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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第137話「反抗心の代わりに、何か得たものはあった?」

「今度は隣の席だね。よろしく」

 すとん、と、右側の席に真木(まき)(あゆみ)が腰を下ろし、気安く語りかけてくる。宇都宮(うつのみや)(りん)は、心臓が止まりそうになった。

「……うん」

 学期始め、ホームルームで行われた席替えに、最初、凛は何の期待もしていなかった。仲のいい(たえ)青衣(あおい)と近くの席になればいい、とは思ったけれど、そのためにほかの生徒と交渉して席を入れ替えるほどの熱意もなく、ただ籤引きに身を任せていた。
 名前順で籤を引いた凛は、早々に窓際の席に割り振られた。まだ九月とあって日射しは厳しいが、居心地は悪くなく、いちおうは満足していた。周囲の席が埋まっていくのを、ぼんやりと眺めていた。

 そんな平穏を打ち砕く弾丸のように、彼女の隣に、真木歩が現れたのだった。

 凛は、歩のほうに振り向けないまま、うつむいて目線だけそちらに向ける。いちおう、それで会話を継続する意志くらいは示したつもりだったけれど、歩がそれに気づかずに別の誰かと話に行ってしまうかもしれない、という不安が、彼女の胸に兆す。
 歩はちょっと椅子の上で体を動かし、凛のほうを向いた。

「凛さんと話すの、久々だね。セミ以来?」

 気さくにいわれて、ぎょっとする。夏休み、たった一度だけ遭遇したあの日のことは、凛にとっても忘れがたい出来事だ。
 覚えていてくれたのは嬉しいけれど、きっと、歩にとっては数あるエピソードのうちのひとつにすぎない。そう思うと、気が沈む。

「そう、だね。セミのとき」
「ちょっと髪型変えたよね」

 いいながら、顔を近づけてくるので、また息が詰まる。歩のことだ、平気な顔をして、凛の髪をわしゃわしゃと触りにくるに違いない。
 すこし身を引いて、歩に顔を向ける。真横からなでられるより、正面で向き合ったほうが、多少はましかもしれない、と思った。

 歩の視線は、凛をまっすぐ見ている。彼女のようにいつでも自信満々な人は、誰かの顔を見るときにも、決してよそを見たりしない。顔の真ん中か、せいぜい口元やおでこに視線を移すくらいで、がっちりと目を合わせてくるときもある。
 臆さない態度が、歩をいつも美しく見せているのだ、と、凛は知った。
 逆に、目を伏せて、相手の膝ばかりを見ているような自分の顔は、たぶん、ひどくおびえて見えるだろう。けれど、凛にはどうしようもなかった。

 まぶしくて、うまく彼女を見られない。

「すこし大人しめになったかな?」
「……変えた、というほど髪はいじってないから。ただ、ちょっと、シャンプーとか変えただけ」

 凛の髪はいくぶん癖が強くて、きちんと櫛を入れて整えないとすぐにバラバラに乱れてしまう。これまでは、乱雑に見えてもかまわないと思っていたけれど、いまは心がけが違う。

 ふうん、と、息を吐くようにうなずき、歩は目を細めた。

「前のもよかったけどね。こう、反抗的な感じで」
「何に対して?」
「さあ? 世界とか?」
「……そういう反抗期は、中学生で終わったの」

 昔、ちょっとだけツンケンしていた時期の自分を思いだして、凛はつぶやく。あの頃から、あまり他人とうまく話せてはいなかったけれど、理由もない苛立ちを心の中に抱え込んで爆発しそうだった。

 歩は、そんな凛を挑発するように、ちょっと首をかしげて、目を細める。
 細い睫毛の奥から、ガラスのような瞳が見つめてくる。

「反抗心の代わりに、何か得たものはあった?」

 問われて、すこし、凛はいいよどむ。夏休み前の彼女なら、ひょっとしたら、何も答えられなかったかもしれない。
 けれど、いまは違う。

「音楽、かな」
「へえ」

 がたん、と、歩は椅子に座り直した。その瞬間、歩の瞳の色が変わったのが、凛の目にもわかった。人の目は、光や影の加減ではなく、その焦点と瞳孔によって輝きを変える。

 歩が、ぐっと顔を寄せてくる。凛はとっさに椅子の背をつかんだ。逃げるのではなく、自分の体をその場にとどめておくために。

「どんなの聴くの?」
「インディーズのとか。有名なのじゃないし、名前いっても知らないと思うけど」

 そう前置きして、凛がいくつかのバンドの名前を教えると、歩はちょっと首をかしげた。

「なるほど、ひとつも知らない。ていうか、あんまり音楽は聴かないからね、私」
「……興味なかった?」

 拒まれているように感じて、不安になる。世間話をしてくる相手なんて、たいてい、こちらのことは本気では知りたがらないものだ。好きなもののことを詳しく教えたって、聞き流されるばかりだ。
 結局、会話の流れだけが重要で、人の心なんて興味がない。
 そんなふうに思っていた。

 歩は、ゆるりと顔をほころばせた。

「なかったけど、知りたくなった」

「ほんとに?」
「嘘いってどうするの」

 唇をわざとらしく尖らせて、歩は不満そうにこぼす。凛は、のどの奥からかすかに笑い声をこぼし、ちょっと目をそらす。

「てっきり、聞き流されると思ってた」
「なんで?」

 歩のきょとんとした声が、凛の胸を強く震わせた。コミュニケーションが成立していないときの、どこか調子外れな声音。何かひどく失敗してしまったときの、いろんなことがうまくいかなくなるときの、哀しい音。
 けれど、歩のそれは、別の意味を持っていた。

「知りたくない人から、話なんて聞こうとしないよ。人生、そんなもったいない使い方できないじゃない」

 凛の脳裏に、そのことばは、深く広く染み渡っていく。乾いた砂にこぼされた水が、地の底まで染みていくように。
 乾いてひび割れた凛の胸を、埋めていくように。

 いつか聴いた歌の響きが、心を揺さぶって砕いたのだとすれば。
 歩の声は、その隙間を埋めてくれる、新しい心の材質だった。

「だから、いつか聴かせてね」

 席替えのくじ引きが終わり、クラスメートの大半はすでに前に向き直っている。先生が、すこしいらだたしげに教卓の前に立って、教室が静まるのを待ち構えていた。
 だから、凛は抑えた声で、うなずいた。

「うん、そのうち」

 ふたりでイヤホンを分け合って、同じ曲を聴く瞬間を、凛は夢見る。その日はたぶん、遠からず訪れるだろう。凛の度胸が、不安に負けなければ。
 いや、もう、決して負けたりしない。凛のなかには、そんな確信があった。
セミの話は第100話にて。
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