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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第140話「中の生徒にしてみたら自宅といっしょ、力の抜ける場所なの」

 放課後の校舎をあてどもなく歩き回りながら、桜川(さくらがわ)(りつ)は、可能性のことを考えていた。
 案外たくさんの教室が、使われないままになっている。施錠されて開かない部屋もあれば、窓に覆いをかけられて室内すら見通せない秘密めいたドアもあった。珍しく活発な部活動を行う教室もあれば、どうやら仲むつまじいふたりの秘め事に利用されている秘密の空き部屋もあって、律は中の人に気取られないようにそそくさとドアの前を通り過ぎたりした。

 そんな彼女が出会ったのは、北校舎の最上階にある一室だ。1年撫子組の教室からはかなり遠く、授業でも部活でも縁がなかったため、ほとんど寄りついたこともない場所だった。
 かつての一般教室が、生徒数の減少で空き教室となったらしく、机と椅子が組み合わせになって部屋の隅に片づけられている。黒板に、うっすらとかつての活動の名残が浮き上がって見えた。ごく薄く染み着いた、赤や黄色や白のチョークの粉は、もはや空間の一部になって消し去ることができないかのように思われた。

 何事にも使われないうつろな空間は、なんだか、死んでいるみたいだ。
 そんな不吉な想像をしながら、しばし、律はそこにたたずんでいた。

「あれっ?」

 声がして、律は振り返る。そこには、クラスメートの大垣(おおがき)風花(ふうか)がいた。彼女は興味深げに、ちょこちょこと律のそばに歩み寄ってこちらをのぞき込む。

「ひょっとして律さんも?」
「も、って?」
「あ、違うのかな。ごめん、なんでもない」
「いや、何にも聞いてないからわからないけど」

 独り合点してさっさと話を終わらせようとする風花に、律は眉根を寄せてしかめっ面を作る。
 風花は一瞬、視線を逸らした。やましいこと、というより、何か秘密でも抱えているかのようだ。うかつに口にできない隠し事。
 そんなものがあるなら、もっと口を慎むべきだと思うのだけど、そこで黙っていられないのが彼女なのかもしれない。

「……まあ、いいか。ないしょの話ね」

 結局、あっさりと結論を出したようで、風花はふたたび口を開いた。

「百葉箱のこと、知ってる?」
「……何の話?」

 百葉箱、というもの自体は知っている。たぶん、初等部の敷地のどこかにはあったはずだが、使っているのを見た記憶はない。そして、それが高等部に何か関わりがあるとも聞いたことはなかった。

 そんな律に、風花は校庭の百葉箱に関する噂を聞かせてくれた。使われていない百葉箱の鍵が、生徒たちの間で密かに受け渡されていて、鍵を受け取った生徒は箱の中にメッセージを残さなくてはならないのだ、という。メッセージは、言葉ではない何か。古びたキーチェーン、古本屋の栞、ちぎれたビーズの一粒、そういう、何を伝えるともしれない品々を用いて、生徒たちは、宛もないメッセージを伝えあう。

 そういう、秘密めいたやりとりが、夏休み前から行われていたのだという。そして風花自身も、鍵を受け取り、誰かに渡した。

「そんなことあったんだ」

 律のもとには、そうした噂は伝わってこなかった。もともと、そういう口伝ての噂には疎いほうだし、彼女の友人たちもあまり学内での噂話に興じるような人たちではない。
 風花のようにわりと気さくな少女とでは、温度差がある。

「だから律さんも、誰かと鍵を受け渡しするのかな、って思って」
「……もし、そうだとしてもさ」

 小首をかしげて、律はほっぺたを引っかく。

「だったら、秘密にしときたいんじゃない? 自分が、その鍵を持ってるなんて」
「……でも、いちおう私は仲間だしさ」
「かもしれないけども、こう、ねえ」

 曰く言い難い気分を、身振り手振りでなんとなく説明しようとして、律はふわふわと両手を上下左右に動かす。空中でパイ生地を混ぜるような、得体の知れないその動きを見て、風花がちょっと笑った。

