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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第139話「スマイルの練習でもするの?」

 朝、自分の席を一度間違えそうになって、八嶋(やしま)(たえ)は慌てて前から2列目の自分の席に飛び込んだ。

「ごきげんよう」
「あ、うん、おはよう」

 隣の席に腰を下ろしていた舟橋(ふなばし)妃春(きはる)が、こちらに挨拶した。ぴしりと背筋を伸ばし、膝の上で両手を重ねた彼女のお辞儀は、まるで何かの計測機械のように正確だった。
 どぎまぎと頭を下げつつ、妙は、こんな態度では失礼に当たるのではないかと思ってしまう。おずおずと様子をうかがうと、妃春はすでに妙のほうには目もくれず、何かの書類に目を落としている。

『ソロリティ』と呼ばれるグループの一員で、生徒会役員でもある。舟橋妃春は、そういう立場の人間であり、1年撫子組という空間の中では、いくぶん独特というか、端的に言って浮いている存在だ。
 それを知ってか知らずか、妃春はあまりほかの生徒とは親しくしている様子がない。だから妙も、妃春とはほとんど話したことがない。席替えで彼女の隣になってしまったときは、いっそ、別の誰かと交代してもらおうかと思ったほどだ。
 とはいえ、クラスで自分といちばん親しい宇都宮(うつのみや)(りん)は、隣の真木(まき)(あゆみ)と仲良く話していて、どちらに対しても席の変更を持ちかけられる状況ではなかった。そして、誰に話しかけようか迷っているうちに、機会を失ってしまったわけだ。
 教卓からよく見える席でもあり、本音を言えば、あまりついていないと思った。

「いつも、そんなにぎりぎりなの?」

 ふいに訊ねられ、妙は、ぎょっとして妃春に向き直る。
 妃春の険しい目つきに、妙は一瞬、おびえた。ふだんの態度がわからないぶん、彼女がどんな行動に出るのか見当がつかない。ひょっとしたら、生徒会らしくすごく実直で、とても怒っているのかもしれない。

「あの……ごめんなさい」
「私に謝られても困るけど。別に叱るつもりじゃないし」
「でも」

 妙が言い募ろうとしたところで、妃春が一瞬だけ口を開け、すぐに閉じた。言葉のタイミングを見失って撤回するようなその仕草は、妙の想像する妃春にはふさわしくない。もっと、こちらの言葉なんか気にせず、ぴしゃりといいたいことをいうものかと思っていた。
 でも、そのまま言葉を続けるのも、なんだか申し訳ない気がして、妙は口をつぐむ。

 妃春はすこしの間、妙の言葉を待つみたいにじっとしていた。が、やがて、くるくると人差し指に長い髪を巻き付け始めた。10回転ぐらいしたところで、彼女はようやく、次のことばを口にした。

「ちょっと、お姉……先輩から、いわれているの。学期の始まりだから、風紀の乱れには気をつけるように、と」
「風紀……」
「遅刻とか、無断欠席とか、サボリとか。増えないようにしてほしい、らしいの」

 迂遠な表現だったが、いいたいことは伝わる。

「つまり、私も遅刻するなってこと?」
「そう」

 ちいさくうなずいてから、妃春は、しばし言葉に迷いつつ、こちらを見る。

「……ええと、妙さんは、一学期は」
「……遅刻も欠席もなかったと思うけど」
「そう。なら、まあ杞憂ね。ごめんなさい、変なこと訊いて」
「変ってことはないけど」

 首を振りながら、妙はすこしずつ、妃春のことがわかってきた気がする。彼女は彼女で、単に、話題に困っているだけなのだ。
 どういう風の吹き回しかはわからない。単に上の人の指導なのかもしれないし、2学期になってほかの生徒とのやりとりを増やそうとしているのかもしれない。いずれにせよ、妃春は前より、すこしはなれ合うつもりがあるみたいだった。

 だったら、もうちょっと、気にせず話してみよう。

「私なんかの心配するより、撫子組はもっと気にすべき相手がいそうだけどね……」
「それはわかっているけど」

 妃春は深々とため息をつく。彼女の視線は教室の真ん中辺の空席に向けられる。たしか、梅宮(うめみや)美礼(みれい)の席だ。

「ちゃんと聞いてくれる人と話したほうが、ましだもの」
「それもそうね……」
「美礼さんのことは、生徒会でもしばしば話題になるけれど、諦められているような空気だわ。それに、隠れファンが多いから」

 それほどのものなのか、と、妙もびっくりして美礼の席に目をやる。わりと有名な存在であることは知っていたが、上級生にまで知られているとなると相当なものだ。妙にとっては、彼女は、一度へんてこな似顔絵を描いてくれた相手、という程度の存在でしかない。
 撫子組の中でも、知らないことはまだたくさんある。もちろん、目の前にいる妃春のことも。

「そういう極端な人はおくとして、まともな人が堕落しないように目配りするのが、仕事というわけ」
「堕落ね」

 大げさないいかただな、と、妙は苦笑してしまう。

「妃春さんは、そのための監視役ってわけ?」
「それは大仰だけれど。でも、いままでよりは、クラスの人たちにも気を配るのも私の役割かな、とは思っているわ」

「私に挨拶したり、こうして話してるのも、役割?」

 妃春が、目を見開いた。ずっと険しくこちらを見ていた目線が、その瞬間、ぱっと光を放ってはじけたような気がした。彼女の内なる感情が、その一瞬だけ、強くむき出しになったような。
 咄嗟に、妙は頭を下げていた。

「ごめん、意地悪だった」
「……そうよ、失礼だわ」

 叱りつけるような言葉遣いとは裏腹に、妃春の声は、むしろ、はずんでいるみたいに聞こえた。

「私だって、別にそこまで刺々しいつもりはないのよ」
「……そうかしら」
「いつも、こうなの。誰に対しても」

 拗ねた口ぶりの妃春に、妙も、さすがに笑ってしまう。どうやら、思ったよりずっと、妃春は自分の言動に自覚的であるらしく、そして、それは彼女のコンプレックスなのかもしれなかった。
 妃春は、ふてくされたように頬杖をつく。どん、と、肘で天板をこづくようなその態度は、ソロリティにはあんまりふさわしくない気がするし、ちょっとわざとらしい。

 でも、妙はそれに、笑って答える。

「じゃあ仕方ないね」
「……そうよ。仕方ないの」

 妃春の声は、それはそれで不満みたいだった。そういうところ、意外とややこしい相手らしい。しかし、そんな彼女のことが、妙はむしろ、興味深く思えてきていた。
 さっきまでは、人を拒む鉄壁のようだった妃春の怜悧な容貌が、いまはコミカルにゆがんでいる。わずかにとがらせた唇は、漫画家がうっかり手を滑らせたみたいな曲線を描いていた。

「けど、クラスのみんなに目配りするなら、もっと話しやすくならないとじゃない?」
「スマイルの練習でもするの?」
「それは飛躍しすぎ。それに、ちょっと怖い顔してても、話しかけたらみんな気安く受け入れてくれるよ、たぶん」
「……そうかしらね」
「そりゃそうよ、だって、妃春さんかわいいし」
「……その言葉、正直、あんまり信用してないのよね」

 妃春は肩をすくめる。めんどくさいなあ、と、妙はふたたび思う。
 でも、そのややこしさを解きほぐすのが、ひょっとしたら、妙の役割なのかもしれなかった。きっとそれが、彼女の今月の目標だ。
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