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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第142話「やめてよ。何か、未来が見えた」

 開け放した窓から、夏のにおいを残す乾いた風が吹き込んで、カーテンを揺らす。窓辺の人影が、つかのま、白い布に覆い隠されてシルエットを描く。影が、風とともに波打って揺らぐ。
 その人影に、別の少女がカーテンの上から抱きついた。白い布に包み込まれた少女は、苦し紛れに顔を出して、相手をたわむれに叩くまねをするが、彼女は両腕をカーテンにしがみつかせたまま離れない。ふたりは笑いながら、じゃれ合う。

「……幸せだねえ」

 その様子を、教室の反対側から眺めながら、(なつめ)沙智(さち)はしみじみとつぶやいた。目を細め、頬をゆるめて、しかしその瞳には一分の隙もない輝きが宿っている。大好きな絵画を鑑賞しているときの芸術愛好家、という風情だ。研究者のような厳めしさも、マニアじみた屈折もない、純然たる愛好の精神が、そこにはあった。

「同感です」

 ひとつ前の席に腰を下ろしていた香西(こうざい)(れん)も、沙智とそっくりおなじ顔をしている。
 先日の席替えで前後になったばかりのふたりだが、お互い、心に通じ合うものがあるのは熟知している。それはひょっとしたら、初めて教室で顔を合わせた瞬間にも理解しあっていたようにさえ思えてくる。

 つまるところ、ふたりとも、女の子がいちゃいちゃしているのを見るのが大好きなのであった。

「気づいているかね? 夏休みの後の、この空気」

 なぜか沙智の口調は、昔のアニメにでも出るような胡散臭い博士のような感じだった。
 沙智の言葉に、恋は視線を動かさぬまま、うなずく。

「以前よりいっそう、芳醇ですね」
「仲の良かった相手はますます仲睦まじく、そうでなかったところには新しい関係」
「教室でも、毎日起きているはずの出来事ですけれど、休み明けとなると、いつの間にか大きな進展が起こっているからいっそうダイナミックに感じますね」
「そうそう。しかも、一夏の出来事の後となれば、ねえ」
「ふたりで旅行に行ったって聞きましたけれど」
「そうみたいね。行き先、知ってる?」
「いえ、誰も知らないみたいで」

 ふたりの視線は、カーテンのそばでじゃれ合うふたりを見ていた。飄々とした山下(やました)満流(みちる)に、いくぶんおとなしかった木曽(きそ)穂波(ほなみ)が抱きついて、何か額をつき合わせて声を交わしている。何を話しているのかは、ここまでは聞こえてこないが、会話の内容は重要ではない。
 大切なのは、ふたりが楽しそうなこと。それだけだ。

 ほほをくっつけ合うほどの距離で、満流と穂波が笑い合っている。その姿を、沙智は、声もなく見つめていた。

「……はあ」

 呼吸も忘れた数十秒の後、沙智は、大きく息を吐いた。
 かたわらの恋に目線を向けると、彼女も同時にこちらに視線を送ってきた。この光景を前に、ことばは野暮だ。
 数秒の沈黙によって、彼女たちは、なんとなく深いやり取りを交わしたような気がした。

「ほんとう、この学校来てよかった」
「でしょう?」

 たまらなくなった沙智のつぶやきに、なぜか恋が自慢げに答えた。沙智は肩をすくめつつ、すこし、恋に顔を近づけてくる。

「ねえ」
「何です?」
「恋さん自身はさ、何か、なかったの? 中等部とかで」

 恋は、ふだんのおだやかな笑みを崩さないまま、静かに首を横に振った。

「自分のことはいいんですよ。私はただ、外で見ていられれば」
「ほんとに?」
「……沙智さんこそ、(あい)さんとはどうだったんです。夏休み、何かありました?」

 訊き返されて、沙智は思わず口元を手で覆う。すこしずつ、じわじわと、顔が赤くなっているのがわかる。

 何か、と訊かれてしまうと、答えるようなことなんてあまりないのだ。
 しかし、自分と小田切(おだぎり)愛が過ごしてきた一日一日、ひとときのすべてが、何か特別な意味を持っていたのではないか、と思えてくる。
 いや、きっと、いつかそういう瞬間が来るのだろう。あの夏の日の何もかもが大切になる日が。

 ふと我に返ると、そこは教室の片隅で、目の前にいるのは香西恋だ。騒がしい室内から、ほんのわずか距離を置いて、沙智は制服を着て椅子に腰を下ろしている。
 そんな自分に、つかのま、違和感を覚えた。
 押さえた手の中で、沙智はちいさく声を絞り出す。

「……やめてよ。何か、未来が見えた」
「何です、結婚でも想像しました?」
「それはマンガの読み過ぎ」

 恋の想像力も、いささか偏った方向に過多であるらしい。沙智はしばらく深呼吸して、熱っぽくなりすぎた思考を落ち着ける。空気が頭に染み渡って、ゆっくり冷えていく。
 あの蒸し暑い夏の日々は、もう遠ざかり始めている。

「……どうして私は私なのかなあ」
「今度は哲学ですか」
「仮定としてさ、私がもうひとりいて、愛さんといるときの自分を観察してたとしたら、どんな顔してるのかなあ」
「たぶん、今のわたしみたいな顔していますよ」

 静かな口調でそういう恋の顔を、沙智はじっと見つめる。そして、彼女のことばに、おおむね納得した。
 納得はしたけれども、言って欲しくはなかった気がする。

「そういうこと言われるとさ、これから恋さんの顔、まともに見れないじゃない。鏡見てる気分になるよ」
「大丈夫ですよ。沙智さん、私よりずっとキュートですもの」

 さらりとそういうことをいうので、また、沙智は口元を押さえてしまう。

「……やめてってば。恋さんだって、かわいらしいよ」
「ご冗談を」

 くすくす笑って首を振る恋の仕草は、何か、冷たく静まりかえった部分を体の芯に持ち合わせているような、落ち着き払ったそれだった。彼女の奥底にも、変化しがたい箇所がある。それが恋の冷静さの所以であると同時に、諦観のように見える表情の理由でもあるのかもしれない。
 でも、そんなふうになってしまうのは、ほんとうに、早いと思う。

 じっと、恋の悟ったような微笑みを見つめる沙智に、彼女は、首をかしげて告げた。

「そういう顔をしていると、愛さんに叱られますよ」
「……はいはい」

 ちょっと目線を動かすと、教室の後ろのほうで、小田切愛はそしらぬ顔でスマートフォンに目を落としている。彼女はそういう人だ。
 何を考えているのか、ときどきわからなくて、だから油断するとあっという間に心をつかまれる。

 その一瞬ののち、かすかに恋が笑った。沙智は無言で肩をすくめて、教室のなかに目線を戻す。いつまでも続くような光のなかの喧騒が、やけにまぶしく見えた。
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