁当箱を甘南のほうに差し出した。

「ほい。さっきのお礼」
「ありがと」

 甘南は笑って、照り焼きチキンを口に放り込んだ。
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