「よくわかんないけど、わかった」
「そう……」

 なんとなく疲れた気分で、律は肩を落とした。そんな彼女に、風花はふたたび首をひねる。

「鍵じゃないんなら、何の用事?」
「用事ってわけじゃなくて……散歩みたいなもの」
「校内を?」
「意外と、何にも使われてない部屋があるんだな、って。面白いよ」
「……よくわかんない。そもそもなんでそんなのに興味持ったわけ」

 左右にしつこく首をひねり続ける風花に、律は説明した。かつて、彼女がなんとなく提案した、何もせずに放課後学校に残ってだべるためだけの部活。設立を申請してみようとしたところ、それでは通らないだろう、と舟橋(ふなばし)妃春(きはる)に却下されたこと。

「こんなに教室が空いてるんなら、ひとつくらい、そういう意味のわからない目的に使ってもいいのに、と思って」
「……ちょっと面白いね、そういうのも」
「もっと学校って自由に使えてもいいと思うのよねえ」

 律の軽口に、風花も苦笑を返した。

「でも、自由すぎても、なんか退屈な気がする。特に、翠林みたいなとこはさ」
「そうかな?」
「礼拝堂にみんなが自由に入ってきて、好き勝手に喋ってたら、やっぱりなんかイヤじゃない? ルールみたいなの、あったほうが、それらしいよ」

 そういえば、風花は高等部から編入して、しかも聖歌隊に入った変わり種だ。彼女の感覚でいうと、翠林はやっぱり厳格で、いかめしくて、どこか襟を正したくなるような雰囲気があるのだろう。
 初等部からずっと翠林にいる律には、忘れかけていた感覚だ。

「そっかー。むしろ私は、学校なんて自宅の延長みたいなものだと思ってたからなあ」
「何それマジメ?」
「逆よ逆。外から見たら、おしとやかで貞淑かもしれないけど、中の生徒にしてみたら自宅といっしょ、力の抜ける場所なの。そういう感じ、風花さんには、まだない?」

 律がいうと、風花はぽかんとした様子で、目をぱちくりさせている。急に、目の前にいる人が別人に変わってしまったのに気づいた、とでもいうような表情。タヌキに化かされた昔の人は、こんな顔をするのかもしれなかった。
 風花は、かるく口を開けて、ふっくらした頬から息を吐き出した。その吐息といっしょに、声が漏れる。

「……そういうものなのね」
「聖歌隊の子は、外でも中でも変わらないもんね。あれはあれである意味、一貫してるけれど」

 芳野つづみは、きっと自宅でもあの姿勢を保ち続けているのだろうし、三津間百合亜はいついかなるときも猫っぽいのだろう。見たことはないが、きっとそうだ。

 風花は、手品の種がばれたみたいな、呆気にとられた顔をして、かすかに笑った。

「はは、なるほどね。なんか、すっきりした」
「だといいけど。そういえば風花さん、聖歌隊はうまくやれてる?」
「ううん、もう大変。実は私、音痴なのかもしれない」
「……いまそれに気づくのは深刻な事態ね」

 律はじっと風花を見つめるが、彼女は言葉ほどには落ち込んでいない様子だ。そういえば、編入生である彼女にはいろいろ困ったこともあっただろうが、へこたれている素振りを見た記憶はない。なんだかんだで、頑健な子なのだろう。
 そういう、へこたれないタイプの子は、律はつい、応援したくなる。

「まあ、がんばりなよ。ちょっとくらい歌が下手な子いたほうが、愛嬌あるし。アイドルだってそうでしょ」
「……聖歌隊ってアイドルなの?」
「全然違うけど、まあ、そういう気分でもいいじゃない」
「律さんと話してると、なんか、カルチャーショックが多いなあ」

 またしても深々と嘆息しながら、風花はにかっと笑う。その面差しは、すとんと律の胸を貫くようで、思わず彼女は目をしばたたいた。
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