挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
138/233

第136話「プリント回すときとかも、やたら手を突き出してくるし、バサッと置くし」

 後ろの席に向けられる視線は、ひとつ前の席にいても自然と気になる。それが、曰く言い難いメッセージを遠くから伝えるような、意味ありげな視線だったら、なおのことだ。
 そういう、流れ弾のような注目の余波を受けて、高良(たから)甘南(かんな)は朝からずっと、こそばゆくてならなかった。

満流(みちる)さん、ちょっといい」
「何?」

 二時間目が終わったところで、甘南は真後ろを振り返って、山下(やました)満流に話しかけた。教科書を机にしまっていた満流は、甘南の声に答えながら、すっと顔を上げる。
 そのとき、一瞬、隣の席の木曽(きそ)穂波(ほなみ)に目配せしたような気がした。穂波のリアクションは、甘南には確認できないくらいちいさかったけれど、かすかに笑ったかもしれなかった。

 たぶん、そういう些細なしぐさの積み重ねが、何か人をもやもやさせずにおかないのだ。

「夏休み、何かしでかしたの?」

 椅子に逆向きに座って、小声で訊ねると、満流はふっとため息をついて机に両肘を預けた。小首をかしげ、斜め下から甘南を見上げてくるコケティッシュな動作は、一瞬、彼女をドキリとさせる。

「……甘南さんって、けっこうそういうとこ、あけすけよね」
「え?」
「教室でできないような話、されちゃうかも、って考えない?」
「……そんな話なの?」
「そっちが訊いたんでしょう」

 そういわれてしまうと、なんだか、甘南のほうが悪いことをしたような気分になる。満流は微妙な仄めかしをしているだけなのだが、それがよけいな想像をかき立てるのだと思う。
 隣の席の穂波も、その気配を察してか、なんだか戦々恐々の態度でこちらの様子をうかがっている。いつもは陸上部で、きれいなフォームで躍動している穂波が、肩を縮めているその姿が、妙に気にかかる。

「別に、人を憚るようなことはしてないわよ」

 そして満流は、あっさりと告げて、次の授業の準備を始める。英文法の授業では夏休みの課題が回収になる。周囲は最後の悪あがきをする生徒で慌ただしい雰囲気だが、満流は平然としたものだ。

「にしては、ずいぶん、注目を集めてるみたいじゃない?」
「それは見る人の問題だもの」

 素っ気ないいい方だが、どこか芝居がかったような雰囲気を感じさせる。演劇部の人というのは、日常の所作まで演技に近づいていくのかもしれない。この教室が、つかのま彼女を中心とした劇場になって、甘南は端役として一瞬だけ舞台に上がっただけ。そんな気がしてくる。彼女と間近で向き合うと、それくらいの迫力を感じさせられてしまう。

 そんな満流の髪を結わえる髪飾りに、ふと、甘南は目を引かれた。隙のない満流の装いのなかで、そこだけ、いくぶん野暮ったく見えた。

「それ、どうしたの? 髪のとこ、花のやつ」
「ああ、これ?」

 ちょん、と、満流は細い指先で、真っ赤な花びらの形をした髪飾りに触れる。束ねられた彼女の髪が、左右に揺れた。

「休みに買ったんだけど。変かしら」
「変、じゃないけど」

 つぶやくようにいいつつ、甘南は眉をひそめる。

「満流さんの雰囲気と、ちょっと違うよね」

 満流のふだんの持ち物は、ひとつひとつにこだわりを感じさせる。ペンケースもシャープペンシルも、海外の知らないメーカーのものだ。日本のものとは違って、どこか質実で、角張った作り。アルファベットのロゴやデザインも全体的に瀟洒で、雰囲気がある。
 そういうものに囲まれているせいか、彼女の存在も、どこか浮き世離れして見える。
 その中で、田舎じみた花の髪飾りは、逆に浮き上がっていた。

 手を伸ばして、甘南は満流の髪飾りに触れる。プラスチックめいた材質、指で触れるとざらざらする塗料、いまにも外れそうな留め金、どれをとっても安っぽい。

「ふうん……」
「……あの、甘南さん」

 満流の困惑気味の声。満流は眉をひそめて、なかば睨むような目で甘南を見つめている。
 はっ、と手を引いた。

「あ、ごめん! つい」
「遠慮ないのね、甘南さん……そういえば、プリント回すときとかも、やたら手を突き出してくるし、バサッと置くし」
「……え、そこ、気になるとこ?」
「一度や二度ならともかく、毎日、毎回だとね」
「ほんとにぃ……?」

 思わず、甘南は肩を落とし、満流の顔を見上げる。満流にあきれたような目で見下ろされると、ひどく自分が蔑まれている気分になって、ちょっと、ぞくっとした。
 満流はほそく息を吐いて、椅子に座り直した。そのわずかな仕草が、どこか苛立っているように見えて、甘南はますます恐縮する。

「なんか、ごめん。ていうか、気になるなら先に言ってくれたらよかったのに」
「かんたんに治るものでもないでしょう? そういう癖というか、距離感は」
「言ってくれたらちょっとは注意するよ。これから気をつけるし」
「……まあ、そうしてくれると、ありがたくはあるわね」

 満流は、いつもまっすぐに伸ばしている背筋をほんのちょっと丸め、こちら側に顔を傾けながら、微笑んだ。間近に見ると、満流の細面はおそろしくきめ細かくて、手で触れたら、きっと、上質な絹のようにさらりと指先を流れていくだろう。
 やわらかな、肌の下の血脈は、どんな熱を持っているのだろうか。

 ふいに湧き上がった想像に、甘南は思わず、口を開けて吐息を漏らしてしまう。
 ああ、そうか、と、甘南は理解する。

 満流がふと生み出すこういう瞬間に、みんな、視線を引き寄せられるのだ。

「……ねえ、甘南さん」

 ぼそりと言う満流の唇が、さっきまでよりもずっと、生々しく見える。

「な、何?」
「授業、始まるわよ。課題は大丈夫?」
「あ……うん」

 うなずくと同時に、授業開始を知らせるノイズ混じりのチャイムが鳴る。甘南は、うっすらと頭に奇妙な余熱を残したまま、正面へと向き直る。
 その寸前、甘南は視界の隅に、満流の姿を捉える。

 満流は、穂波と目を見交わして、ほんのりと笑っていた。彼女の顔をずっと覆っていた薄い膜がはじけて、身内の光がはじけ出たような、明るい笑みだった。

 その後、授業の初め、夏休みの課題を後ろから回収することになり、甘南は満流の席を振り返った。満流は感情を押さえた素っ気ない面持ちで、そっとノートを差し出してくる。甘南は、いくぶん肘を引いた窮屈な姿勢でそれを受け取って、前の席に回す。
 まるで、さっきの笑顔が幻みたいに感じられた。ほんとうに、気のせいだったのかもしれない。
 でも、その幻像が甘南の脳裏に残っている限り、彼女は満流のことを忘れられないだろうな、と、思う。


11/19:誤字を直しました。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